2010年3月31日水曜日
農具 トラビエット
カンボジアの農家で、おしゃべりをしていて、脱穀の話になりました。
「タイでは、二本の棒を結んで、それで稲束をはさんで脱穀するのよね」と、私が言うと、「これのことかしら?」と、納屋から取り出して見せてくれたのが、このトラビエットです。
タイのものは、ただの棒でしたが、さすが木工のカンボジア、素敵な形に削りあげてありました。
この、紐を結んだ位置が、左右でずれているのがミソです。尖った方で稲束をすくい取り、くるっと巻いて、板に叩きつけ、脱穀し終わったら、トラビエットを上手に使って、稲わらを遠くに投げます。ただ、手で投げるより、トラビエットを使った方が、稲わらはずっと遠くまで飛んで行きます。稲わらはすぐにたまって、脱穀の邪魔になりますから、遠くで山になってくれる方が、ありがたいのです。
使い込んで、つるつるに光っている、美しいトラビエット。
パルメラヤシの葉柄で新しい紐につけ替えて、「さあ、もっていきなさい。家ではまたつくるから」と、プレゼントしてくれました。
これが、トラビエットを使って、実際に脱穀しているところです。タイやカンボジアの在来種は脱粒性が高く、板に打ちつけるだけで脱穀できます。刈るときには、米粒を落とさないように気をつけないといけませんが、脱穀機要らずで、音も楽しげで、かつては若い男女の親しくなる場だったとも聞きました。
田んぼの向こうには池が、そしてパルメラヤシが見えています。
農家の猫。この猫は、しょっちゅう、身体をねじってくつろいでいました。
2010年3月29日月曜日
春の助っ人
友人の息子から、遊びに行きたいとの連絡がありました。
「大学に合格したんだって。おめでとう」、「ありがとうございます。お父さんから連絡がありました?」。
「いえいえ、お父さんは今、死んだ振りをしているんですよ、合格のことは、別のところから聞きました」な~んて、口が裂けても言えません。例の宿題嫌いのお父さんです。
まあ、そのうち、ほとぼりが冷めたら、お父さんも生き返って、連絡もあることでしょう。
彼は3年前、日本の高校で農業を学ぼうと、単身インドからやってきました。そして、慣れない漢字などに苦労しながら高校を卒業して、みごとに、国際基督教大学に合格しました。ご両親としては、嬉しいやら、寂しいやら、受験に失敗したら、すぐにインドに帰る約束でしたから。
大学の寮に入る前の数日間、彼は青春18切符でおじいちゃん、おばあちゃん(お母さんのご両親)のところや、高校の先輩のところをまわって、我が家にも来てくれたのです。
彼にも手伝ってもらって、我が家の作業場建設予定地は、最後の建物を取り除きました。あとは、重機を借りてきて整地し、いよいよ着工の日を迎えようとしています。
2010年3月28日日曜日
かまど
世界には、いろいろなかまど(七輪)があります。「土のかまど」という、分厚い本も出ているくらいです。
持ち運べるものもありますが、中国や一昔前の日本のように、土でつくりつけた大きなものや、ガーナやバングラデシュのように、庭先に五徳状に土を盛り上げて固めたものもあります。
燃料の少ないヴェトナムでは稲わら専用のかまどがあったり、おがくず専用のかまどがあったり、その土地に合わせて、いろいろなかまどがつくられています。
右の二つはカンボジアのかまど、左のものは、一部ままごと道具でUPした、タイのかまどです。
タイのかまどの内、これらは伝統的な形です。前から薪を入れて使うのに便利な形になっています。
こちらは、薪ではなく、炭を使うのに便利なかまどです。比較的新しいものなのか、それとも薪用、炭用が併用されてきたのか、詳しいことはわかりません。
そして、かまどに乗せるお鍋。タイには、「飯鍋、汁鍋」という言葉がありますが、これは汁鍋で、一番大きいものは、実際にレストランなどで今も使われています。
カンボジアのかまどは、以前ままごと道具でUPした、改良かまどと、左は従来型のかまどです。
こちらは、改良型のかまどをつくっている工房の写真です。
説明してくれているのはおばあちゃん。カンボジアのおばあちゃんたちは、だんなさんや家族の誰かが亡くなると、すぐに在家のままで半出家し、髪を剃って、白と黒の衣装しか身にまとわなくなります。
こんなおばあちゃんたちが、お寺の縁日などで10人も集まり、おまけにみんな歯がなくなったりしていると、異様なので何とかして欲しいのですが、文化なのでしかたありません。
それに比べると、いつまでも長い髪を美しく結いあげて、毎朝華やかな生花を髷にさす、ビルマのおばあちゃんたちの方がずっと素敵なのですが、坊主頭の方が髪を洗うのが簡単で、水の乏しいところでは、むしろ衛生的かもしれません。
これが在来型のかまどで、ほとんどの家でこれを使っています。手前のものは、焼き物の輪が乗せてあり、その上にお鍋を乗せます。薪は、毎日使うので、いつも不足気味、ここでも貧弱なものを使っています。
こちら、お寺の縁日でフライドチキンを売っているおばちゃんのかまどです。七輪の左手に見えるのは薪でしょうか?炭ではなく、七輪でも薪を使っているようです。
焼き物のかまどやお鍋は、カンボジアでは産地の人が大八車に積んで売りに来ます。これはもう、荷物の背があまり高くないので、すでに3分の1、あるいは半分は売ってしまったようです。広告塔もかねて、商品を両脇に見せていますが、中には藁を詰めて、商品をぎっしり積んでいます。かまども見えています。
焼き物屋さんは、大八車を牛に引かせて、商品を売りつくしたら、牛も大八車も全部売って、手ぶらで故郷に帰って行ったそうですが、今どきの焼き物屋さんの中には、オートバイで行商している人もいます。オートバイと大八車は売り払わず、大八車には、村で売れるようなものを乗せて帰っていくのでしょうか?
七輪型のかまどと、在来型のかまどは、大小二種類見えています。
2010年3月27日土曜日
春はひたひた、やってくる
2010年3月26日金曜日
点滴チューブ細工
1979年初頭、ヴェトナム軍を後ろ盾にしたフンセンの攻撃はポル・ポトを追い詰め、カンボジア人は4年ぶりに、ポル・ポトの狂政から開放されました。
タイ国境にはカンボジアを後にした人々が、続々とやってきましたが、途中で地雷を踏んだり、栄養失調で倒れたりと、たくさんの人々が、たどり着くことさえできませんでした。
タイ国境沿いに、難民キャンプが開かれた当初は、キャンプ内の病院は、病人とけが人であふれかえっていました。1980年に入ると、状況は急速に落ち着きを見せてきましたが、国境周辺ではまだ戦闘も続いており、平和とは程遠い日々が、それから何年も続きました。
1980年の初め頃、国連は、毎朝6時に、バンコク発-国境行きのバスを出していました。手が足りないので、誰でも手伝いに来て欲しかったのです。
当時、私たち家族はバンコクに着いたばかりでした。お手伝いしたい気持ちはありましたが、難民キャンプでの仕事は、血でこびりついた衣服を脱がせたり、身体を消毒したりすることだと聞いて、私は二の足を踏んでいました。自分の子どもの、ちょっとした怪我の血ですら、まともに見られないことを考えると、とうとう参加する決心はつきませんでした。
そんな、難民キャンプで、使用後は廃棄されるのが運命の点滴チューブで、こんな素敵な細工をした、芸術家がいました。おそらく、ヤシの葉細工のつくり方を応用したものと思われますが、チューブの特性も生かしているので、硬いヤシの葉細工とは、一味違う仕上がりになっています。
私が直接もらったものではなく、難民キャンプで働いていた友人を通していただいたものです。
パイナップルのつくり方は簡単ですが、葉に切込みを入れているところが素敵です。紐がついているのは、首(?)にかけられるようになっています。
ビニールチューブだけで、こんなにエビの雰囲気が出せるのです。ただ、感心するばかりです。
金魚も、生き生きとしています。目は、チューブではなく、別の部分を使っています。円筒形のプラスティックの真ん中に空いた穴を目玉に見立てています。
パイナップル、エビ、金魚、どれも赤い色が見えますが、中部の内側に色水でも入れて着色したのでしょうか。
長い年月を経て、ビニールチューブはちょっと黄色く変色してしまいましたが、生き生きとした感じは当時のままです。
2010年3月25日木曜日
ソマリアのガラスビン
二階の棚づくりが進むに連れて、まだ残っている段ボール箱を開けると、小さなガラスビンが出てきました。
左は、エチオピアの国境に近いソマリアの田舎町、ルークの定期市で買ったものです。いったいどこから流れてきたものか、なにが入っていたものか、不明です。極々小さいので、目薬でも入っていたのでしょうか? 気泡が入っていて、素敵なガラスです。
このときは、ロバにつける金具と、ガラスビンだけ買いました。
右のビンは、たぶん、中国や東南アジアの人たちが頭が痛いときなどに、鼻の下やこめかみに塗ると、すーっとする液体が入っていたものです。
バンコクの週末市場、チャトチャックで買った可能性もありますが、とっても汚かったし、匂いもしていた記憶があるので、もしかしたら、どこかで拾ったのかもしれません。
これが、重いロバの金具です。やはり、口にはめて使ったのでしょう。写真に撮ってみると、なんだか赤ん坊のようにも見えます。
ガラスも好きですが、鍛冶屋さんの仕事も大好きです。
2010年3月24日水曜日
張子の動物 ビルマ
ビルマに行ったとき、ラングーンのお寺で、縁起物の張子のフクロウを見たときには、嬉しくなりました。張子と出会うなんて、考えてもいなかったからです。
そして、マンダレーに行ったら、狂喜しました。素敵な張子の動物たちが、お寺の境内にぶらさがっていました。ラングーンで買ったフクロウが、瞬く間に色あせて感じられたほどでした。
この象は大きくて、高さが30センチもあります。
張子は、木で型をつくり、それに手漉きの紙をぬらして貼り、紙が乾いたら、切り開いて中の型をはずし、開いたものをまた張り合わせてつくります。
達磨のような単純な形なら、二つに割るだけで、中の型を取り出せます。しかし、象のように鼻、足、しっぽなどがあると、切り開くときに、たくさんのパーツに切り分けないと、中の型は取り出せません。
とても手がかかりそうです。
犬もいました。足の長い、スマートな犬です。
馬もいます。
馬を前から見ると、左右対称ではありません。もし木で型をつくるとしたら、ゆがんだ型をつくるでしょうか?それとも、木の型は部分だけで、あとは別の方法でつくっているのでしょうか?
牛も素敵です。あのあたりで見かける、背中にこぶのある牛です。
牛を前からみたところです。前足がそろってないところが、なんとも雰囲気を出しています。
これは、マンダレーの別の寺院の牛です。そのお寺ではフクロウと牛だけ売っていました。
色使い、形など、前の牛とは、ちょっと雰囲気が違います。
前から見たところは、なかなかの太っちょさんです。
あのあたりの牛は、草と藁だけ食べていて、いつも餌が不足しています。そのため、こんなにふっくらとはしてなくて、あばら骨が見えて、がりがりに痩せているのですが。
たくさんの張子を手に入れ、ぶら下げて歩いていたら、町で男の子に、「張子をちょうだい」と声をかけられました。
「あなたは、ここに住んでいるのだから、これから買えるチャンスがあるでしょう。でも、私はあなたにあげちゃったら、もう二度と手に入れられないのよ」
そんな理屈を言って、欲張りの私は断ったのですが、そのときの男の子は、あれから張子を手にできたでしょうか?
もう、30年も前の話でした。
2010年3月23日火曜日
張子の人形
紙でつくった、張子の人形。
もろくて、壊れやすいのですが、見ると、欲しくなってしまいます。この女の子は、ビルマの中部の古都マンダレーの寺院で買いました。大きな人形で、足を伸ばすと、高さが40センチもあります。
同じとき買った男の子、こちらは18センチと、小さいものです。
どちらも、タコ糸がついていて、お寺の境内にぶら下げてありました。今ではちょっと色あせましたが、鮮やかな色で、歴史の中に沈んでいるようなお寺を背景に、ぴかぴかに目立っていました。
このときは、象などの動物の張子も買ったので、もう帰りの飛行機の中では、つぶさないように持っているのがたいへん、ほとんど張子の召使状態でした。
こちらは、メキシコの女の子です。糸で留めてある手と足が動くところなど、ビルマの張子とそっくりです。こちらの方が、ずっとお姉さんには見えますが。
高さは26センチです。
2010年3月22日月曜日
2010年3月21日日曜日
マッチ箱に広がる世界
あるのが当たり前だと思っていたら、いつのまにか姿を消しているものが、数多くあります。
フィルム(まだ、あるけど)、ワープロなどが記憶に新しいものですが、マッチも姿を消しました。
ときに、使い残りのマッチを、引き出しの片隅などで見つけることがありますが、消費期限が切れたのか、すっても、頭が崩れるばかりで、いっこうに火はつきません。
これは、南アフリカの、ズールーのマッチです。
たぶんプリントだと思いますが、素敵な絵が張ってあります。
果物の収穫。リンゴでしょうか。それとも、落ちたものを拾っているから、別のものでしょうか?
たぶん、主食のトウモロコシを、搗いて、粉にしているところでしょう。
そして、食事の支度。お父さんは、薪を運んできているのでしょうか。後ろの方には、トウモロコシを搗いていた臼も見えます。
そして、楽しい食事の時間です。
こちら、家畜の柵のあたりでは、子どもが、手づくりのおもちゃで、得意げに遊んでいます。家の壁のペイントも素敵です。
そして、学校の授業風景です。
こんな小さなマッチ箱三つですが、ズールーの人たちの楽しい生活の様子が伝わってきます。
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