久しぶりに東京に行きました。
小金井で母と妹夫婦と昼食を食べ、吉祥寺のre:tailとCLOSETで『マトリョーシカの日展』を見て、沼袋のシルクラブで『いとなみの自然布展、植物の力人の知恵』を見て、上野で息子一家と夕食を食べて帰ってきました。
東京に行くのも久しぶりなら、こんなにいろいろなところに寄ったのも久しぶりでした。最近は一ヶ所の訪問で十分疲れて帰ってきます。
『いとなみの自然布展』は、カラムシのことをネットで調べたりしているうちに見つけたものでした。
これが東京?
シルクラブは、とても閑静で豪華な建物でした。
展示会は、木綿でもない、絹でもない着尺や帯の販売のようで、素敵な着物をまとえる幸せな人たちが、大広間であれこれ反物を身体に当ててみたりしていました。
展示している糸なら写真に撮ってもいいと言われて写したものです。
真ん中はシナの木の皮から採る糸、そして左はクズから採る糸です。
シナの糸も、クズの糸も写真では見たことがありましたが、実物で見たのはたぶん初めてではないかと思います。
山を荒らしていて、今では邪魔ものでしかないクズですが、『アンギンと釜神さま、秋山郷の暮しと民具』(滝沢秀一、国書刊行会、1990年)を読むと、かつての暮しにクズは、根、蔓、花など捨てるところのない、大切な植物だったことがわかります。
クズを糸にしたところです。
こちらは、幅の広い繊維はオヒョウでしょうか。
衣桁にかけてあった、見事なアイヌのアツシの前に置いてありました。
木の皮の内側の繊維を裂いて、撚りをかけて、糸になります。
どれもこれも地道な繰り返しでできる糸たち、こうやって技術を絶やさずに次世代につないでいこうとする人たちがいることは、とても素敵なことだと思います。
さて、デイサービスで、祭りのポスターをつくってくれるように依頼された母は、ポスターの飾りつけのひまわりをおりがみで折っていました。難しくて折りきれないところは妹が手伝っていました。
息子の家では、母から見るとひ孫にあたるはなちゃんが、今おりがみにはまっているらしく、色別に揃えたり、はさみで切ったりして遊んでいました。
世代を超えて楽しめるなんて、おりがみもすぐれものです。
2014年6月28日土曜日
ガーナの草籠
ガーナ北部、ボルガタンガの草籠です。
中部、クマシの市場では積み上げて売っていました。
大きいので、それに見合ったものを入れたくなります。とくに市場に買い出しに行く時は、この籠なしでは行けないほどでした。
野菜や果物なんでも入ります。
ところが、重いものを入れると、持ち手がすぐ抜けてしまいます。
縁も、すっぽり抜けてしまいます。
籠としての強度がない、できそこないの籠なのです。市場であたりを見回しても、壊れていない籠を持っている人はいないくらい、すぐ壊れてしまいます。
だからと言って、草籠は役立たずではありません。
持ち手は気にしないで、頭に乗せて運べばいいのです。
それでもガーナ人でない私が、頭で運べるわけがありません。いくつもいくつもの籠をダメにしてしまいました。
それにしても無用の長物、よく今まで半世紀近く残っていたものです。
何故、壊れていない籠が家にあったのか?
当時は段ボールもありませんし、緩衝材もありませんでした。 きっとガーナを去るときに、壊れやすい引っ越し荷物を入れるために、緩衝材として使ったものだと思います。
外はすっかり褪せていますが、中には色も残っています。
数年前から日本でも、これとよく似た形のガーナの草籠や、お隣のブルギナファソの草籠を見かけるようになりました。
こんなに大きくはないし、持ち手や縁も山羊の皮を巻くなどして、すぐ壊れないよう、改良されているようです。地球が狭くなりました。
2014年6月27日金曜日
カラムシ
アンギン編みを調べていた過程で、カラムシの写真をたくさん見ました。
「なんか、見たことがあるような?」
そう思っているうち、ふと我が家の庭や林の中に生えている植物が、カラムシに似ていることに気がつきました。
もと同僚で、カラムシに魅せられて、いろいろ訪ねたり、実際に織りものに挑戦したりしていたH夫妻を思い出し、電話してみました。電話口に出たのは夫人のKさんでした。
「えっ、カラムシが生えているの?茎が赤くないのね?」
「茎が赤いのも生えている。もしかして、それってアカソ?」
「そう、カラムシと似ているの」
「そうかぁ。アカソからも繊維がとれるんだって」
「えっ、知らなかった。そうなんだぁ。カラムシの資料を調べてコピーして郵送するから」
それから間もなく、分厚く膨れ上がったファイルが届きました。
Kさんはすごい!
昔から、手早くじょうずにまとめるのは知っていましたが、これ一冊で、カラムシのこと、大麻のことがよくわかります。
ファイルには、資料のコピーが、たくさん収められていました。
だんなさんのTさんは、カラムシだけでなく、大麻の方により惹かれていたとか、いずれにしても、かつては「麻」とくくられていた糸に関心をもち、長い間かかわっていらっしゃいました。
H夫妻が糸に撚りをかけるのを習っている写真もありました。
カラムシの繊維のつなぎ方の図解もあります。
植物を繊維にする工程も、説明だけでなく図解もあり、よくわかります。
ファイルが膨らんでいたのは、大麻と、
カラムシの実物を入れてくださっていたからでした。
さて、資料を参考にしながら、カラムシを糸にする準備をしてみることにしました。
石を置いた間から生えている、丈の高いカラムシを切り取ります。
他の場所のは、一度も二度も刈って、また生えてきたものですから、まだまだ丈が短いのです。
葉をしごいて落として、棒状にします。
本当はこの時点で長さを揃えるのですが、きれいに糸が採れるかどうかもわからないので、適当に切りました。
皮は、二枚にむくと書いてあります。
まず表皮をはいで、その下の繊維をとるのかとやってみましたが、完全に間違っていました。表皮をはいだだけなのに、芯だけで、繊維が残っていません。
「二枚、二枚って何?」
ここでやっと、二枚というのは細く適当に皮をむくのではなく、一本の皮を二つに割って、二本の太い繊維を取り出すことだと理解しました。
ところが、なかなか一枚のつながった繊維にならず、葉のついていた跡などにぶつかると、細かく裂けてしまいます。
もう、皮をはいでいる時点で、めちゃくちゃ細い繊維になったりすると、どうにも始末に負えません。
「いい調子、いい調子」
最初は厚みがあり、太さもあって、しめしめと思っていても、すぐ薄くなり、細くなって、最後までむかないうちに立ち消えてしまいます。
いやはや、めちゃくちゃな皮むきでした。
後でもう一度資料を注意深く読んだら、皮のむき方が間違っていました。正しくは、真ん中あたりで折り、指を入れて、丁寧にむいていくのでした。
収穫時期も、ちょっと違うかもしれませんし、密集して育て、上へ上へとひょろっと伸びた栽培カラムシとも違うことでしょう。
次は「ヒキ」です。
表皮を掻き落とす作業で、ここまではその日のうちにやった方がいいのです。
ヒキ板の上に、「ウチ立て」を二本立て、一枚ずつヒキます。
もっとも、「ウチ立て」とは何かがわかりません。代わりに包丁を二本立ててみました。
上が表皮のついたもの、下がヒイタものです。
皮を太く裂けていると、ヒキがいがありますが、半分は下のように細いものでした。
半日陰で数日乾燥させますが、今の季節は陽のあたらない軒下に干してみました。
「なんか、見たことがあるような?」
そう思っているうち、ふと我が家の庭や林の中に生えている植物が、カラムシに似ていることに気がつきました。
もと同僚で、カラムシに魅せられて、いろいろ訪ねたり、実際に織りものに挑戦したりしていたH夫妻を思い出し、電話してみました。電話口に出たのは夫人のKさんでした。
「えっ、カラムシが生えているの?茎が赤くないのね?」
「茎が赤いのも生えている。もしかして、それってアカソ?」
「そう、カラムシと似ているの」
「そうかぁ。アカソからも繊維がとれるんだって」
「えっ、知らなかった。そうなんだぁ。カラムシの資料を調べてコピーして郵送するから」
それから間もなく、分厚く膨れ上がったファイルが届きました。
Kさんはすごい!
昔から、手早くじょうずにまとめるのは知っていましたが、これ一冊で、カラムシのこと、大麻のことがよくわかります。
ファイルには、資料のコピーが、たくさん収められていました。
だんなさんのTさんは、カラムシだけでなく、大麻の方により惹かれていたとか、いずれにしても、かつては「麻」とくくられていた糸に関心をもち、長い間かかわっていらっしゃいました。
H夫妻が糸に撚りをかけるのを習っている写真もありました。
カラムシの繊維のつなぎ方の図解もあります。
植物を繊維にする工程も、説明だけでなく図解もあり、よくわかります。
ファイルが膨らんでいたのは、大麻と、
カラムシの実物を入れてくださっていたからでした。
さて、資料を参考にしながら、カラムシを糸にする準備をしてみることにしました。
石を置いた間から生えている、丈の高いカラムシを切り取ります。
他の場所のは、一度も二度も刈って、また生えてきたものですから、まだまだ丈が短いのです。
葉をしごいて落として、棒状にします。
本当はこの時点で長さを揃えるのですが、きれいに糸が採れるかどうかもわからないので、適当に切りました。
皮は、二枚にむくと書いてあります。
まず表皮をはいで、その下の繊維をとるのかとやってみましたが、完全に間違っていました。表皮をはいだだけなのに、芯だけで、繊維が残っていません。
「二枚、二枚って何?」
ここでやっと、二枚というのは細く適当に皮をむくのではなく、一本の皮を二つに割って、二本の太い繊維を取り出すことだと理解しました。
ところが、なかなか一枚のつながった繊維にならず、葉のついていた跡などにぶつかると、細かく裂けてしまいます。
もう、皮をはいでいる時点で、めちゃくちゃ細い繊維になったりすると、どうにも始末に負えません。
「いい調子、いい調子」
最初は厚みがあり、太さもあって、しめしめと思っていても、すぐ薄くなり、細くなって、最後までむかないうちに立ち消えてしまいます。
いやはや、めちゃくちゃな皮むきでした。
後でもう一度資料を注意深く読んだら、皮のむき方が間違っていました。正しくは、真ん中あたりで折り、指を入れて、丁寧にむいていくのでした。
収穫時期も、ちょっと違うかもしれませんし、密集して育て、上へ上へとひょろっと伸びた栽培カラムシとも違うことでしょう。
次は「ヒキ」です。
表皮を掻き落とす作業で、ここまではその日のうちにやった方がいいのです。
ヒキ板の上に、「ウチ立て」を二本立て、一枚ずつヒキます。
もっとも、「ウチ立て」とは何かがわかりません。代わりに包丁を二本立ててみました。
上が表皮のついたもの、下がヒイタものです。
皮を太く裂けていると、ヒキがいがありますが、半分は下のように細いものでした。
半日陰で数日乾燥させますが、今の季節は陽のあたらない軒下に干してみました。
2014年6月25日水曜日
和包丁揃い踏み
先日、元同僚で今は居酒屋をやっているMくんが来たとき、Mくん持参の包丁をしげしげと見ていた私は、
「もし居酒屋をやっていたら、絶対包丁に凝っているよね」
と言われてしまいました。
そのときは、
「あはは、図星よ」
と言った私ですが、そのときはまだ、和包丁を揃える予定はありませんでした。
後日、Sさんの家で、Sさんがさばいたお刺身をいただきました。
「Sさんち、包丁いろいろあるんでしょうね」
「ああ、いっぱい持っているよ。それとね、おれ、包丁研ぐのが趣味なの」
そのとき、Oさんも一緒だったので、以前Oさんの家の菜切り包丁を見て、私も欲しくなり買ってしまったこと、とても重宝していることなどを話しました。
「いいよね、日本の包丁」
と、Oさん。
そう、伝統のない日本の台所道具たちは、西欧のものに比べると断然劣ります。
例えばお鍋だと、縁から水をこぼさずに注ぐことができないとか、水をいっぱい入れたときの重さを考えないで持ち手がついているとか。
ところが、伝統のある刃物はとても優れていることが、菜切り包丁を使ってみてよくわかりました。
それからしばらくして、居酒屋をやってもいない私ですが、とうとう出刃包丁と柳刃包丁を揃えることにしました。
もちろん、居酒屋もやっていないので毎日使うわけではない、分相応の値段のものです。
それでも、最高にいい気分です。
長い間懸案のまま棚上げされている果物ナイフやチーズナイフを差し置いて、出刃、柳刃、菜切りと和包丁が、三役揃い踏みしました。
かくなる上は、研ぐのもしっかり研がなくてはなりません。
さっそく、包丁専用の砥石を買いに走ります。
しかも、ホームセンターではなく、かつては鋸の目立て屋さんだった、専門店に行きます。
「どんなのにする?」
「荒砥は使わないから、中砥だけでいいかなぁ」
仕上げ砥は、鉋の刃用の砥石と兼用にします。もっとも、包丁だったら、仕上げ砥はそう使わなくてもいいかもしれません。
そんなことを言うと、まるでいっちょう前のようですが、鉋の刃はまっすぐ研げるかどうか不安だし、一旦、台から外したらうまく調節できるかどうかも不安で、実はあまり研いでいないのです。
「包丁で練習を積んで、鉋の刃もしっかり研ぐからね」
菜切り包丁は、シンクの下の深い引き出しに取りつけたマグネットに、他の包丁類と一緒にくっつけています。
でも出刃包丁と柳刃包丁をここにしまうのはちょっと心配です。刃先だけしか見えていませんが、斜めにしないと入りきらない、刃の長いパン切り包丁が、右の方を占領しているのです。
というわけで、浅い引き出しの中に箱を置いて、専用の場所を設けました。
使った後は下を向けておいた方がいいので、使ったらすぐ洗って拭き、しばらくマグネットにくっつけて柄を乾かし、それから引き出しの中に戻すという手厚い扱いぶりです。
結婚した時に、母が三徳包丁と出刃包丁を用意してくれましたが、出刃はあっというまに刃を欠いてしまいました。そして、長い間、刃を欠いたまま、めちゃくちゃに使っていました。若いときには、恐ろしいことをするものです。
この出刃包丁で、まだ鶏の骨を叩き切ったことはありませんが、刃をこぼさずに切れるでしょうか。
「鶏の骨なら、やっぱり中華包丁?」
なんて余計なことは考えないで、和包丁を楽しみたいと思います。
「もし居酒屋をやっていたら、絶対包丁に凝っているよね」
と言われてしまいました。
そのときは、
「あはは、図星よ」
と言った私ですが、そのときはまだ、和包丁を揃える予定はありませんでした。
後日、Sさんの家で、Sさんがさばいたお刺身をいただきました。
「Sさんち、包丁いろいろあるんでしょうね」
「ああ、いっぱい持っているよ。それとね、おれ、包丁研ぐのが趣味なの」
そのとき、Oさんも一緒だったので、以前Oさんの家の菜切り包丁を見て、私も欲しくなり買ってしまったこと、とても重宝していることなどを話しました。
「いいよね、日本の包丁」
と、Oさん。
そう、伝統のない日本の台所道具たちは、西欧のものに比べると断然劣ります。
例えばお鍋だと、縁から水をこぼさずに注ぐことができないとか、水をいっぱい入れたときの重さを考えないで持ち手がついているとか。
ところが、伝統のある刃物はとても優れていることが、菜切り包丁を使ってみてよくわかりました。
それからしばらくして、居酒屋をやってもいない私ですが、とうとう出刃包丁と柳刃包丁を揃えることにしました。
もちろん、居酒屋もやっていないので毎日使うわけではない、分相応の値段のものです。
それでも、最高にいい気分です。
長い間懸案のまま棚上げされている果物ナイフやチーズナイフを差し置いて、出刃、柳刃、菜切りと和包丁が、三役揃い踏みしました。
かくなる上は、研ぐのもしっかり研がなくてはなりません。
さっそく、包丁専用の砥石を買いに走ります。
しかも、ホームセンターではなく、かつては鋸の目立て屋さんだった、専門店に行きます。
「どんなのにする?」
「荒砥は使わないから、中砥だけでいいかなぁ」
仕上げ砥は、鉋の刃用の砥石と兼用にします。もっとも、包丁だったら、仕上げ砥はそう使わなくてもいいかもしれません。
そんなことを言うと、まるでいっちょう前のようですが、鉋の刃はまっすぐ研げるかどうか不安だし、一旦、台から外したらうまく調節できるかどうかも不安で、実はあまり研いでいないのです。
「包丁で練習を積んで、鉋の刃もしっかり研ぐからね」
菜切り包丁は、シンクの下の深い引き出しに取りつけたマグネットに、他の包丁類と一緒にくっつけています。
でも出刃包丁と柳刃包丁をここにしまうのはちょっと心配です。刃先だけしか見えていませんが、斜めにしないと入りきらない、刃の長いパン切り包丁が、右の方を占領しているのです。
というわけで、浅い引き出しの中に箱を置いて、専用の場所を設けました。
使った後は下を向けておいた方がいいので、使ったらすぐ洗って拭き、しばらくマグネットにくっつけて柄を乾かし、それから引き出しの中に戻すという手厚い扱いぶりです。
結婚した時に、母が三徳包丁と出刃包丁を用意してくれましたが、出刃はあっというまに刃を欠いてしまいました。そして、長い間、刃を欠いたまま、めちゃくちゃに使っていました。若いときには、恐ろしいことをするものです。
この出刃包丁で、まだ鶏の骨を叩き切ったことはありませんが、刃をこぼさずに切れるでしょうか。
「鶏の骨なら、やっぱり中華包丁?」
なんて余計なことは考えないで、和包丁を楽しみたいと思います。
2014年6月24日火曜日
Sくん
先日サナンさんが八郷にやって来たとき、Sくんの家に数泊してから我が家に来ました。
「サナンさんは、毎日タイカレーでもいいみたい」
Sくんは忙しい時期だったこともあって、レトルトのグリーンカレーを毎夕出していたそうです。
「朝はなんか、持ってきたインスタントのタイヌードルを食べたりしているよ。好きみたい」
「ふぅん」
Sくんの家は自分で建てた家で、台所のほかには一部屋しかありません。
それでも、田植えなどのとき、学生の農業体験希望者を受け入れていますが、何人もでその部屋に雑魚寝します。
サナンさんも、Sくんと離れて一人になる隙もなく完全密着の数日で、農作業もあり、疲れたことでしょう。
さて、我が家に来るとサナンさんは普通に何でも食べるし、カップヌードルなど食べていません。現金収入が少なく、一人暮らしのSくんに、いろいろ気を使っていたのです。
「おれ、有名な人だとは知らないで、こきつかっちゃったよ。「早くしろよ」なんて言っちゃって」
「よかったんじゃない。ラオス語で話したの?」
「ラオス語は忘れちゃったから、全部英語」
Sくんは親の職業柄、子ども時代に海外生活が長く、大学では国際関係を学び、英語は堪能です。
そんなサナンさんは定期的に、タイの雑誌に記事を載せています。
タイ語と英語で書かれています。
記事はSくんのことです。
Sくん、かっこいい!
「サナンさんは、毎日タイカレーでもいいみたい」
Sくんは忙しい時期だったこともあって、レトルトのグリーンカレーを毎夕出していたそうです。
「朝はなんか、持ってきたインスタントのタイヌードルを食べたりしているよ。好きみたい」
「ふぅん」
Sくんの家は自分で建てた家で、台所のほかには一部屋しかありません。
それでも、田植えなどのとき、学生の農業体験希望者を受け入れていますが、何人もでその部屋に雑魚寝します。
サナンさんも、Sくんと離れて一人になる隙もなく完全密着の数日で、農作業もあり、疲れたことでしょう。
さて、我が家に来るとサナンさんは普通に何でも食べるし、カップヌードルなど食べていません。現金収入が少なく、一人暮らしのSくんに、いろいろ気を使っていたのです。
「おれ、有名な人だとは知らないで、こきつかっちゃったよ。「早くしろよ」なんて言っちゃって」
「よかったんじゃない。ラオス語で話したの?」
「ラオス語は忘れちゃったから、全部英語」
Sくんは親の職業柄、子ども時代に海外生活が長く、大学では国際関係を学び、英語は堪能です。
そんなサナンさんは定期的に、タイの雑誌に記事を載せています。
タイ語と英語で書かれています。
記事はSくんのことです。
Sくん、かっこいい!
2014年6月23日月曜日
小ビン
しばらく前の骨董市でのこと、あまやさんが大声を出しています。
「おぉい、来たよ、来たよ」
いったい何が来たんだか、大きな声。
それでも相手には聞こえなかったみたいで、
「さわだぁ、来たよ」
と、もう一度。あまやさんは、お隣のテントのさわださんに知らせていたのです。
一巡したので帰る前にもう一度だけぐるっと回ってと足早に歩いていた私は、そんな声には無関心。何が起こっているのか見もせず、ちょっと離れたところを、通り過ぎようとしていました。
「おぉい。ちょっとぉ」
やけに騒がしいこと。
今度は知らない声だったので、何気なく声の方を見ると、声の主はさわださんのお客さんで、何故か私の方を見ていました。
えっ、もしかして「来た」って私のこと?
近づくと、小さなビンを突き出してさわださんが静かに口を開きました。
「300円!」
その朝は、おもちゃ骨董のさわださんの店はもう冷やかしたあとでした。
いつも何かしらおもしろいものが見つかるさわださんの店ですが、その日は何も見つかりませんでした。それでも、椎間板ヘルニアで下半身不随になった犬のミルキーを抱っこしたり、おはじきを見たりして、さんざん長居をしたあとだったので、用があるなんて思いもよりませんでした。
どうやら、私が行ってしまった後で、荷物から小さなビンが出てきたようでした。
そろそろ人も増える時間、大騒ぎだったのできまりが悪い私は、ビンをろくろく見もせず手持ちの袋に突っ込むと、さっさと帰って来てしまいました。
こうやって、小さなビンは向こうから勝手にやってきました。
さて、家に帰ってビンを見て、何のビンだったのか聞かなかったことに気がつきました。
さわださんも何も言っていなかったので知らなかったかもしれないし、まあ、何でもいいと言えば何でもいいのです。
片側には、「アコオド」、
もう一方には、「浅野製」とエンボスがあります。
やれやれ。後世の人にもわかるようにするには、何が入っていたのかちゃんと書いておいて欲しいものです。
左がその、何が入っていたか不明のビン、真ん中が「おだし」と書いてある出汁のビン、そして右が「あさひ染」と書いてある染料のビンです。
用途不明のビンも染料のビンに見えますが、実際は何だったのかは不明です。もっとも、染料といっても、白髪染め、布染め、食紅などいろいろありました。
さらに、軟こう、目薬、ポスターカラーのビンなどなど、プラスティック以前は、なんでも小さいビンに入っていたのですね。
全部さわださんのところからやってきたビンたちです。
「おぉい、来たよ、来たよ」
いったい何が来たんだか、大きな声。
それでも相手には聞こえなかったみたいで、
「さわだぁ、来たよ」
と、もう一度。あまやさんは、お隣のテントのさわださんに知らせていたのです。
一巡したので帰る前にもう一度だけぐるっと回ってと足早に歩いていた私は、そんな声には無関心。何が起こっているのか見もせず、ちょっと離れたところを、通り過ぎようとしていました。
「おぉい。ちょっとぉ」
やけに騒がしいこと。
今度は知らない声だったので、何気なく声の方を見ると、声の主はさわださんのお客さんで、何故か私の方を見ていました。
えっ、もしかして「来た」って私のこと?
近づくと、小さなビンを突き出してさわださんが静かに口を開きました。
「300円!」
その朝は、おもちゃ骨董のさわださんの店はもう冷やかしたあとでした。
いつも何かしらおもしろいものが見つかるさわださんの店ですが、その日は何も見つかりませんでした。それでも、椎間板ヘルニアで下半身不随になった犬のミルキーを抱っこしたり、おはじきを見たりして、さんざん長居をしたあとだったので、用があるなんて思いもよりませんでした。
どうやら、私が行ってしまった後で、荷物から小さなビンが出てきたようでした。
そろそろ人も増える時間、大騒ぎだったのできまりが悪い私は、ビンをろくろく見もせず手持ちの袋に突っ込むと、さっさと帰って来てしまいました。
こうやって、小さなビンは向こうから勝手にやってきました。
さて、家に帰ってビンを見て、何のビンだったのか聞かなかったことに気がつきました。
さわださんも何も言っていなかったので知らなかったかもしれないし、まあ、何でもいいと言えば何でもいいのです。
片側には、「アコオド」、
もう一方には、「浅野製」とエンボスがあります。
やれやれ。後世の人にもわかるようにするには、何が入っていたのかちゃんと書いておいて欲しいものです。
左がその、何が入っていたか不明のビン、真ん中が「おだし」と書いてある出汁のビン、そして右が「あさひ染」と書いてある染料のビンです。
用途不明のビンも染料のビンに見えますが、実際は何だったのかは不明です。もっとも、染料といっても、白髪染め、布染め、食紅などいろいろありました。
さらに、軟こう、目薬、ポスターカラーのビンなどなど、プラスティック以前は、なんでも小さいビンに入っていたのですね。
全部さわださんのところからやってきたビンたちです。
2014年6月22日日曜日
2014年6月21日土曜日
北ルソン式支柱
夫の元同僚のかわまたさんが、おいしい野菜をどっさり持って、寄ってくれました。
かわまたさんは、加波山の向こう側で有機農業を営んでいますが、ときどき八郷在住の有機農家の人たちと種の共同購入をしたり、種を交換したりすために山を越えて八郷に来ることがあり、そんなときには寄ってくれるのです。
かわまたさんが野菜だけでなく、余ってしまったからと、トマトの苗をくれました。
以前は畑にも精出していましたが、キビを雀にやられたり、ジャガイモをイノシシにやられたりして、気持ちは、すっかり後退してしまいました。
しかも、畑として使っていたところに仮の作業場や材木置き場をつくったので、余儀なく別の場所に移り、今では家の北側の、わずかな斜面を畑にしているにすぎません。そして、数えるほどのものしかつくっていなくて、夏野菜からもすっかり遠ざかっていました。
トマトは、先月株分けしたねぎと並べて植えました。
トマトは茎が太く、重量もあるので、しっかりした支柱が必要です。以前はパイプを組んで、伸びた茎を紐で吊ったりしていましたが、土地は平らではないし、狭いし、面倒だなぁと考えていたら、フィリピンの北ルソンのインゲンの支柱を思い出しました。
あれだったら、ある材料でできます。
まず、まっすぐな篠竹を切ります。
だいぶ周りはきれいにしましたが、まだまだ、篠竹はいくらでも生えています。
50本ほど切り出して、枝を払います。
「いったい、鉈はどこにいっちゃったの?」
日本の鉈が見えなかったので、しかたなくカンボジアの鉈を使います。
枝を落としました。
斜めに等間隔で、竹を立てます。
鉄棒を叩き入れて穴を開け、竹をそこに刺しましたが、頼りなくふらふらしています。
一方向に刺し終わったら、反対傾斜にした竹を交互に、布を織るように、籠を編むように、くぐらせながら通して、立てていきます。竹はしなやかですから、難なく作業できますが、編み進むごとに、ふらふらしていた竹がしっかりしてきます。
フィリピンで見たときは、どうしてこの支柱と直角に支えをしないのかと、不思議に思ったことでした。普通、支柱は倒れないように立体的につくりますが、これは平面です。
でも、どこのを支柱を見てもしっかり立っているので、十年ほど前に自分でもやってみました。すると、嘘のように強固で、強い風でも、台風でさえも倒れませんでした。
しかし、これはインゲンの支柱です。重いトマトに耐えるでしょうか?
フィリピンでは、たとえばハヤトウリは、まるで並べて立てた傘のような支柱でした。ハヤトウリの蔓は長く伸びて、放っておくとどこまでも行きますが、それをぐるぐると小面積に収めるのです。見たことはありませんが、きっとトマトにはトマト用の、素敵な支柱の形もあるはずです。
まあ、重くなり過ぎる心配をするより、トマトがよくできるかを心配した方がいいかもしれません。野菜も愛情をかけると応えてくれますが、放りっぱなしではいじけてしまいます。
最優先は建設仕事、次が草むしりや草刈りや植木の選定などの庭仕事、次がやはり草刈りや枝切りなどの山仕事、そして次にやっと畑仕事の私ですから、あまり期待できません。
この支柱のいいところは、まったく紐を使わずにできることです。
かわまたさんは、加波山の向こう側で有機農業を営んでいますが、ときどき八郷在住の有機農家の人たちと種の共同購入をしたり、種を交換したりすために山を越えて八郷に来ることがあり、そんなときには寄ってくれるのです。
八郷の有機農家はたいてい余所から来た人で、ほとんどが都会育ちの人です。この土地に育った人で有機農業を営んでいる人は、豚飼いのみわさんを除いては、もしかしたらいないかもしれません。
そんな中で、かわまたさんは珍しく「有機農業をしている地の人」です。もっとも、彼も三十年以上も都市生活をしていたのですから、純粋な「地の人」とは、言えないかもしれません。
以前は畑にも精出していましたが、キビを雀にやられたり、ジャガイモをイノシシにやられたりして、気持ちは、すっかり後退してしまいました。
しかも、畑として使っていたところに仮の作業場や材木置き場をつくったので、余儀なく別の場所に移り、今では家の北側の、わずかな斜面を畑にしているにすぎません。そして、数えるほどのものしかつくっていなくて、夏野菜からもすっかり遠ざかっていました。
トマトは、先月株分けしたねぎと並べて植えました。
トマトは茎が太く、重量もあるので、しっかりした支柱が必要です。以前はパイプを組んで、伸びた茎を紐で吊ったりしていましたが、土地は平らではないし、狭いし、面倒だなぁと考えていたら、フィリピンの北ルソンのインゲンの支柱を思い出しました。
あれだったら、ある材料でできます。
まず、まっすぐな篠竹を切ります。
だいぶ周りはきれいにしましたが、まだまだ、篠竹はいくらでも生えています。
50本ほど切り出して、枝を払います。
「いったい、鉈はどこにいっちゃったの?」
日本の鉈が見えなかったので、しかたなくカンボジアの鉈を使います。
枝を落としました。
斜めに等間隔で、竹を立てます。
鉄棒を叩き入れて穴を開け、竹をそこに刺しましたが、頼りなくふらふらしています。
一方向に刺し終わったら、反対傾斜にした竹を交互に、布を織るように、籠を編むように、くぐらせながら通して、立てていきます。竹はしなやかですから、難なく作業できますが、編み進むごとに、ふらふらしていた竹がしっかりしてきます。
フィリピンで見たときは、どうしてこの支柱と直角に支えをしないのかと、不思議に思ったことでした。普通、支柱は倒れないように立体的につくりますが、これは平面です。
でも、どこのを支柱を見てもしっかり立っているので、十年ほど前に自分でもやってみました。すると、嘘のように強固で、強い風でも、台風でさえも倒れませんでした。
しかし、これはインゲンの支柱です。重いトマトに耐えるでしょうか?
フィリピンでは、たとえばハヤトウリは、まるで並べて立てた傘のような支柱でした。ハヤトウリの蔓は長く伸びて、放っておくとどこまでも行きますが、それをぐるぐると小面積に収めるのです。見たことはありませんが、きっとトマトにはトマト用の、素敵な支柱の形もあるはずです。
まあ、重くなり過ぎる心配をするより、トマトがよくできるかを心配した方がいいかもしれません。野菜も愛情をかけると応えてくれますが、放りっぱなしではいじけてしまいます。
最優先は建設仕事、次が草むしりや草刈りや植木の選定などの庭仕事、次がやはり草刈りや枝切りなどの山仕事、そして次にやっと畑仕事の私ですから、あまり期待できません。
この支柱のいいところは、まったく紐を使わずにできることです。
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