2024年5月31日金曜日

楽しく集まった!


昨日は、「つながる図書館」で知り合った方たちや古い知り合いなど、8名が我が家にいらっしゃいました。


お天気も良く、楽しいひと時を過ごしましたが、つながる図書館は、地域通貨「さとのわ」と並んで、八郷の住人だけでなく、広く周辺の町や村の人々とのつながりもつくる、大切な存在となっています。

私たちはこの春、つながる図書館で開催している「つながる映画館」で、


3月には、『ガザ、素顔の日常』、4月には『ザ・トゥルー・コスト ファストファッション 真の代価』、

新潟港からの帰還船の出航

そして、5月には『さよなら あんにょん ちゃいちぇん』を観せていただきました。上映後は、お話会もあり、映画をより印象深いものにしています。

『さよなら あんにょん ちゃいちぇん』は、1959年からはじまった北朝鮮への帰還事業に翻弄された3人の女性を描いたドキュメンタリーです。
敗戦直後、それまでの強制連行もあり、日本には240万人ほどの在日朝鮮人がいました。これまでは日本人とされていたのに急に国籍を失い、半島では朝鮮戦争が勃発、南北分離後、韓国は軍事国家となり、在日朝鮮人たちは行き場所のない厳しい生活を強いられていました。そして情報の少ない中、北朝鮮は「希望の国」と見られていました。
そこに国を挙げての北朝鮮への帰還事業がはじまり、たくさん在日、その配偶者の日本人などが、北朝鮮に渡りました。北朝鮮に渡った多くの在日は、南の出身者だったそうです。
映画は、在日朝鮮人の妻として北朝鮮に渡ったあと脱北した日本人女性、根無し草にはなって欲しくないと息子を北朝鮮に送った在日女性、北朝鮮に渡った在日朝鮮人の母と日本人の父を持ち、北朝鮮で育ったものの脱北した女性の3人を追ったドキュメンタリーでした。どなたも、いろいろな決断をしながら、命からがら生きてきたのに、強い気持ちを持っている、素敵な女性たちでした。


『さよなら あんにょん ちゃいちぇん』を観た日は、「つながる食堂」で、地元の食材でつくったランチをいただきました。

昨日我が家にいらした中に、月一で「つながる食堂」で南インドの料理をつくっている男性がいらっしゃしました。まだ食べていないので、来月は食べに行ってみるつもりです。


南インド料理で画像検索してみると、どの写真にもご飯だけでなくチャパティやプーリーがついているのだけれど、南インドだから主食はお米だけではなかったかしら?
日本のスパイスカレーにほとんどナンがついているみたいに、南インド料理も、日本にきて変形しているのかもしれません。
どんな南インド料理が食べられるか、楽しみです。








2024年5月30日木曜日

コオロギ入れ


 中国の貴州省でつくられている、コオロギ入れです。


青竹で編まれたもの、5年前に手に入れたコオロギ入れは、日の当たらない場所に置いているのですが、竹の色が深くなっています。


大きいのと小さいのでは、口のつくり方が違っていて、蓋のつくり方も違います。


大きいコオロギ入れの蓋は、片方をとがらせたため、形を保つために綴ってありますが、その竹ひごの細いこと、まるで糸のようです。


以前、小さいコオロギ入れをUPしたときは気づいてなかったのですが、コオロギ入れは「菊型」編みで編まれています。小さい方は経材(たてざい)が6+6=12本、大きい方は7+7=14本で編まれ、「B面(後から足した経材が見える面)」が外側に使われています。
菊型編みの経材は、通常、最初に組むひごも後から足すひごも同じ太さですが、このコオロギ入れは、後から足した経材の方が太い材が使われています。小さいものですからできるだけ細いひごを使いたいところ、補強のために後から足すひごは太くしてあるのだと思います。








2024年5月29日水曜日

『赤毛のアン』再読


2023年12月、カナダの作家モンゴメリの『赤毛のアン』の、松本侑子さんによる全文訳の最後の巻『アンの娘リラ』が発刊され、シリーズが完結しました。
『アンの娘リラ』は、発売と同時に買ったのですが、内容を知っているので数カ月手に取ることもせず、今頃になってやっと読みました。
『アンの娘リラ』では、第一次世界大戦が勃発、7巻までののどかさが消え、豊かな自然に包まれておおらかに育った子どもたちの生活は一変し、男の子たちは志願して戦場に赴き、残された家族たちがはるか離れたヨーロッパでの戦況に一喜一憂する、苦しい4年半が描かれています。モンゴメリ自身が克明につけていた日記に基づいて書かれたものと思われ、戦場と銃後の様子が、手に取るように詳しく描かれています。私はゴラン高原で見た塹壕を思い浮かべながら読みました。

以下、余談です。
『赤毛のアン』全訳版では、本の題名などは村岡花子訳を踏襲していますが、第6巻の『炉辺荘のアン』の「炉辺」が、私にはなかなか馴染みませんでした。というのも、村岡訳では、「炉辺荘」には「イングルサイド(INGLESIDE)」とだけルビがふってあり、私はこれまで勝手に「炉辺」を「ろばた」と読んでいました。
ところが、松本訳では「ろへん」とルビがふってあります。私の人生で「ろばた」という言葉は使っても「ろへん」という言葉は一回も使ったことがなかったので、戸惑ってしまいました。
でも、『新明解国語辞典』(手元にあった)にも「炉辺(ろへん)」は載っていますから、私が知らないだけかもしれません。それにしても、囲炉裏端などを「ろへん」と呼ぶ地域が、実際にあったのでしょうか?






 

2024年5月28日火曜日

ノミはたいへん

これまでブログにあげた猫の写真を見返してみたら、そのほとんどがお風呂場にいる猫たちでした。
確かに猫たちはお風呂場によくいますが、出入り自由の我が家では、おそらく外にいる時間と室内にいる時間と半々くらい、もしかしたら外にいる時間の方が長いかもしれません。ちょっと距離のあるお隣の、M+M家にも、くみ家にも顔を出しているようです。


そんな猫たちが人待ち顔で室内で雁首を揃えているのは、ご飯が欲しいときだけ。これは今朝の写真です。


このあと、すんなりとはご飯をもらえず、首根っこにノミ、ダニを寄せつけない薬を投与されてから食事となりました。


2002年に犬のウナギが我が家にやってきたとき、フロントラインという名前のノミ、ダニを寄せつけない薬があることを初めて知り、とくに夏場は1月に1回の投与で、犬猫のノミ退治から解放されていました。フロントラインのなかった1980年代には、ノミがついた猫のミャオをお湯に入れて、ノミを浮かせて捕るのに、苦労していました。1週間に1度洗っても、たくさんのノミが捕れ、しかも根絶することができませんでした。

かつてフロントラインは市販されておらず、動物病院から直接買う以外手に入れる方法はありませんでした。


やがて、フロントラインに替わる様々なジェネリックが登場、長くジェネリックのお世話になっていましたが、Mちゃんからフロントラインが市販されていることを聞きました。軒並みジェネリックに押されては、動物病院でしか売らないという姿勢は見直さざるを得なかったのでしょう。調べてみると、ジェネリックよりフロントラインの方が安い! 1回分(1月分)が1000円以下です。
1シーズン分買ってあるジェネリックが終わったら、20年弱ぶりにフロントラインに戻してみるつもりです。


今日は雨、やっぱり猫たちはお風呂場にいます。






 

2024年5月26日日曜日

「菊型」編みの籠


「菊型」に編まれた籠です。
後列の2つは関東地方の飯籠、中列の左は熊本県水俣地方のご飯じょけ(飯籠)、右は宮崎県日之影のいりこじょけ(煮干し籠)、前列左は中国貴州省の蓋つき籠、右は韓国全羅南道潭陽(タミャン)の、おそらく飯籠です。

菊型編みは円の真ん中から編み始めるため、最初から経材(たてざい)を多く使えば、緯材(よこざい)が円の中心から遠くなってしまうので、最終的に使う経材の半分以下の経材を組んで編み始めます。また、少ない経材のまま編み進めると、だんだん広がっていく円に対して経材の密度が疎になって、形が取れなくなり強度も落ちるので、経材を途中で足します。そのため、裏表と裏には違った編み目ができます。
編み始めに組んだ経材が見える方を「A面」、足した経材が見える方を「B面」とすると、中国と韓国の籠の蓋は「A面」が外側になっていて、日本の籠は「B面」が外側になっています。


関東の飯籠の蓋は、どちらも経材のひご10本で編み始めています。


菊型の籠は編み始めに形を整えるのが難しい部分の一つですが、右の籠は最初から上下上下と編まず、特別に細いひごで複数段、上は上、下は下とひごを重ねて編んでいます。


左の籠はだいぶ編んでからひごを10本足していて、右の籠は早めにひごを10本足しています。


関東の飯籠の本体は、どちらも底を網代に四角く編み、渦巻き状に綾織りで編み進めて丸くしていく方法で編まれています。


蓋はかぶせ式です。


水俣の籠は、地元の籠師さんから籠づくりを習われた井上克彦さんにつくっていただいたご飯じょけなので、この地域の伝統的な形と見ることができます。
経材は8本から始めています。関東の飯籠の一つ(上から3枚目の写真)と同じように、編み始めは同じ経材に複数回ひごを通して形をつくっていますが、関東の飯籠とは比べものにならないくらい美しく円になっています。


途中で16本のひごを足し、足した後のひご数は、24本が真ん中で交差しているので、合計48本のひごで、高さがない胴へと向かっています。


ご飯じょけの本体は、米揚げ笊などと同じ「笊目」に編まれています。
違う編み方で編んだ本体と蓋ですが、井上さんの言葉で「かぷっ」と音を立てて、気持ち良くしまります。
その昔、『小さなむらの「希望」を旅する』(現代農業増刊、農文協、2005年)の中に井上さんのご飯じょけを見つけたとき、懐かしさでいっぱいで、すぐに注文してしまいましたが、よく考えてみると、私が小さいころ祖母の家で使っていた飯籠はもっと武骨なものでした。持ち手はついていましたが四角くて、蓋がない足つき籠で、曾祖母が編んだというススキの茎でできたすだれ状のものを蓋がわりにかけて、夏は風通しの良い天井の梁にぶら下げて、ご飯が悪くなるのを防いでいました。


日之影のいりこじょけも経材8本で始めています。
廣島一夫さんの籠と同じ形に、小川鉄平さんに編んでいただいたものです。編み始めは、緯材を上上上下下下と3本飛ばしで編んであり、数段進んでから上下上下と編み方を変えています。


そのあと、経材を8本足しています。

『日之影の竹細工職人 廣島一夫の仕事』(gallery KEIAN、2016年)より

籠づくりの名人の廣島さんの菊型には、他の地方の籠でも編んでみて、さらにいろいろ工夫され、多種類の籠を編まれていたことに関係あるかどうか、いろいろな「収め方」があったようです。


シイタケを干すアマの「A面」。


イカシカゴ(生かし籠)の蓋はどうなっているのか、「B面」だと思われますが複雑です。


「A面」と思われる写真もあるのですが、どう編んであるのか、皆目頭が回りません。


ミソコシ(味噌漉し笊)の底も「B面」?
美し過ぎます。


いりこじょけは本体も菊型編みで、底は平らでなく内側に持ち上がっています。


さて、「A面」を外側にした中国の籠の蓋の経材は8本、編み始めから経材に、緯材を上下上下とくぐらせています。


経材8本だけで平らな部分をほぼ編み進み、胴に移る直前に8本の経材を足してあります。


興味深いのはやはり菊型で編まれた本体です。こちらは「A面」を内側にして、やはり8本の経材で編み始めています。


そして、胴に移る直前に経材を足しています。


補強のためか、足をつけた胴のはじまりの部分からは、外側にさらに新たにひごを足しています。


編んだ籠の上に足した経材は、補強と装飾を兼ねているのでしょうか?
竹の特性を生かした足や縁の、ひごと使い方の巧みさに見惚れてしまいます。


韓国の菊型の竹籠は経材がどうしてこんなに太いのでしょう? 
経材の幅が太ければ、編み始めの円の直径が大きくなります。大きい円から始めれば編む部分が減り、時間が短縮されます。
経材のひごの数は蓋が6本、本体が5本、本体と蓋のひご数が違います。どうして数が違うのかと思ったら、どうもひごの数で、籠の直径の大小をつくっているようです。


韓国の籠は、蓋の裏、本体の底の「B面」が、あまり美しくない編み方になっています。また、竹皮のついたひごの使い方にも法則がないようです。


日本の籠では、経材の節をそろえて模様にしているのに比べると、ちょっと見劣りします。


でも、プラスティックの籠に押され、中国やヴェトナムから安い籠が大量に入ってくる韓国にあって、今でも籠師さんが健在なことを喜ぶべきでしょう。


皮のついていない竹での縁巻きなど、見事なものなのですから。

『世界のかご文化図鑑』(ブライアン・センテンス著、東洋書林、2002年)より

ところで、東南アジアなどでは
菊型編みを見たことがありませんが、中国、韓国、日本以外の地域でも見られるようです。
上の写真はアメリカ先住民のホピ民族のものですが、東アジアの菊型とは雰囲気が違います。





 

2024年5月25日土曜日

大洗磯前神社の鳥居

一昨日、涸沼(ひぬま)の公園で楽しんだ後、ひたちなかのおさかな市場の回転ずしを食べて腹ごしらえをして、いざ海へ。
今回は一度も行ったことのない、大洗磯前神社の神磯の鳥居を目指しました。


あらぁ、鳥居はコンクリートでできていました。


よく見る初日の出の写真が赤いので、何となく赤い木の鳥居を想像していました。


潮風で、木の鳥居は傷みやすいかもしれない。でも、せめて石でできていたらよかったなぁ、というのは、何も知らない傍観者の意見です。


大洗磯前神社のホームページに載っている写真は、どれも非常に印象的です。


水戸光圀公は、大洗磯前神社を参拝したおりにこの景観をたたえ、

あらいその岩にくだけて散る月を 一つになしてかへる浪かな

と詠まれています。


と、ここまで書いて、私たちの見た鳥居と、大洗磯前神社のホームページに載っている鳥居が別物であることに気づきました。
なぜか、真ん中の縦の部分が、なくなってしまっています。