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2026年6月17日水曜日

羊のお土産

織物教室の友のきくちさんが、先日盛岡で開かれた体験型イベントの「ウールピクニック」に行きました。
羊毛好きな人の集まりで、大盛況だったようでした。


そして、可愛いお土産をいただきました。羊の手拭いです。


羊は、種類によって、白い毛グレーの毛茶色い毛、硬い毛柔らかい毛、長い毛短い毛、いろいろな毛をまとっています。


きくちさんは、羊の催しものがあれば、1頭の羊の毛を丸々刈る毛刈り体験であれ何であれ、東へ西へとフットワーク軽く出かける人で、盛岡まで日帰り、ウールピクニックの広い会場でたくさん歩いて、楽しいひとときを過ごしたようでした。


イベントに、羊を飼っている人、織物道具をつくっている人、羊の人形をつくっている人など、いろいろな人が出店している中で、きくちさんを惹きつけたのは、柔らかいジャコブ種のフリース(1頭分の毛)でした。普通はもっと硬い毛なのだそうです。
しかも、初出店したという店主は初めて毛刈りしたものだからと、市価の半値で売ってくれるとのこと、原毛に不自由していないきくちさんですが、いそいそと1頭買いしたとか、そのお裾分けをいただきました。


この魅力的な毛は、混ぜて梳いて撚りをかければグレーの糸になり、色を分けて梳けば、まだらの糸ができます(かな?)。


これがジャコブさんです。









2026年6月1日月曜日

本棚に並べました

しばらく前から織物教室の本棚をつくっていました。
そこには元から棚があって、本の他に染め物のための薬品類や各種はかりなど置いてあったのですが、3段しかなくてとても使いにくいもので、雑然としていて、本はどれも斜めになって歪んだり傷んだりしていたので、新しい棚をつくることにしたのです。


スクラップブックやバインダーなど大型の書類が多いので奥行きが欲しい、板は貼り合わせなくてはなりません。
そこで、材木屋さんから幅が21センチ、厚みが24ミリ、長さが3.6メートルの破風板を6枚買ってきて、1枚と半分をつないで、およそ30センチ幅の板にしました。


5月の初めに細工を終え、家で組み立てると運ぶのが大変なので、板のままで運んで教室で組み立てました。


ところが、切り込みがちょっと狭くて入りにくいところがあったり、板が長すぎたところがあったりして、組み立てに思ったより時間を取られてしまいました。
重いし面倒なので、家で一度も組み立ててみなかったのですが、組み立ててみるべきだったでしょうか?


電動丸鋸も普通の手鋸も持って行かなかったので、唯一持って行った釘穴にさす埋木を切るためのチリのない鋸(薄いのでくねくね曲がりやすい)で、板を切り詰めたりしました。

その日のうちに組み立て終わったのですが、5月は私が風邪をひいたり、夫が風邪をひいたりして、織物教室には一度も行くことができませんでした。


そして今日、やっと行くことができて、並べるのを待っていてくれたきくちさんとさかいさんと3人で、4月半ばに古い棚から出しておいた本や、母屋の織り機が置いてある部屋の資料などを本棚に並べることができました。
本棚は、縦には2枡に仕切りましたが、これを3つに仕切ると容量は減るのですが本は倒れにくくなります。どちらを取るか悩ましいところでした。
壁に照明器具が設置されていたので、それも組み込んだ天井までの棚をつくろうかとも思ったのですが、滅多に使わない照明ですが、うっかり横に本などを詰めて割れたり、熱を持ったりすると危ないので、本棚は変形させました。
また、背の高い本が下の方にある方が安定感があるのですが、背の高いスクラップブック類の数からして、下に持ってくると他の段の高さに影響して全体に無駄が出るので、最上部に持ってきました。

紙袋には、織物のサンプルなどが入っています。ファイルボックスを使うと、もっときれいに収まるかもしれませんが、ただ突っ込むだけでなく、内容を理解しながら分類して片づけるとなると、おそらく時間がいくらあっても足りないでしょう。
今日も、織り物作業は全くできなかったので、片づけはこれまででよしとするつもりです。







 

2026年5月11日月曜日

かせ繰り機

 

織物教室に置いてあった、かせ繰り機です。
近藤さんがどこかでもらったものなのか、使っていた形跡のないものでした。


というのも、鉄の心棒が曲がっていて、竹も折れていて、おそらく手に入れた時から使えない状態だったと思われます。
竹を切るのに最も適した季節の11月に修理しようと思って、昨夏には鉄棒を買って冬の来るのを待っていたのですが、うかうかしていて、竹を切る季節はとっくに過ぎてしまいました。


このまま、次の竹切りの季節を待っていても、また切らないかもしれない。それよりはと、テーブルソーで落とした杉の端材を使ってつくってみることにしました。織物教室の現役のかせ繰り機も杉材を使っています。


まず、元の竹と同じ長さで6本揃えました。


きれいに磨いてから、端に紐を結ぶためのくびれをつくります。


心棒には細めの篠竹を通しておき、その両端に穴を開けた薄板を通し、麻紐で左右の薄板をつなぎます。
麻紐は持っていた麻の双糸をもう一度撚り合わせて、それをダブルにして使い、次々と3組つくりました。


さて、使いものになるかな?


心棒を片側は穴に通すので、薄板などを取りつけた後では、本体に据えつけにくかったけれど、手前だけ押し上げてかせを掛ければいいので、かせ繰り機として十分使えそうです。


かせを掛けてみました。
かせによって長さが違います。自分でつくったかせでも、糸を洗ったら縮むので、そんなとき長さの違うかせに自在に対応できるかせ繰り機が必要になるのです。
また、反対に糸の長さを知りたい場合は、1回転で150センチなど、あらかじめ長さが固定されたかせ繰り機の方がずっと便利です。


いらなくなった部品をばらしました。
木綿の残糸を合わせてつくった紐など、有り合わせのいろいろな紐が使われているのはわかっていましたが、なんとその1本は紙の紐でした。ちょっとびっくりです。


竹の厚みも幅もまちまちだったので、使う人かその家族などがつくったものに違いありません。








2026年5月10日日曜日

ロシアに遺るアイヌの民具


『ロシア民族学博物館アイヌ資料展ーロシアが見た島国の人々』(編集・発行 財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構、2005年)の存在を知ったのは、『織物技術民俗誌』の中にアイヌの織り機のイラストを見て、「実物はどんなだったのかしら?」と検索したときだったでしょうか。
 『ロシア民族学博物館アイヌ資料展ーロシアが見た島国の人々』は、2005年に北海道開拓記念館と川崎市民ミュージアムで同名の展覧会が開催されたとき、そのカタログとしてつくられた冊子です。

左下は紐ほどき、右下は織り機の腰当て

カタログに載っている織り機の美しさ、かわいらしさをなんと形容すればいいのか、道具たちの隅々に、愛が満ち溢れています。

ロシアのサンクト・ペテルブルク市にあるロシア民族博物館には、約2600点のアイヌ資料が収蔵されています。そのほとんどは同博物館の嘱託職員であったV.N.ヴァシーリエフが、サハリン(1910=11年)や北海道平取(1912年)などで収集したもので、収集年、収集地が判明していることと、日本には遺っていないものが多くあることなどから、アイヌの貴重な資料となっています。

ヴァシーリエフのアイヌ資料収集地

ヴァシーリエフは、1877年に、ロシアのヤクーツク州で、政治流刑囚の父と、ヤクートの血を引く地元農民の母との間に生まれました。父が早逝したために母と母の一族に育てられ、幼い頃から培ったヤクートの伝統文化と言語の知識が、のちに彼を民族学や民俗学に傾倒させることになりました。
日本での収集は、日本語も英語もできないので危ぶまれましたが、ロシア大使館などのサポートがあり、北海道でも素晴らしい収集ができて、アイヌ文化の貴重な一端を遺すことができました。
この織り機も、ヴァシーリエフが訪れた時にはすでに消えようとしていたものだそうです。


ヴァシーリエフの目は、いろいろな小さいものにも注がれています。
これは背負い縄です。


上は紐編み機、下は糸巻きです。
男性の技と女性の技が共同して、美しいものを生み出しました。


左上は杓子、左中と下はどぶろく用の米やキビを混ぜる団子べら、右上は木彫りの酒入れ、右下はトドの内臓でつくった酒入れです。

男性が織り機をつくって女性が織り、男性が紐編み機をつくって女性が紐を編み、男性が杓子や酒造りの道具をつくって女性がつくる。
道具たちから、幸せだったアイヌの日常が蘇ってくるようです。








2026年4月20日月曜日

稲わらの腰当て?

日曜日にM+MのMちゃんと骨董市に行きました。
すると、わら靴を4、5種類も売っているお店がありました。わら靴と言っても、昔お土産物屋さんや民芸品店でよく売っていた長靴形のものではなく、スリッパや草鞋のような形のわら靴で、学生時代に行った岩手県雫石にあった何でも屋さんに置いてあったようなものでした。
そんな稲わら製品の中に、籠の肩紐のように編んだものがありました。


肩当てか、牛の口覆いか、何かわからなかったのですが、面白いかたちをしていたので買いました。

背負子の肩紐にしては、幅が広すぎます。


肩紐だったら、もっと細くつくらないと首に当たって皮膚が擦れてしまいます。

別の店を見ていたMちゃんと再会、
「あら、これは何?」
と、稲わら細工を手に取ったMちゃんは迷わず腰に巻いてみました。
「そうか、地機(じばた=いざりばた)の腰当てだったのか!」
Mちゃんが腰に当ててみなかったら、腰当てだとは思わなかったかもしれませんが、もう腰当てにしか見えなくなりました。


幅のあるところは、稲わらを綯(な)わないでそのまま使っていますが、端の「わ」になっているところは、拠りをかけて縄にした稲わらを巻いています。そしてその先には麻縄を結んでいます。
稲わらは、縄にした方が丈夫になり長持ちしますが、硬くもなります。長時間腰に当てるものなので、少しでも柔らかくしようと、幅広の部分は稲わらのままで編んでいるのでしょう。


家に帰って、タイの牛の口当てと比べてみました。
形は似ていますが、日本の牛は放し飼いにしないので、田んぼや畑のお米や野菜を食べたりする恐れはないので口当ては不要、腰当てであっている気がします。

両端に結んである麻紐は、なぜか短いものを3本ずつ繋いであります。織物をしていると、どうしても織りきれなかった経糸(たていと)が残ります。その端糸で縄を綯ったとしたら、ますます腰当てにぴったりです。


地機で越後上布を織っている写真がありました。腰当てで経糸を張っています。


さて、腰当てを飾る場所はここがいいかな?


稲わらのバンドリの横に釘を打ち足して、スズメおどし田ネズミをとる仕掛けと、タイのハエ叩きをちょっと移動させて、腰当てを吊るしました。








2026年4月15日水曜日

スピンドル(錘、つむ)

 


織物教室の集まりのとき、さかいさんが、いろいろなスピンドル(錘、つむ)を持ってきて、その中に素焼きのコマ(独楽、盤)のスピンドルがありました。
茨城県の縄文遺跡から出土したスピンドルのコマを模してつくったもので、粘土を掘り出して成形し、野焼きしてつくってあります。棒は竹のかぎ針を利用していますが、木の枝を利用することもできます。
素焼きのコマはちょっといびつですが、糸は問題なく紡げます。これは羊毛で紡いでいますが、縄文の人たちは羊毛を紡いだのではなく(あたりまえですが)、カラムシやアカソの繊維に撚りをかけて、より強い撚糸をつくるために使いました。


上の写真は、縄文の布に関心を寄せているさかいさんが、子どもたちを対象に「縄文の糸づくりを知る」ワークショップを開きたいと考えて、初めて手にしたスピンドルと木綿わたのセットです。
説明書を見てもなかなかコツがわからないと思っていたところに、織物の先生だった亡き近藤さんに出会ったのだそうです。


我が家にある、東南アジアの山岳民族のスピンドルです。紡いだ木綿糸が残っています。
さかいさんが初めて手に入れたスピンドルと同じくらいの位置に、コマが収まっています。


このコマは、ココヤシの殻を利用してつくったものです。


スピンドルのコマの大きさはいろいろで、これは直径5センチほど、大きいのは12センチほどのものもあります。コマが小さくて軽いスピンドルでは細い糸が紡げて、コマが大きくて重いスピンドルでは太い糸が紡げます。


『はじめての糸つむぎ』(スピナッツの本棚、スピナッツ出版、2004年)に載っていた「スピンドルのいろいろ」の一部です。
棒に対するコマの位置がいろいろなスピンドルがあることがわかります。


私も一度はスピンドルを使って糸を紡ぐことを近藤さんに習ったのだけれど、全然身についてなくて、すっかり忘れています。
『はじめての糸つむぎ』には、スピンドルも上達すると、紡ぎ車と同じくらいのスピードで糸が紡げると書いてあります。今度、スピンドルでの糸つむぎにしか関心がないさかいさんに習って、ちょっとやってみようと思います。





2026年4月12日日曜日

織り物の歴史のこと

最近、織物教室できくちさんとさかいさんと集まったとき、気がついたら編み物(アンギン)や織り物、というか布の起源についての話に、花を咲かせていることがあります。
人は縄文時代にどんな道具を使って自然から繊維を得たのか、どうやってその繊維を布に仕上げたのか、縄文遺跡から出土した布目のついた土の欠片、織り機だったものの破片、糸に撚りをかけてより強くする道具などなど、
「えっ、そんなところまで!」
とびっくりするほど日本国中の遺跡を歩いたさかいさんを中心に、資料を見たり、スマホで発掘品の写真を見たりして、楽しい時間を過ごします。
それに織りものの知識を加えて、もっと真相に迫りたいと、役立ちそうな本を手に入れてみました。


『織物技術民俗誌』(吉井敬郎著、染色と生活社、1991年)です。
ところが、思ったほど、古代の知識は得られませんでした。というのは、遺跡の発掘と、布・籠など消えやすいものの研究は日進月歩で、この本が書かれた35年前より今の方がずっと進んでいるからです。
古代の織物に関しては参考にはなりませんでしたが、近代の織り物については、たくさんの絵や写真でたくさん紹介されていて、興味津々でした。この本が書かれたころには、まだ手機(てばた)で実際に織っている人たちもいれば、もう織ってはいないけれど織り物について語ることができる古老がいるところもあり、そんな人たちを訪ね歩いて、全国の貴重な記録が紹介されていたからです。

この本を読んで知ったことは、筬(おさ)の役割が歴史的に違ってきていたことでした。筬とは、緯糸(よこいと)を経糸(たていと)に通したあと、それを締めるものとしか考えていませんでしたが、それが「高機(たかはた)」ができてからの常識だったと知りました。
踏み木を踏んで2枚以上の綜絖(そうこう)を上げ下げする高機以前の、綜絖が1枚しかなかった地機では、筬は、緯糸を打ち込むためのものではなく、おもに経糸の間隔を保ち密度を一定にするために使われていたのです。


それが証拠に、地機の原型を色濃く残しているとされるアイヌの織り機では、筬は織り手(この絵では左側に座る)から遠く離れた位置に置かれています。そして、緯糸を締めるためには、筬ではなく刀杼(とうじょ、とうじ。緯打具。アツシペラ)だけが使われている(使われていた)ようです。
大杼のコメントでhiyocoさんが教えてくれたYouTubeでは、結城紬を地機で織るのに、大杼と筬の両方で緯糸を打ち込んでいました。結城紬では、高機を使って筬だけで打ち込むより、大杼を使った方がしっかり打ち込めるので、今でも高機より効率の悪い地機(織るのに倍の時間がかかる)を使い続けているのだそうです。


そして、アイヌの織り機同様、地機も「中筒」を挟むので、綜絖に結んだ紐を足で踏んで持ち上げないときも、経糸は開いた状態(例えば奇数糸が上で偶数糸が下という具合)になっていて、綜絖を持ち上げたら経糸の上下が入れ替わります。
ちなみに、高機では踏み木を踏んでないとき、経糸はすべて同一平面上にあり、経糸は開いていません。


地機ではアイヌの織り機と違って筬は手前にあり、明らかに緯糸を締める目的に使うことができます。

ところが、東南アジアのカレン人やラオス人の場合、刀杼は緯打具としては使わず、おもに経糸の間に通したら立てて、杼を通りやすくする目的で使います。
「用途は判明。使い方は依然として不明」で紹介したデンマークの刀杼は、薄くて、立てるには幅がありすぎると思っていましたが、もしかしたら経糸の間に立てないで、緯糸を打つ道具としてだけに使ったかもしれない、地機の大杼のように、緯打具に特化したものだったかもしれない、と思ったことでした(真相は不明ですが)。

さて、この本にはアサ(大麻)、フジ、シナ、木綿、絹については詳しく書かれているのに、カラムシについての記述がありません。今では、カラムシ(苧麻・ちょま)アカソ(赤苧)は、縄文時代から利用されたもっとも古い繊維として広く知られていますが、著者の吉井さんの各地での聞き取り調査にまったく出てこなかったのが、ちょっと気になりました。
聞き取り調査のほとんどは西日本で行われたもの、第二次大戦後ですから、各地でカラムシの織物はすでに消えていて、新潟県以外には痕跡もなく、カラムシもアンギンもまだ世に知られていなかったのかもしれません。





2026年4月9日木曜日

用途は判明。使い方は依然として不明

折々に書き綴ってきたブログですが、民具の用途、籠の材料などを正しく知らないままで書いていたことが、もしかしたら多々あったのではないかと思われます。


写真は、布を織るときに緯糸(よこいと)を巻いた管をセットして経糸(たていと)に通すときに使う杼(ひ)の一種ですが、私はこの大きな杼の使い方を知りませんでした。
杼は英語ではシャトル(shuttle)と言い、シャトルは往復するという意味です。


杼は左右から投げ入れ、上下に開いた経糸の間を軽ろやかに飛んでいくイメージのもの、なめらかに滑りやすいように、近代の杼には車がついています。

大きな杼は、大杼、あるいは打杼と呼ばれるもので、地機(じばた)で使われていたことが、このたびわかりました。



大杼は、杼でありながら刀杼(とうじ、とうじょ)としても使うもの、そのため、1辺が鋭角に尖っています。

デンマークの刀杼?幅がありすぎる気が.....

一般的な刀杼は、薄いけれど幅はある形につくられていて、寝かせて経糸(たていと)の間に通し、通しきったところで立てて、経糸の上下の隙間を大きく開いて杼を通しやすくする用途と、その通した緯糸(よこいと)を織りあがっている布の方に打ちつけるようにして、しっかり目を詰めるという、2つの役割を持った道具です。

地機と刀杼

上の写真は、『日々織々』からお借りしたもの、東南アジア大陸部の国々の山間部に住むカレン人の地機で、手前に刀杼を立てているのが見えます。
もっとも、カレンの場合は「杼」は刀杼とは別に用意されていて、刀杼を立てて、隙間を大きく開いたところに杼を通すので、刀杼と杼が一緒になっている「大杼」とは使い方が違います。
大きな杼が、大杼あるいは打杼(下の絵では管大杼)と呼ばれていて、地機で使うということはわかったのですが、肝心の使い方はどうだったのでしょう?


地機には、踏み木がありません。
踏み木があれば、経糸を通した綜絖と踏み木をつないで、それを交互に足で踏んで経糸を上げ下げして、糸を織って布にしますが、踏み木のない地機では、手で綜絖を上げ下げしなくてはなりません。
大杼とは「刀杼と杼が一体化したもの」なので、刀杼として経糸の間に立てているときに、同時に杼として緯糸を通すことはできません。ということは、大杼は「経糸の間に立てて、上下の経糸間を広げる」という用途には使わず、通した緯糸を打って締める機能だけを使っていたという可能性が考えられます。
大杼を寝かせて経糸の間を通すときに、杼としての機能もあるので緯糸も真ん中のあたりまで通ります。そこで、大杼を左右均等になるよう真ん中まで通したら前の段の緯糸を打って締め、大杼を立てることなしに、そのまま抜いて織り進んだのでしょうか?

私的には、カレンやラオスの織りもののように、刀杼は刀杼で、杼は杼で別々の方が使いやすいのではないかと考えてしまいますが、刀杼を立てて杼で緯糸を通すという二度手間を取らないで、速く織ることができるとも言えます。実際に織っているのを見てみたい!

新しいことがわかったと、勇んで書きはじめたのですが、使い方を想像しながら書いているうちに、いろいろ疑問が出てきて、使い方は相変わらず謎のままでした。