2023年4月30日日曜日

野町和嘉さんの写真

つながる図書館」にどんな本を置くかは悩ましいところです。
というのも、私はわりと本を見返すことがあるので、
「あの本が見たいな」
と思ったとき見ることができないのは困ります。さりとて、図書館に要らない本ばかり並べるというのも、どうかなと思います。そう考えて本を持って行ったのですが、まだ棚に空きがあったので、
「写真集なら図書館で見るのにいいし、家でそう開いて見ることもないから」
と先日、野町一嘉さんの写真集と、管洋志さんの写真集を持って行きました。


ところで、今戦闘が激しいスーダンの首都ハルツームは、青ナイルと白ナイルの合流地点で、その地域特性で昔から栄えていました。ナイル流域のことをもっと知りたいと思い、さっそく野町さんの写真集を見たくなったものの、手元にないという不便に気づきました。ままならないものです。
 


初めて出逢った野町さんの本は、『バハル』(集英社、1983年)でした。忘れもしない、つくば市にあった本屋さんに平積みされていた大形の本でした。
今では考えられませんが、昔はカラー写真を印刷するのが難しく、値段も高く、美術本などは本文とは別に印刷してあるカラーの図版を切って貼ってありました。本の値段が高くなってしまうので、白黒の写真の中にカラー写真は少しだけ、しかもそれだけ別の紙を使ったりして載せてあるのが一般的でした。
それが、『バハル』は美しいオールカラーでありながら、3200円という画期的な値段、廉価でつくれた「カラー写真の本」の走りだったかもしれません。

情報センター出版局、1985年

1984年に発生したエチオピアの飢餓を契機に、夫が関係していた(当時は離れていたけれど、のちに私も復帰した)NGOと野町さんの接点ができました。
NGOは飢餓真っただ中のエチオピア北部で医療支援をしていたのですが、取材したい野町さんが接触してきたのでした。






のちに、カレンダー制作でおつき合いするようになってからは、好きというだけでなく写真の選定などの必要性もあって、『ナイル』(情報センター出版局、1989年)、『地球へ!』(講談社、1992年)、『チベット、天の大地』(集英社、1994年)、『サハラ20年』(講談社、1996年)、『神よ、エチオピアよ』(集英社、1998年)などなど、野町さんの写真集は増えていきました。



ときおり、写真展もあちこちに見に行きました。上の2冊はそれらのカタログです。


平塚の美術館で、2003年に開かれた写真展のカタログの中には、私の好きな写真がいっぱいあります。
チベットの、雪の中に座っているお坊さまたち。


エチオピアの、息子を亡くして悲しむお母さん。


アルジェリアのトゥアレグの男性、日除け布にはハエが止まっています。これは、第1回目のカレンダーに使わせていただいた、大好きな写真です。


メディナにあるコーランの学校。


サハラ縦断のトラックの客たち。

『長征』(1989年)、『ナイル』(1997年)ともに講談社文庫

写真だけでなく、野町さんは文も書かれます。

『バハル』より

見たことのない光景の写真を見るのは心躍りますが、見覚えのある景色の写真にもわくわくしてしまいます。
上は、エチオピア北部の定期市場の写真。まさにこんな感じ、いつもは閑散としたところに、市が立つときだけ、大ぜいが遠くから歩いてやってきます。市場の中に宝探しに入っていきたくなりますが、今もこのままのスタイルで定期市が開かれているでしょうか?

ところで、スーダンの軍と準軍事組織RSFの権力闘争は、ロシアの軍事組織ワグネルも絡んでいるようで、一向に収束の気配を見せていません。戦闘が長引けば、家計を助けたいために兵として参加する貧しい少年たちが、いっそう増えます。何ともやりきれない話です。








2023年4月29日土曜日

いい季節!

田植えの季節になりました。
田んぼに水が張られて、この季節だけの風景が広がっています。
筑波山が映る田んぼに行ってみたのだけれど、午前中で順光、あんまり美しくは映っていませんでした。


水もちょっと少なかったかな?


しばらく、逆さ筑波が楽しめます。





 

2023年4月28日金曜日

三つ又と大根の花と


毎年、犬供養の三つ又は2月に新しいものにします。
前を通りながら、ずっと写真に撮れないでいたのですが、昨日は晴れ渡った空と種採り用の大根の花に誘われて、写真を撮りました。


でも良いお天気すぎて、電線がくっきり写ってしまっています。


以前は昔の三つ又も残していましたが、6年ほど前からは、その年の1本しか残さなくなっています。




 

2023年4月27日木曜日

辞書

昨日、ブログを書くために、「hatchel」という英単語をネット検索で調べようとしましたが、日本語で「ハッチェル」と出てくるだけ、役に立ちませんでした。


「hatchel」は、上の写真の前の方に見えている針の山みたいなものが板から突き出している道具の名前です。
見ただけで用途はわかったのですが、正しく知りたいものでした。


ネットでダメならと、久しぶりに研究社の松田徳一郎さん監修の2569ページのリーダース英和辞典を引っ張り出してきました。


「hatchel」を引くと「hackle」と同じと書いてあり、「hackle」を引くと、まず亜麻、生糸などをほぐすすきぐしと出ていました。あとは雄鶏などの首周りの頸羽、戦う前の犬の首や背あたりの逆立った毛、釣では毛針の意味があると書いてありました。
そして、使い方の事例に、「a hackling machine」があり、「櫛梳(せっそ)機」と書いてありました。
私が言うことではありませんが、改めて辞書はすごいと思いました。日本語の「櫛梳機」を知っていて使っている人がいったいどのくらいいるのか。また、「hackle」がこれまで何人の人に引かれて役に立ったか、考えてしまいました。


ちょうど、三浦しおん原作、雲田はるこ漫画の『舟を編む』(講談社、2017年)を読んだところでした。『舟を編む』は、広辞苑のような大きな辞書づくりの物語です。
辞書編纂チームの中核にいる人たちがつくろうとしている国語辞書の『大渡海』は、後発なので、既存の辞書の言葉を網羅しなくてはならない。意味を正しく簡潔に書かなくてはならない。廃れた言葉は新しい言葉に入れ替えなくてはならない。紙はできるだけ薄く、しかし透けないもので手に吸いつくような感覚の紙でなくてはならないなどなど、山のようにしなくてはならないことがあります。
最終段階で校正があがってきても、大勢で何度も目を通さなくてはならない、しかも一つも間違いがあってはならない、そして完成と同時に改定がはじまる気の遠くなるような仕事です。


私は三浦しおんさんという作家は(男か女かも)知らなかったし、『舟を編む』が2012年の本屋大賞をもらったことも知りませんでした。だいたい、文学賞とか、本屋大賞の受賞作にはまったく関心がないので、漫画になっていなかったら、出逢うこともなかった作品です。


我が家では、広辞苑をはじめとする辞書類は、梯子を上らないと取り出せないところにしまってあります。赤瀬川原平さんの、『新解さんの謎』を読んでから買ってみた新明解国語辞典なども、どこかにあるのか、ないのか。
私より夫の方が辞書を手元に置いていますが、最近はコンピュータのディープルという翻訳機能を使っているだけで、英語の辞書は使っていないし、岩波ことわざ辞典も置いてあるだけで見ているとも思われません。

『舟を編む』を読んで、辞書に対する気持ちがちょっと変わりました。当たり前に便利なものと思っているだけでなく、ときおり辞書を読んでみたいと思います。
「下駄箱」や「筆箱」は今でも辞書にあるのかしら?






2023年4月26日水曜日

アメリカ開拓時代の道具


今日は朝から雨が降り続いています。田植え前の慈雨でしょうか。明日は晴れるそうですが、まだ晴れるなんて想像もつきません。


こんな日にすることと言えば本棚の掃除です。二階の本棚を掃除しました。
本棚は、本の大きさによって細かく高さを変えているので、最大限に収納することができますが、難点は同じ分野や同じ著者の本の大きさが違うとあちこちにしまわなくてはならないことです。そのため、探そうとしたときになかなか見つからないことがあります。
本棚掃除は、できるだけ同類を近くに揃えながら、どんな本がどこにあるか覚えながら、二重に入れている奥の本を確かめて前後を入れ替えたりしながら、要らない本は処分しようと分けておく、楽しい仕事です。
といっても、朝から結構頑張ったのに、結局、二階の本棚のたったの四分の一しか掃除と整理ができませんでした。


久しぶりに見た『AMERICAN BASKETRY AND WOODENWARE』(1974年)を、パラパラとめくってみました。


籠は、へぎ板のものが最もたくさん紹介されていました。あとはヤナギ籠少々とわら籠少々です。
アメリカ先住民の籠は草籠が多かったと思ったけれど、この本で紹介されていたのはヨーロッパからの移住者の籠なのでしょう。

木製品は洗濯用具、農具、台所用具など生活の多岐にわたっていましたが、織りもの関係の道具だけ紹介してみます。


左奥はニディノディ(かせにする道具)、右奥は杼と管(くだ)、中は刀杼(とうじょ)、手前が羊の毛を梳くカーダーで右が糸巻きです。
刀杼の立派なこと、刀杼の名にふさわしいものです。


かせあげ台と、手前の剣山のようなものは、麻を梳く(ほぐす)道具です。


同じくかせ繰り機


紡ぎ車は踏み足がありません。どうやって回すのか、紡ぐには両方の手が必要だと思われるのですが。


『AMERICAN COUNTRY』(1980年)も見てみたのですが、この中にあった紡ぎ車にも踏み足がありませんでした。
ちなみに、ペレのおばあさんが使っている紡ぎ車には、踏み足はあります。


この紡ぎ車にも踏み足がないように見えます。どうやって輪を回したのでしょう?


これは両方ともバンド織り機です。
右のものは手の込んだ道具ですが、歯車の向きからして、右に経糸(たていと)を巻いておいて左へと織っていく。となると、真ん中の歯車はいったい何のためにあるのか、板に穴が開けてあるのは何のためなのか、さっぱりわかりませんでした。
私にとっては謎だらけのアメリカ開拓時代の織りもの道具でした。







 

2023年4月25日火曜日

『ペレのあたらしいふく』

日曜日に、「つながる図書館」の集まりがあったので、織りものの先生のKさんと一緒に行きました。
「つながる図書館」は、棚を1つずつ借りたオーナーたちが、自分の本を並べ、それを図書館のメンバー登録した人たちが借りることや、ランチやお茶ができること、またそこでさまざまなイベントやワークショップを開くことで、人と人がつながろうという運動です。
普通、本は貸すだけですが、「どんどん本をもらってください。差し上げます」という棚オーナーさんが一人いらっしゃいます。いったいどんな本が並んでいるのかしらと見に行くと、


『ペレのあたらしいふく』(エルサ・ベスコフさく、おのでらゆりこやく、福音館書店、1976年)が並んでいました。
羊毛を紡いで織ることを仕事としているKさんに、
「これもらったら!」
と勧めて、Kさんはめでたくその本を手に入れました。

エルサ・ベスコフ(1874-1953年)はスウェーデンの絵本作家、『ペレのあたらしいふく』が日本で発売されたのは1976年ですが、原書は1910年代に描かれたものです。我が家にある『ペレのあたらしいふく』は発売時に買ったもので、手垢だらけですが、健在です。

以下、あらすじです。


ペレはこひつじを1匹持っていました。こひつじは育って毛が伸び、ペレも大きくなって服が窮屈になりました。そこでペレはこひつじの毛を刈りました。


刈った毛をおばあちゃんに梳いてくれないだろうかとお願いすると、
「ニンジン畑の草取りをしてくれるなら、梳いてあげるよ」
と梳いてくれました。
おばあちゃんは、カーダーを使っています。このころのカーダーの棘はどうやってつくっていたのでしょう?


次に、もう一人のおばあちゃんのところに行き、毛を糸に紡いでもらっているあいだ、ペレは牛の番をしました。


それから、ペンキ屋さんをさがして、
「染め粉を少しください」
とお願いしますが、ペンキ屋さんに、
「うちには染め粉はないけれど、おつかいしてくれたらおつりで染め粉を買ってもいいよ」
と言われます。


ペレは舟をこいで雑貨屋さんに行き、ペンキ屋さんに頼まれたテレピン油と青色の染め粉を買ってきます。


ペレは。染め粉で糸を青く染めました。


染めた糸を布に織ってとおかあさんにお願いすると、
「妹の面倒をみていてくれるならね」
と言われ、おかあさんが織ってくれているあいだ、ペレは赤ちゃんの面倒をみます。
織り機も見ごたえありますが、赤ちゃんのおもちゃも面白い。糸巻きをつないだガラガラがあり、手づくりらしい人形や、白樺細工(?)、ブリキのマグカップなどあります。

さて、織りあがった布を仕立て屋さんに持って行って仕立ててくれるようお願いすると、
「干し草を集め、たきぎを運び入れ、豚に餌をやってくれるなら縫ってやるよ」
と言われ、


言われた仕事を全部やって、ペレはやっと新しい服を手に入れました。


日曜の朝、ペレは新しい服を着て、こひつじに見せました。

『ペレのあたらしいふく』は、羊毛の服のつくり方の絵本ですが、『もぐらとずぼん』は亜麻(リネン)の服のつくり方、『わたしのスカート』は麻(ヘンプ)の服のつくり方、どれも興味深いものです。
どこかに木綿の服のつくり方と絹の服のつくり方の絵本がないかなぁ。木綿はインドがいいし、絹はやっぱりカンボジアでしょう。