2025年2月28日金曜日
新しい三つ又
犬供養の三つ又が新しいものと取り替えられていました。
今年新しく立てられた三つ又は、あまり開いていない形のものでした。
まわりにお線香があるのを初めて見ましたが、この乾燥の続く日々なので火事を恐れて、燃やしきらずに途中で火を消しておいたのかもしれません。
数年前から、古い三つ又は残さず、取り去られるようになっています。
八郷で犬供養されているところで、私が知っているもう一ヵ所のところは、荒れ放題と言ってもいいでしょうか。三つ又は昨年立てたというより、もっと古く見えます。
一面を削ったり、樹皮を剥いだりもしてないようで、樹皮は剥がれています。きっと、お世話する人がもういないのでしょう。
子どもを安全に産むことが悲願、しかも男子を産んで育て上げることが切望され時代は遠い昔、犬供養は近い将来消えてなくなりそうです。
2025年2月27日木曜日
やっとお雛さまを飾りました
織物教室で3月の予定を立てるために3人でカレンダーを見ていたら、3月3日が目に入りました。
「あぁ、もうお雛さまを出さなくっちゃ」
と焦った独り言を言っていると、
「あら、しまうんじゃなくて出すの? そろそろしまう時期でしょう?」
と笑いながらKさん。
「あっ、私は旧暦でやってるから」
と応えましたが、じつは毎年、ぎりぎりになるまで飾る作業になかなかスイッチが入らない私です。
さて昨日、やるぞと取り掛かったのは11時でした。
神棚の脇の天袋から板などを降ろして雛壇を組み立て、
お雛さまの入っている、重い行李を衣服室から運んできました。
雛壇を所定の位置に置いて緋毛氈を敷き、雛たちを箱から出し、片端から並べます。
父の妹のをもらった私のお雛さまの屏風は銀屏風、銀色塗料は100年以上の年月を経て、すっかり黒ずんでいます。
大正のお雛さまは小さく、かわいいお顔をしています。
途中、お昼休みを取り、また次々と並べました。
だんだん、扱いもぞんざいになっています。
今年は、お道具は最小限しか並べなかったので、雛壇に何かゆとりがあります。
土間入り口の棚の上は、時代も生産地も異なるお雛さまたちで満員です。
数えてみたら17組、総勢114人のお雛さまたちでした。まだ二階にも流し雛や紙雛など、常設のお雛さまたちがいます。
福岡県今宿のお雛さまは、大きすぎてストーブの上です。
もう、この冬はストーブを焚くことはないかしら?
結局、飾り終わるまでに3時間ほどかかりました。
2025年2月26日水曜日
益子散策
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写真は佳乃やのをお借りしました |
休日に、M+MのMちゃんを誘って、益子「佳乃や」の「美しきものたち」展を観に行ってきました。
美しいものがいっぱいありましたが、中でもガーナのエウェのケンテは素晴らしいものでした。通常ケンテは詰めて織ってあるのでかちっとしていますが、これは糸が細いのか、使い込んだのかとってもしなやか、細く織った布を20本以上つないでありました。
また、通常、別の糸を織り込んで模様織りにするところとそうでないところで横幅が違ってしまってでこぼこしているのですが、ほぼほぼ、同じ幅に織られています。織り手がすごい! 以前だったら買ったかもしれない布ですが、このごろは理性がついてきたのか(?)、見るだけにしました。
マリのドゴンの藍染めの布も素朴で素敵でしたが、それも見るだけでした。布と言えば、ペルーのシピボの泥染めの布もあり、染め色が濃くて黒い線が目立たないもので、テーブルにかけるなど用途があれば買う口実もつけられるのですが、あいにく使いたいところが思い浮かびませんでした。
籠(真ん中の)もつくりがとてもよく、お値段も手ごろ、でもMちゃんに、
「買ってどうするの?」
と言われてしまいました。どうするのと言われたって、持って歩くわけじゃないし、見せる収納にするには小さすぎるし、同じくらいの大きさの籠はいろいろ持っているし、置くところはないしと、冷静に考えて買いませんでした。
Mちゃんが小引き出しを欲しがっていたので、古家具屋さんにも行きました。
そこで、夫に報告したい照明器具を見つけました。
夫がf邸の食卓で使う照明器具を探していて、3つ並べて使うので、小さめのものを欲しがっているのですが、なかなか小さめのものはありません。
金属でできているこれは、ピッタリだと思いました。
しかも、おあつらえ向きに3つあります。直径15センチほどでしょうか。
写真に撮らせてもらって夫に報告したところ、
「これ汚れているの?」
「そうね。ちょっと汚れたり傷がついたりしているよ」
「そんなもの、だめだ、だめだ。コードもまっすぐでないし」
と、一蹴されてしまいました。
あ~あ、残念だなぁ。古いコードも味があるし、無印良品の照明器具より素敵なのになぁ。
そのあとで寄った古書と古道具の内町工場には、土偶の写真集がありました。じっくり見ましたが、本を増やしてもなぁとこれも買いませんでした。
後日、織物教室で土偶の写真集の話をしたら、縄文土器の絵を描いたり、子どもに、縄を綯ったり糸を紡いだり、糸を紡ぐ道具をつくったりするワークショップを開いている、縄文の専門家Sさんだけでなく、土偶好きのKさんからも、
「見たい、見せて」
と言われ、買わなかったと応えるとがっかりされてしまいました。
結局、和菓子の老舗「赤羽」で、草餅や桜餅を買って、むしゃむしゃ食べただけの、益子散策でした。
2025年2月24日月曜日
碍子
電柱から電柱へと張りめぐらされた電線のそこここに使ってある、絶縁のための碍子にはいろいろな形のものがあります。
ほとんどは高いところに据えつけてありますが、電柱が倒れないように支えているワイヤーの途中の丸っこい碍子は、比較的間近に見ることができます。上からのワイヤーと下からのワイヤーを碍子で関係を切ることによって、地表近くの簡単にさわれるワイヤーに、万が一にも電気が流れて感電することを防いでいるのです。
ワイヤーに、クズなどの蔓草が登らないように、お椀を伏せた形の葛返し(?)がついていることがあります。
上の写真の真ん中のワイヤーについている黒い筒も、ワイヤーの中ほどについているのをよく見るのですが、何のためについているのか不明です。これもクズ対策だとしたら、つるつる滑って蔓が登れないということでしょうか?
葛返しをつけておくとクズは登らないはずですが、悠々と超えているクズもあります。
クズは油断するとどこにでも生えてきますが、葛返しがついているワイヤーはまれなので、クズはあちこちで登り放題です。
碍子は、最近はラグビーボールのような形ではなく、角ばった碍子に替わってきているようです。磁器ではなくプラスティック製のものもあるみたい。
写真は私の碍子コレクションです。
室内で使うノップ碍子は浜辺で拾ったり、骨董市で買ったりしたもの、ワイヤーを絶縁する碍子は、ホームセンターで買ったもの、電柱に使われている碍子は大きさ(長さ)がこの3倍くらいあります。
室内で碍子を使っている家は、見なくなりました。
2025年2月23日日曜日
キャベツ
巷ではキャベツの高値が騒がれていますが、我が家では何の影響もありません。というのは、献立を考えてから材料を買うのでなく、ある材料で献立を考えるからです。
かつてガーナのクマシで暮らしたときは、2年間キャベツなしでした。キャベツは売ってなかったし、ジャガイモはレバノン人の経営する個人商店にはあったけれど、なんとなく市場でしか買いものをしなかったので、ジャガイモもキャベツもなしで過ごしました。先日Kさんから野菜をいただき、その中にキャベツが入っていました。もう3か月も雨らしい雨が降らないので、どこの畑も水不足なのでかわいらしいキャベツ、息子一家と1つずつ分けて、ありがたくいただきました。
葉っぱがかわいい。
切ってもかわいい。
久しぶりにキャベツつきのワンプレート料理をいただきました。
ごちそうさまでした。
2025年2月22日土曜日
焚火場あたり
夏から秋にかけて大暴れしたイノシシは、このところ鳴りを潜めています。
暮れには、センサーが反応して通り過ぎる物体があるとライトが消えたりついたりして、すさまじい音(嫌な音)が出るイノシシ除けを設置しました。忘れずに朝スイッチを切ることはできても、夕方スイッチを入れ忘れたりすると用を足さないので、鳴らせっぱなしにしていたら、息子たちには不評だったし、配達の方々には大迷惑だったので、最近はスイッチを終日切っています。
さて、イノシシ被害の現場は、夏から秋にかけてほぼ復元したのですが、まだ何ヵ所も手をつけてないところがあります。その一つ、焚火場のあたりを修復しているのですが、少し形になってきました。土を戻したり石を積みなおす前に、生垣のオオムラやサツキを刈りこんだり、その間にはびこっている篠竹を切ったしていたので、時間がかかっています。
芝生など、広いところには篠竹はほとんど生えませんが、生垣など、草を刈りにくいところには必ず生えてきます。幸い、イノシシが深く掘ってくれたので、篠竹の深いところの根を抜いたりもできますが、取りきることは無理、また生えてくるでしょう。それでも、できるだけ取り除いてから、土や石を動かしています。
ひっくり返された重い石は、バールを使っててこの原理でしか動かせませんでしたが、イノシシのバカ力に驚きます。
段々は、石を敷き詰めるか、土のままにしておくか、どちらが管理しやすいか、思案しているところです。
切った枝など、不定形な大きなものを抱えて生垣の間の狭い石段を上り下りするより、ちょっと回った方が通りやすいので、この石段はほぼ無用の代物です。石を敷き詰めればその間から、必ず篠竹が生えてくるし、土のままにしておいても草が生えるので、いっそ斜路にしておきたいくらいです。斜路にしておけば、芝生が勝手に入り込んでくるはずです。
オオムラの生垣の手前の、ごろた石を並べたところはタマリュウが植えてあったのですが、手入れが行き届かなくて草ぼうぼうになっていたところをイノシシに掘り返されて、えぐれていました。今度はここにはちょっと石を置いてみました。この石は焚火場の中に小路状に敷いてあったもの、イノシシに全部掘り返されて転がっていました。
向かって左の降り口はまだ、回りの篠竹を切り取ったくらいで、土も石も動かしていません。
正面のオオムラはともかく左右のサツキなど、いっそない方がいい気もしますが、イノシシが掘り返してもいないのに私が植木を引き抜くというのは気が咎めます。もともと、勝手に石を積んだのは夫、植栽したのも夫、しかし手入れは私一人でやってきました。
まぁ、そんな文句は飲み込んで、草たちが動き出す前に、なんとかもう少しきれいにしたいところです。
2025年2月21日金曜日
2025年2月20日木曜日
エドリカ・ヒューズのパッチワーク
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『パッチワーク絵』(文化出版局、1982年) |
宮脇綾子さんの展示会を見て、同じく布をたくさん持っていて、その豊富な布を縫い綴って絵にしたエドリカ・ヒューズさん(1907ー1999年)を思い出しました。文化出版局から、『パッチワーク絵』(1982年)という本も出ています。
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セント・デービッド大聖堂 90×80cm 1975年 |
エドリカさんは造形に関心の高い一家に育ち、父親の勧めで通った美術学校を卒業後、友人とスタジオを持ち、絵画の仕事などをしていました。
結婚して次々と5人の子どもに恵まれ、引っ越しや第二次世界大戦もあり、絵を描く暇はありませんでしたが、いつかパッチワークで絵を描きたいと、子どもたちに縫って着せた服の端布を捨てないで、丹念にためるようになりました。
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ヨークシャーの町 72×72cm 1981年 |
そして、リバプール近郊に住み始めた51歳のころから、パッチワークの制作に取り掛かりました。
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街の噴水(パリ) 72×72㎝ 1981年 |
東京で一度展示会があって、実物をたくさん目にしましたが、その布の使い方の巧みさには驚くばかりでした。
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窓辺のユリ 72×66㎝ 1976年 |
エドリカさんの娘である、友人の長島キャサリンが、
「あれは私のワンピースだったの。それからこれはインドネシアからお土産にした布」
などと、嬉しそうに解説してくれたものでした。長島夫妻は、1960年代初頭に3年ばかりインドネシアで暮らしていました。
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ウェスト・カントリーの雪景色 80×80㎝ 1973年 |
エドリカさんは、色別に16に分けた大きな袋の中から、使いたい布を探し出し、つくりたい形に切ってはピンで仮止めし、ある程度の大きさにした後布の端を折り込んで縫い合わせ、徐々に大きくしてつくります。
小さな下絵は描いていますが、実物の下絵は描かないで仕上げるというのだから、びっくりです。
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青と茶色の家のある風景 50×67㎝ 1979年 |
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部分 |
柄の小さい布だけでなく、柄の大きい布も大胆に組み合わせて、どの絵もとても立体的です。
布は色別に分けてしまっていたそうですが、その絵にぴったりの布を探すのは大変だったのかしら、あるいはそれが楽しみだったのかしら、楽しみだったような気がします。
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ハト 88×76㎝ 1972年 |
ジャッキー・ティルウィットさんは、エドリカ・ヒューズさんの実の妹さんです。
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モードレン・カレッジ 97×87㎝ 1976年 |
それにしても、5人の子どもたちはどんな服を着ていたのかしら?
パッチワークの素材になった布が、全部が全部子どもたちの服の端布ではなかったとしても、夏の短いイギリス(キャサリンはウエールズとしか言いませんが)で木綿の布がこんなにあるとしたら、四季折々、子どもたちはとても素敵な服を着ていたことでしょう。
2025年2月19日水曜日
猫の味覚
食べものに関して、先代のトラは何でも食べたがる雑食派でしたが、タマとマルは保守派、慎重派です。
トラは、冷蔵庫から肉を取り出しただけで、匂いにつられて台所に来て足元をうろうろし、食卓にパンの包みや夕食の残りをうっかり置いておくと、すかさず失敬して食べていました。朝起きてみたら、トラの顔より大きなあんぱんが、丸々食べられてしまっていたこともありました。そんなで、うっかりはできなかったのですが、好き嫌いがあまりなく、何でも喜んで食べてくれました。
ところが、タマ・マルは馴染んだものしか食べません。マルが怪我をしたとき、獣医さんから数日分の薬をもらい、
「つぶしてチュールなどに混ぜて飲ませてください」
と言われて、「猫が狂喜して喜ぶ」と世に言われているチュールを初めて買って与えたものの、どうしても食べなくて、そのときは口をこじ開けて無理やり薬をのどの奥の方に落として、口を押さえつけて飲み込ませる方法で乗り切ったものでした。
獣医さんにそのことを話すと、
「餌は一種類だけでなく、日ごろからいろいろ食べさせて、慣らしてください」
と言われ、以後、決まったカリカリだけでなく、チュールや猫缶を必ずトッピングして、少しずつ慣らして食べさせるようにしました。
さて先日、そのチュールを買うとき、いつものマグロやカツオだけでなく、とりささみというのを買ってみました。
チュールだからてっきり食べると思っていたのに、匂いを嗅いで無視です。
何度か匂いを嗅いで、タマは去ってしまいました。
マルももう一度匂いを嗅いで、そして行ってしまいました。
この日はチュールを取り除いたら食べたのですが、夕方もう一度試して、やっぱり食べなかったのでささみのチュールを食べさせることは諦めました。
タマ・マルは食卓にパンやおかずの残りを置いておいても泥棒することはありません。
ネズミも食べないようで、朝起きて、部屋の中にネズミのしっぽと頭だけが転がっていないかどうか、用心しながら歩かなくてはならないということもなく、安心していられます。ただ、たくましさは足りない気がします。
幼猫用のドライフードから、成猫用のドライフードに切り替えたときは、2種類のドライフードを混ぜて、その割合を少しずつ増やして切り替えました。その後、選んだ成猫用のドライフードがとんでもなく値上がりし、別のメーカーに切り替えるときもそうしました。
そして1種類だけでは不安なので、日常的に2種類のドライフードを混ぜて食べさせています。
何でも気軽に食べて、でも泥棒する猫と、決まったものしか食べないで、でも泥棒なんか絶対しない猫と、どちらがいいかなどと比べるのは人間の勝手で、あるがままに受け入れる以外ありません。
ちなみに、マルと先代のトラ、先々代のミャオはお湯が好き、かなり熱くてもいけるし、トラはコーヒーも好きでした。でもタマは、冬でも冷たい水しか飲みません。
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