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2025年9月4日木曜日

金継ぎしてもらってよかった


長いつきあいほん陶さんに金継ぎをお願いしていたマグカップなどが、送り返されてきました。


妹がつくったマグカップは元々6客ありました。それが4客になってしまっていたところ、縁を欠いてしまいました。どうしようか、捨ててしまおうか。マグカップに不自由しているわけではないし。と数日考えたのですが、いや待てよ、捨てるのは簡単だけど捨てたらおしまい。妹はもう焼きものをつくってないしと、なおしてもらうことにして、久しぶりにほん陶さんに連絡を取ってみました。

写真を送るときに、かねてから気になっていたキューピーのニッキ水のビンの写真も送りました。
キューピーのビンは、どうして欠けたのだったか、見るたびに心を痛めていました。以前、ほん陶さんに別のビンの接着をしてもらえないかと訊いたら、ガラスの接着はやれないとのこと、しかたなくそのビンは自分でつないだことがありました。
キューピーのビンは欠けも小さいし、ほん陶さん的には美しくないとしても、欠けっ放しよりはましだからと頼んでみたら、なんと幸運にも引き受けていただけました。


マグカップの欠けは美しくなおりました。


これでまた、活躍してくれることでしょう。


数か月前に送ったので、すっかり忘れていましたが、にゅうが入っただけのカップもなおしていただいていました。


コーヒーが染み込んだ線は汚いものですが、金継ぎの線は使うたびに楽しめます。


最高に嬉しいのはキューピーのニッキ水です。
接合したところはほとんど目立たず、欠けもあったのか、小さく金が撒かれていました。


よみがえるとは思わなかったキューピー、かわいさ百倍です。


いつもつけてくださる保証書、そして美しい字の手書きのお手紙、ほん陶さんのお人柄がしのばれます。


マグカップは空けておいた棚にぶらさげました。


金継ぎは、嬉しさを増し増しにしてくれます。


 

2025年8月17日日曜日

作業用もんぺ

作業用もんぺのお尻が破れて、はや数か月、敗れた方を前にして履いていれば、じろじろ見られることもなかろうと思って履いていますが、そのままコンビニまで行くこともあり、洗い替えもなくて、もはや限界を迎えています。
というわけで、雨の日にもんぺを縫いました。
母のもんぺは、両脇にシームポケットをつけ、別布で居敷当て(お尻当て)、ひざ当てをつける面倒なもの、ミシンの苦手な私にはとてもできないので、ひらたパンツにしました。


ずいぶん前から、縫うものによって糸の色を変えなくてもいいように透明のミシン糸を使っていますが、もんぺを縫っている途中で上糸も下糸も使い切り、下糸を取ったり、ミシン針の穴に糸を通したりと手間取りました。というのも、糸が透明でよく見えないのです。
ミシン針に前から糸を通す段になって、何度やっても糸が通りません。メガネの上に拡大鏡をかけて、糸通しの道具を使って、やっと通りました。


ちなみに、目は定期的に診ていただいていますが、白内障は年相応で、手術の必要は今のところないとのことです。
ポケットは貼りつけポケットで、膝当てを(補強のために)ぐるぐる縫ったりしなくてよかったので、久しぶりのミシンでしたが、糸通しのほかはわりと簡単に縫いあがりました。


その昔、ひらたさんにつくっていただいたもんぺや母につくってもらったもんぺ。そちらの方が着古したものだから、それらを作業着にすればよさそうなものだけれどそうはいきません。ひらたパンツなど、今でもしっかりよそ行きです。

そして、タンザニアのキテンゲでつくったもんぺは、いきなり作業着デビューしました。







 

2025年7月28日月曜日

手芸の本

手芸関係の古書を扱っているネットショップが、イベント用の本が足りないからと、本の買取を希望していました。


長い間持っていた手芸や洋裁の本、お世話になった手芸や洋裁の本。もうこれらの本を見ながらつくることはなさそうなので、これを機会に再利用してもらうことにしました。


20冊を段ボール箱に詰めておくと、送料無料で集配してくれるので、本を選んでみました。手芸から広げて、趣味の本でもいいとのことでした。


日本と海外の手芸関係の本と絵本を扱っている店なので、買われて行っても本たちは、またの出番がありそう、そう思うと処分する後ろめたさが和らぎます。


祖母を喜ばせるために買って、何種類か一緒につくった手まりの本。東南アジアにも東アジアにも行ったことのなかった時代のジャワ更紗の本。染織の本がほとんどなかった時代の絞り染の本。古い本もいろいろです。
ジャワ更紗の本は作り方が載っているのに、体験したときはこの本の存在をすっかり忘れていました。
ちなみに、完成したバティクはこちらです。


おしゃれと無縁の生活をしている今では、着物のリメイクの本も要りません。


というわけで、らくらく40冊選びました。


そして集荷を待っています。





 

2025年7月27日日曜日

ヨーロッパスタイルの小さい籠たち


ターシャ・テューダー(1915-2008)の本の中で好きなのは、『暖炉の火のそばで』(トーバ・マーティン文、リチャード・W・ブラウン写真、食野雅子訳、メディアファクトリー、1996年)です。いろいろな手仕事が満載されています。

身軽く生活することにあこがれながらなんでも欲しがって「もの」を増やしてしまう自分を、常々、心の片隅で後ろめたく思っていたところ、あの年で、こんなにたくさんのものに囲まれた生活をしているターシャ・テューダーの存在を知ることは、大きな安心と共感をもたらしてくれたものでした。
ターシャは、息子さんに建ててもらった家で、たくさんの古い道具や家具調度、そして手づくりのものと暮らしていました。その生活は丁寧で、真似しようとしても真似できるものではありませんが、織り機が眠っているけれどもう一度織り物をやってみようかと思ったのも、ターシャの生活を知ったからだったかもしれません(まったくできてはいませんが)。


ターシャはいろいろな籠もつくっていて、興味深いものでした。
アジアやアフリカの籠にはなじみがありましたが、当時の私はヨーロッパ(スタイル)の籠にはほとんど縁がありませんでした。


とくにこの形の籠、実物を見てみたいなと思っていました。

21世紀になって、ネット時代が到来して世界は狭くなり、いろいろなもの、ヨーロッパの籠さえも見たり手に入るようになって、その思いの一端は満たされたされたことでした。
ラトビアの、持ち手のつけ根を四角く編んだ籠を初めて手にしたときは、感慨深いものがありました。

フランスの籠

持ち手のつけ根にひし形に施された飾り編みは、補強も兼ねたヨーロッパ伝統のデザインです。


ラトビアのミニチュアの籠は、外皮を剥いで、テープ状に削り揃えたもので編んでいて、丸い枝のままで編んだフランスの籠より、より精巧にできています。
大きい方は直径約8センチ、小さい方は直径約6センチです。


と、ミニチュアの籠は持っているのに、また増やしてしまいました。
楕円形の籠は、長径約10センチ、短径約7センチです。


手が生み出した、美しい出来栄え、古い籠ほど色が深まっています。


追記:

7月16日にUPした「麦わら細工のホタル籠」の中に誤った記述があったので、文末で訂正しておきました。








2025年7月16日水曜日

麦わら細工のホタル籠


先日、ギャラリーKEIANで、ホタル籠を買いました。福島県でつくられたものだそうです。
素材は麦わらだとは思われますが、艶はありません。コムギは折れやすいのでオオムギかカラスムギが適しています。カラスムギでしょうか?


四角い方が底で、尖った方に口があります。


作ろう草玩具』(佐藤邦昭著、築地書館、2004年)に乗っているホタル籠はまったく違うもの、


四角い形をしています。


でも同じ本に「手かご」のつくり方が載っていて、それはこのホタル籠と同じつくり方です。
この編み方、もとはヨーロッパから来たのでしょうか?


かつての織りもの友だちだったEさんのお家には、素晴らしい麦わら細工がありました。
2つを組み合わせにしてリースにしてあるようですが、美しい!!!
麦わらは持っていますが、こんな美しいものをつくれる気は、全くしません。Eさんが行ったことがある地域で、こんな美しい麦わら細工をつくれるのは、北欧かドイツだと思われます。
麦わらは穂のついている一番上の節だけ使います。短い茎ですが、一つの茎に次の茎を差し込みながら継ぎ足して編んでいきます。

日本玩具博物館のブログより

日本玩具博物館で、開かれた麦わら細工の伝承会でつくられた、播磨地域のホタル籠です。地域によっていろいろなホタル籠がつくられました。




追記:


Eさんの家で拝見した麦わら細工はドイツではなく、イギリスのサーフォーク州の伝統的なデザインの、馬蹄と馬車の御者の鞭を表したものであると、世界のかご文化図鑑』(ブライアン・センテンス著、福井正子訳、東林書店、2002年)に載っていました。

『世界のかご文化図鑑』より

しかし、本に載っていたものより、Eさんの持っていらっしゃったものの方が数倍素敵でした。
Eさんは一昨年秋に亡くなられました。遺された原毛をいただきに訪問したときに、居間に飾られていた麦わら細工でした。





 

2025年7月6日日曜日

川崎毅遺作展


新宿の柿傳ギャラリーで開かれている「川崎毅遺作展」に行ってきました。
お連れ合いの頌子さんが在廊する日をめがけて行ったのに、見当たらないときょろきょろしていたら、長男の向太くんが声を掛けてくれました。
向太くんと会ったのは、なんと45年ぶりくらい、最後に会ったとき彼はまだ小学校2年生くらいだったのに、建築家になって、今は社会人と大学生という大きく育った子どもたちのお父さん。
私たちを見て、よく誰かがわかったものでした。


頌子さんは何てことでしょう! 今年5月にあったクラス会では、転んでひざ下の骨を骨折して入院中で欠席、遺作展では何日かは在廊とDMに書いてあったのに、退院後イタリア旅行に行ってイタリアで転んで大腿骨を骨折して車椅子で帰国、再度入院手術したそうです。
幸い手術後の経過は順調で、近くリハビリの病院に移るそう。もう転ばないでもらいたいものです。


向太くんが1年かけて毅さんの作品リストをリストアップしたら家に数百点遺されていたそうです。
「すごいねぇ!」
「焼きものをつくるだけの人生だったから」
「あはは、そうだったね」
もちろん、その倍以上売れて美術館や個人の手に渡っているのだから、いったいいくつつくったのか、気が遠くなりそうです。


街シリーズの一つ。


パレスチナのベツレヘムの旧市街に行ったとき、
「川崎毅の世界が現実のものとして存在していたんだ!」
と感動したのを思い出しました。


卵形のオブジェたち。
樹の幹は真鍮でつくってあります。


切ったり割ったりした卵たち。


白い鳥の群れ。


柿傳ギャラリーは、新宿駅から徒歩1分のビルの地下2階にあります。
行きには気づかなかったのですが、帰りに地上まで出てきたら、ビルの入り口のガラスケースにも作品が飾られていました。


静かな画廊の中とは全く違う風景。


作品たちは、道行く人々を眺めて、なんだか嬉しそうでした。