2010年9月30日木曜日

ビン詰めウニのビン



自分では一度も買ったことのない、ビン詰めのウニですが、ときどき、下関に住む友人から、送られてきます。
おいしくいただいて、ビンを捨てようと洗いながら、「それにしても、どうして、ウニのビンはこんなに厚くできているのだろう」と思い、ふとおはじきを入れてある、昔のウニのビンと比べてみる気になりました。

右が新しいビンで、左が古いビンです。デザインはほとんど変わっていません。中のおはじきを出してみると、古いビンもやっぱりガラスの厚さは、普通のビンよりずっと厚くできていました。




古いビンにはエンボスがあります。「名産」と右から読むので、戦前のものでしょう。
たぶんこれも下関のもの、下関では、容量を多く見せるために、70年以上前から、ずっと厚いビンを使っていたのですね。これも一つの智恵ですが、当時でしたら、ビンの材料費も貴重だったと思われますから、昔は今よりさらにビン詰めのウニは、貴重品だったのでしょうか。

ネットで検索してみると、なぜウニのビンが厚いのか、誰でも気になるみたいで、それに関する記事がありました(お互い暇!笑)。それによると、ガラスを厚くするのは、ウニを美しく見せるためでもあるようです。
古いビンは12角形で、新しいビンは8角形です。




古いものには、蓋にもエンボスがあります。




古いうにビンには、割合たくさんのおはじきが入っていました。
試しに新しいビンにも入れてみると、外見の違い以上に少ししか入りませんでした。




底から見たところです。新しいビンのガラスは、さすがに厚い!容器としての直径は、本当に小さいものでした。



2010年9月29日水曜日

台所道具 アラブ料理編



所変われば、料理が変わる。料理が変われば、料理道具が変わる。
市場をのぞいてみて、使い方も知らなかった料理道具が見つかるのは、とても楽しいことです。

パレスチナの、東エルサレム、ベツレヘム、ナブルスなどには、城壁に囲まれた、旧市街があります。車の入れない、石畳の小路は入り組んでいますが、石を積んでつくった古い家も入り組んでいて、部屋が小路の上に張り出していたり、おやと思うところに、らせんの石段があったりします。旧市街は、住んだこともないのに、なんだか懐かしい、不思議な気持ちにさせられるところです。
小さな商店が並ぶ一角は、いつも買い物客でごった返していて、アラブ・コーヒーに入れるカルダモンの匂いや、他のスパイスの匂いがあふれかえっています。日常生活に必要なものは、なんでも手に入りそうでした。

そんな旧市街で見つけたのは、ズッキーニやナスなどの野菜に穴をあけて、ドルマ(マハシー)をつくるための道具です。
ドルマは、お米とひき肉やタマネギを混ぜて味つけしたものを、野菜に詰めて、トマト味のスープで煮た料理で、エジプト、シリアなど、他のアラブ諸国でも食べられています。

パレスチナのドルマの定番は、小ぶりのズッキーニのものと、ブドウの葉でお米ミックスを巻いたものでした。




ドルマはとってもおいしい料理ですが、お米が入っているせいか、三つ四つ食べると、けっこうお腹がいっぱいになってきます。しかし、ここからが踏ん張りどころなのです。

もと同僚のYさんは、日本人にはけっこう厳しいのですが、パレスチナ人には絶対に嫌な思いをさせない、優しい人でした。パレスチナ人の家でご馳走になるときは、男性と女性は別々に食卓を囲みますが、外国人の場合、女性でも男性と一緒の食卓につくこともあります。
男性用に料理が出されると、その席にいない人の分まで全部、大鍋や大皿に盛られていますから、ごちそうは、絶対食べきれないと思えるほど、たくさんあります。

私など、それを見ただけで圧倒されて食欲が落ちてしまいますが、Yさんは勧められると断らずに、いくらでも食べるのです。真似をしてみます。それが礼儀に適っていると、一生懸命食べるのですが、ドルマは七つ八つと食べると、どうがんばっても、もう胃に落ちていかなくなります。
それもそのはず、食事に行き着くまでに、炭酸飲料が出され、コーヒーが出され、紅茶が出され、しかもそれが、朝から二軒目のお家だったりすると、食べはじめる前から、お腹がいっぱいだったりするのです。

Yさんは日本人男性には稀な、まめな人で、休日には駐在事務所の台所で、ドルマやマクルゥバなど、いろいろなアラブ料理をつくってくれました。Yさんが使っているのを見なかったら、これがズッキーニの芯を抜く道具だなんて、知らずにいたことでした。




これは、何でしょう?
ニンニクつぶしにも見えますが、下の突起と、それを受ける丸い部分にヒントがあります。




広げると、こんな感じ。穴の開いた部分は、もしかしたらニンニクつぶしにも使われているのかもしれませんが、右の穴は、オリーブの種取りでした。
オリーブを、穴に縦に入れて、




上から押すと、種がはじき出される仕組みです。種つきのオリーブ漬けが一般的ですが、種を取り除いた穴に、ピメントなどを詰めると、また違ったオリーブ漬かができるというわけでした。

パレスチナの春は、オリーブ畑の足元にアネモネ、ひなげし、菜の花などがいっせいに咲きそろいます。また、アーモンド畑は、桜より大きめの花で、全体が薄桃色に染まり、それはそれは美しいものです。

そして、秋のオリーブの収穫の時期には、一家総出で実を落として、搾り機のところまで運びます。オリーブオイルを絞るいい匂いが、あたり一面に漂って、千年も続く営みが、つかの間の喜びをもたらすのでした。





2010年9月28日火曜日

他人の褌(失礼!)で



先日、我が家で見学会がありました。自力建設のエコハウス見学といううたい文句でしたが、参加者のみなさんは、参考になったでしょうか?
私たちが企画したものではありませんが、一度に40人以上の訪問は、過去最高の人数でした。




記録係をしていたRさんが、そのとき撮った写真を送ってくれました。
30万円もするカメラを借りてきたと言っていましたが、う~ん、カメラのせい?それとも腕のせい?なんだか、私の撮る写真よりずっと素敵に撮れています。
というわけで、玄関あたりを、Rさんの褌(写真)を借りて、相撲をとって(ブログを書いて)みました。

玄関扉です。枠だけつくってもらって、中の格子の部分は自分でつくりました。扉の右の細いガラスのあたりがちょっと変?
そうです。まだ完成してないのです。早く、なんとかしなくては。




外の格子からつくりはじめましたので、中の格子は仕上げのために、違う方法でつくってあります。
この扉は、外の板と中の板の間に、ウールの断熱材も入れてあります。作業の工程のうち、目に見えているのはほんの少しで、ほとんどの工程は、見えないところに隠れてしまっています。

右の収納が靴箱で、左には掃除用具などが入っています。
土間の部分に敷いてあるのは大谷石です。8枚がちょうど納まるサイズで注文して、栃木県大谷まで軽トラックで取りに行きました。
大谷石の質感が大好きですが、最近では希少品になっていて、値段が高く、なかなか使えません。これも、厚さはたったの5センチほどです。
敷きはじめは楽勝ですが、最後の一枚を、どう嵌めるか、そこが苦労のしどころ、腕の見せどころです。




玄関ホールの反対側は、夫の自信作の、ケヤキでつくった階段です。
買って来たケヤキもありますが、「薪にしなさい」といただいてきた、売り物ではないケヤキも使っています。薪用の板からも、幅が細い材や、短い材は、十分取れました。
何年も寝かせて、十分乾燥させてから加工したのですが、ケヤキは切っているそばから暴れます。鋸で、縦半分に引いていて、両方に反って開いていjくならまだしも、切っている方向に絞めつけてくると、鋸が、まったく動かなくなってしまいます。
引く前は平らだった板も、半分に引くと、飴のようにねじれてしまうし、ケヤキは本当に大工泣かせです。おまけに、長い材は重いし。というわけで、階段づくりは夫が一人でがんばりました。




階段の踊り場に立って、二階を見たところです。
正面に見えている戸棚は、適当な置き場所がなかったので、玄関ホールの吹き抜けの途中に、わざわざ専用の床をつくって置きました。




下から、見上げると、こんな感じに、戸棚専用の床が見えます。




二階に上って、東の部屋、招き猫の展示室を見たところです。
天井は、今では照明が目につきますが、一番大変なのは、柱だけでなにもないところに、重い梁を組み込んで、床をつくる作業でした。この上は、OMソーラーの機械室になっています。




そして、西の展示室です。
二階にあるのは、生活非必需品ばかりで、日ごろ夫にも悪く言われていますが、まあ、訪問者が楽しんでくれるということで、勘弁していただきましょう。

Rさん、ありがとうございました。


2010年9月27日月曜日

フィギュア 犬の生活



昭和猫のことを知らせてくれた、当時は暇だった息子から、
「コンビニの、犬のフィギュア売っているけど、いる?」
と、またまた電話がかかってきたのは、5、6年前でしょうか。私はどちらかと言えば猫派ですが、
「うん、買っておいて」と、軽く返事。

それが朝隈俊男の、ユージン「犬の生活パート1」でした。




昭和猫もよくできていましたが、犬の生活のよくできていること、暇だった息子に感謝です。

座布団に座ってお茶を飲んでいるのは、ラブラドールレトリバー。




腕組みして、不適に笑っているのは、ブル・テリア。朝隈さんの代表作のようです。




お風呂に入っているのは、ボストンテリア。




そして、お澄まししているのはチワワ、笑い転げているのは、ミニチュア・ダックスフンドです。

作家さんの一点ものは、値打ちがあるのでしょうけれど、フィギュアになって安価でたくさんの人を楽しませるのもまた、とても素敵なことです。



2010年9月26日日曜日

遊んでみました



Shigeさんが、砂浜で撮った写真に触発されて、遊んでみました。
仙台の堤の、おひなっこやの招き猫。




青森の下川原土人形の招き猫。




そして、唐突ですがなっちゃん。

実は、我が家の長男が「なっちゃん」なのです。それで、なっちゃんをなんとなく集めだして。今では結構な数になりました。
次男は「うーちゃん」です。ぼんやりしていましたが、「うーたん」というキャラクターや、「うーくん」というキャラクターがあったのですね。最近まで、全然知りませんでした。




奥に写っていた招き猫がおひなっこやの本物で、手前の招き猫は、フィギュアでした。




中国と日本は、今、もろくて微妙な関係ですが、「中国の職人さん、お見事!」と、声をかけたくなるような、出来栄えです。




下川原招き猫のフィギュアは、実物の半分くらいの大きさだったので、撮影は楽勝でした。




そして、なっちゃんです。

ただ、海岸など戸外に比べると、室内では遠くのものでも大きさがわかりやすく、あまり大きさの違うものは、うまく撮れませんでした。




例えば、この高崎張子の招き猫、本物は一尺のもの、フィギュアは5.5センチほどです。




もっと、奥行きのある台を使えばよかったのですが、これで精一杯でした。
後ろの張子が、前のフィギュアを威圧しているようでした。



2010年9月25日土曜日

使っていますよ! おばあちゃん



明治中ごろに生まれた私の祖母は、食器類に関しては、どちらかというとハイカラ好みでした。
使っているお皿類は、自分の月給(教師をしていた)で買ったというノリタケなどの洋皿が多くて、古いものなんて、およそ関心がなさそうでした。

というわけで、この三つ重ねの鉢は、お手洗いの横の、ごくごく不用品を入れておく物置に、埃にまみれて、無造作に入れてありました。お手洗いと言っても、今風のものではありません。一旦、縁側の雨戸を開けて、屋根はかかっているけど壁のない板の間に出て、その先にあるようなお手洗いでした。背の高い石の上には、手水鉢が置いてあり、その横には南天が植えてありました。

物置に一緒に入れてあった、もっと古い芙蓉手の大皿なんか、真っ二つに割れていました。金つぎに持っていった、目黒の骨董屋さんから、「おしいなあ、割れてなかったら、50万円するよ」と、言われたほど、素敵なおさらでしたが。




鉢は明治後期のものでしょうか、厚ぼったくて、呉須ではなくてコバルトの絵付けです。煮物が映えるので、よく使っていましたが、最近は年のせいで、少々重く感じるようになりました。一番大きい鉢の直径は29センチです。





この鉢は、祖母にとっては台所の必需品でした。盛り付け用ではなくて、アルマイトのボウルがまだなかったころから、ボウルとして使っていたのです。呉須に赤絵の入った鉢も使っていました。

自転車の後ろに荷を積んだ魚屋さんが来て、穴子を20尾も買った日は、この鉢にたれを入れて、開いた穴子を次々に浸し、七輪で焼きました。
漁師町で生まれた祖母は、川魚はいやだと、うなぎは食べませんでしたが、穴子の蒲焼はよくいただきました。




私は、一度にあんなにたくさんの穴子を買うこともありませんし、この鉢をボウル代わりに使ったこともありません。でも、サラダを入れたり、ときにはそうめんを入れたりして使っています。直径は24センチです。




祖母は大の麺類好きで、とくにそうめんが好きでした。
夏になると、毎日食卓にそうめんが上りますが、そうめんを盛るのはガラスの鉢と決まっていました。もう一つ、ワイン色の鉢があったのですが、いつだったか、引越し荷物の中で割れてしまいました。




そうめん汁を入れるのは、そば猪口や小鉢ではなくて、コップでした。ちょっと緑がかった、縦に筋のあるガラスの、今でも骨董屋さんが持っているような、ありふれたコップです。
ガラスの鉢が、薄暗い茶の間の、ちゃぶ台の真ん中に乗っていた光景、今でもはっきり覚えています。直径は20センチです。




片口は、食器ではなくて、保存容器でした。
おしょうゆを入れて、木の蓋をして、台所に置いてありました。祖母の家の台所は土間で、流しとかまどのあいだに、お餅をつくための石臼が置いてありましたが、普段はその臼に蓋をして、その上にこの片口や味噌の甕が置いてありました。




めん汁を入れたり、煮物を入れたりと、我が家では保存容器から食器に昇格(?)しています。

大きな地震のときに、割れてしまったお皿もありましたが、こうして、祖母から受け継いだ食器たち、日々食卓を彩ってくれています。



2010年9月24日金曜日

サンプラプーム・チャオ・ティー



タイの家には、敷地の一角に、サンプラプーム・チャオ・ティー(土地の精霊の社)が建っています。その土地の神様を祀る、土着信仰(アニ ミズム)の社(やしろ)です。
スラムの中の、廃材で建てたバラックのような家にも、粗末なサンプラプーム・チャオ・ティーが建っていますし、大きな企業やホテル、学校などの近代建築の敷地にも、建物に見合った豪華なサンプラプーム・チャオ・ティーが建っています。

近年の、特に大都市のサンプラプーム・チャオ・ティーは、ほとんどがコンクリートでできています。
テーブルの真ん中にお社や、ヒンドゥーの影響を受けた祠堂を配してあり、周りには、線香を立てたり、木や石膏でできたミニチュアを供えるための、十分なスペースがとってあります。




信仰心の厚い人たちは、サンプラプーム・チャオ・ティーに、毎朝お線香をあげて、花輪や水を供えます。
宝くじが当たるというので評判になり、「もし当たったら、今お供えしたのよりもっと大きな象を持ってきます」とお願いした人から奉納された、本当の小象ほどもある木彫りの象の置物で、あふれかえっている、有名なホテルのサンプラプーム・チャオ・ティーには、参拝者が絶えません。




サンプラプーム・チャオ・ティーは、家だけではなく、精霊が住む大木や、菩提樹のような聖なる木の前にも建てられています。
木端を使ったもの、トタンと木の組み合わせなど、手に入るいろいろな材料で手づくりされたものもあります。




サンプラプーム・チャオ・ティーにお供えする、水牛、豚、牛、兎、鶏などのミニチュアです。他にも、若い男女や、おじいさん、おばあさんなどがあります。
もともと、ミニチュアは木などでつくられていたのかもしれませんが、今、市場で手に入るものは、全部石膏でできています。




古い形の、サンプラプーム・チャオ・ティーです。
というより、タイ・スタイルの家のミニチュアを、私が勝手にサンプラプーム・チャオ・ティーと思いこんでいるだけかもしれません。

このやしろ(家?)に合う大きさの人形や、お供え物の果物は、まだ小さかった息子たちと一緒に、紙粘土でつくりました。




横から見ると、高床のタイの家の特徴をよく表しています。タイの家は、まっすぐな壁を嫌って、壁が上に行くほど狭まっています。
博物館にも一棟、タイの家がありますが、実際にバンコクでこんな家に住んでいる、お金持ちの友人がいました。チークの厚い板の床がひんやりとして、冷房なしでも、実に快適でした。




後姿も、なかなかよくできています。


2010年9月23日木曜日

握り鋏



小学校も高学年になると、家庭科の授業がはじまり、みんなでおそろいの裁縫セットを、用意したものでした。
裁縫箱は、私のころはセルロイド、息子たちのころにはプラスティックでしたが、中身は似たようなもの、糸切り用には、もちろん小さな握り鋏が入っていました。

握り鋏は、母の裁縫箱にも、祖母の裁縫箱にも入っていました。
日本では、そんなにありふれた握り鋏ですが、海外では、めったにお目にかかりませんでした。はさみといえば、2ピースに別れているものがほとんどのようです。




ではまったくないかといえば、そうでもありません。
大きな、大きな握り鋏はイギリスのもの、羊の毛を切るためのはさみです。
私が小さい頃でさえ、羊の毛はバリカンのようなもので刈られていましたから、いったいこの鋏、いつ頃まで使われていたものでしょうか?

そして、下の細長いのはタイの握り鋏です。

U字形をしている握り鋏は、研ぐときは、えいやっと延ばして、I字形にしてから研ぎます。それをはじめて見たときには、びっくりしましたが、今では握り鋏を研げる職人さんが、ほとんどいなくなったようです。




タイの握り鋏は、この形からして、I字形にひろげられませんから、研ぐのには最初から限界があります。が、それはそれ、細部の仕上がりは優美で、タイらしさがあふれています。
もっとも、タイは鍛冶屋の発達しなかった国ですから、どこか他の国に発注したものかもしれません。




そして、羊の毛を刈る鋏の形は、最近まで知りませんでしたが、現代にも生きていました。
右の鋏は、いったい何を切る鋏でしょう?

これは、壁ぎわなど、芝刈り機では刈れない、端や隅の芝を切る鋏です。
羊の毛を刈る鋏でも、芝は切れます。でも、新しい芝刈り専用の鋏の方が、より軽やかに切れます。これを手に入れてから、踏み石のわきの芝を刈ったりするのが、とても楽しくなりました。