2025年9月18日木曜日

インドのミニアチュール


インド(確かニューデリー)の街角の店に、無造作に重ねてあった手描きの絵です。
パラパラとめくって、1枚だけ買ってきたもので、ミニアチュールとは言えない、インドではありきたりの売り絵でしたが、


バンコクの額縁屋さんで、周りにシルクを配して、割った竹を金色に塗った額縁をつくってもらい、高待遇(?)しました。


さて、インド ミニアチュール幻想』(山田和著、文春文庫、2009年)で、山田和さんは各地に古いミニアチュールやミニアチュールの作家さんなどを訪ねていらっしゃいます。


ミニアチュールを描く画家は、手漉きの紙を使います。


手漉きの紙は石板の上に置き、木の棒の真ん中に瑪瑙(めのう)をはめ込んだゴーターと呼ぶ道具でこすって、紙の表面を滑らかにします。


左端がゴーター、そしてヤギの毛の筆、リスの尻尾の毛の筆、などなどです。
細い細い筆をつくるために、画家は自分でリスを捕まえて尻尾の毛を抜いて筆をつくったります。

絵を描く順序は決まっています。ゴーターをかけた紙に、朱で最初の線描きをします。それからその上に絵の具を乗せやすいように、白色の下地を全体に塗り、乾いてから赤、黄、黒を混ぜてつくった褐色の絵の具で、最初の線描きを頼りに完全な線描きを仕上げます。
次に色を塗ります。最初は空、次いで建物、地面、木や草、そのあとで人物の着色をします。そして最後に、絵の枠を描きます。


絵の具は鉱物性、植物性、動物性のものをすりつぶして、粉にして使います。
例えば黒、黒も一色ではないので、炭化させてつくったり、鉄の容器に入れて放置して酸化させたり、ランプの上に石板を置いて煤を付着させたものをこそげ取ったりと、いろいろな黒をつくって使います。かつては絵の具は、その家、その家の秘伝でした。
牛に半年間マンゴーの葉っぱだけを食べさせ、その尿を集め、水分を飛ばしたつくった輝くばかりの美しい黄色い絵の具もあります。牛の健康上の問題か、今はこのつくり方は禁止されているそうです。


出来上がった絵は、今度は下向きに石板に乗せて、裏面をゴーターでこすって、絵の具を落ち着かせ、絵につやを出します。

ミニアチュールは、かつて写真のないころ、マハラジャやスルタンにもてはやされました。

「ティラカヤット・ゴーヴァルダンラールジーの肖像」19世紀末

上は、古い時代の肖像画です。


私の持っている絵は、手描きとはいえただの売り絵ですが、それでも細い細い筆を使って描かれています。

「クリシュナ神とラーダー」19世紀後期

そして、こちらが正真正銘のミニアチュールです。




 

2025年9月16日火曜日

ミルク入れ


マルはときどき、エチオピアの、ひょうたんでできたミルク入れに恍惚となります。
羊の毛やベドウィンの絨毯にも関心を示すことがありますが、いつもではありません。


乳製品を入れていたものは、ひょうたんであれ、木製品であれ、焼きものであれ、湿度が高い季節には何年も何年もカビが生えてしまいます。


今年もマルの好きなミルク入れはしっかりカビました。
新しい蓋はあとからつくったもの、乳が染み込んでないので今年はカビませんでした。


いつもは台所用石鹸液でごしごし洗うだけですが、思いついてアルコール綿で拭いて仕上げてみました。


あらっ、底の突起は何だろう?


内側から見ると、蔓のようなものが通してありました。おそらく小さい穴が開いたので修理したものでしょう。内側で細工するのは難しいのでもう一つ穴をあけて蔓を通し、その蔓を外側でつぶして穴をふさいだものと思われます。


ソマリの匙もかびていたので洗いました。


20年くらいカビていたソマリの木彫りのミルク入れは、乳製品の匂いも抜け、今ではカビることはありません。


ひょうたんのミルク入れは、しまう前にちょっとだけマルに遊ばせてやりました。







 

秋の干菓子

先日、鎌倉に住んでいるNさんが、バイクで訪ねてきました。
車で行くにもちょっと遠いなと感じる鎌倉から八郷までバイクで、しかも年齢が60歳越え、雨もパラパラ降ったりやんだりしていました。
バイクで雨はつらいだろうなと思ったら、全然気にしないそうで、夏休みには九州まで行ってきたとのことでした。


そのNさんから、鳩サブレはかさばるからバイクでは無理と、鎌倉豊島屋の干菓子をいただきました。


木箱の中には、秋の風が吹いていました。


自分のためにはなかなか買うことのない落雁(とゼリー)ですが、味も食感も微妙に違えてあり、目でも舌でも堪能しました。
ごちそうさまでした。




 

2025年9月15日月曜日

便利だった!


生協で、あらかじめフライパンの形にしてあるフライパンシートを売っていました。
表面をコーティング加工してあるフライパンなら問題はないのかもしれないけれど、鉄のフライパンでジャガイモのガレットをつくろうとすると、くっついてうまくひっくり返せないのでぐちゃぐちゃになり、食べられはするものの、ガレットとは別ものになってしまっていました。
そのため、ガレットを食べたいときは、同じ材料でオーブンで焼くしかなかったのですが、フライパンでつくれば時間は短縮できるだろうと、フライパンシートを買ってみました。
フライパンシートは大正解、全然気を使わないで、いつでもガレットがつくれるようになりました。


残りもののかぼちゃでつくったところです。
ビニール袋の中にかぼちゃ、片栗粉(または小麦粉)、チーズ、塩コショウを入れて振って混ぜ、フライパンシートの上下に少しだけオイルを敷き、蓋をして弱火で蒸し煮します。


ここからが楽なところですが、そろそろ焦げ目がついたかなと思う頃、フライパンシートを両手でつまんでかぼちゃをシートごとお皿に移し、フライパンには2枚目のフライパンシートを敷きます。


そして、お皿に移しておいたものをフライパンの上まで持ってきて、さっとひっくり返して、ガレットを新しいフライパンシートの上に着地させるのです。少々ずれても、簡単に寄せられます。
これは残りものでかぼちゃが少なかったのでうまく円形になっていませんが、十分は量があるときは、ちゃんと丸く形づくれます。





 

2025年9月14日日曜日

イグサの籠

私が小さい頃を過ごした倉敷市南部の農村地帯は、当時はイグサの一大産地でした。
たくさんの農家が田んぼでイグサを育て、夏の暑い盛りにイグサを刈り取り、田んぼの一画に掘った四角いプールに貯めた泥水の中で、束にしたイグサを泥染めして、刈り取った後の田んぼや道端に広げて干しました。
イグサの刈り取りと泥染めはとてもきつい作業なので、男手の少ない家では栽培はできません。働き盛りの男手のある農家にも毎年、1人あるいは2人の日雇取りさん(出稼ぎ労働者)が、海の向こうの四国から住み込みでやってきて、2週間ほど働いて、お盆のころに帰って行きました。
食料がまだ十分でない頃だったので、夏にイグサを刈り取った田んぼは、刈り取りのあと、遊ばせることはありません。田んぼの一角に固めて植えておいた稲を分けて植えなおし、10月には、ほかの田と同じようにお米も収穫していました。

イグサ農家の納屋からは、手織機で、のちに力織機で畳表を織る音が、農閑期の間中聞こえていました。また、夜は夜で、次の年の苗にするために、底冷えのする土間に座って、家族総出で大きな株を小さく割り続ける夜なべ仕事が、ひたすら続いていました。

イグサでつくった生活用品である、模様を織り出した茣蓙、座布団カバー、縄にして編んだ買いもの籠などは、ごくごくありふれ、あふれていました。そんな環境で育ったせいか、私はイグサ製品を欲しいと思ったことはありませんでした。


だからその昔、母がイグサの籠をくれたときも、ありがたいとも思わず受け取り、どこかに突っ込んでいました。母は籠と見れば、なんでも私によこしたのです。
イグサの籠は、母が買ったとは思えません。誰かのお土産だったのか、どうして持っていたのかなど、訊かずじまいでした。


数年前からは、この籠を放っておかないで活用しようと、爪切り、指のマッサージ器、かゆみ止め、付箋など入れて、コンピュータのわきに置いています。


イグサの籠は中国でつくられたのか、あるいはヴェトナムでつくられたの(おそらくそのどちらか)かわかりませんが、輸出品にしては、時間をかけて丁寧に編まれています。


さて、話は変わって、韓国江華島(カンファド)では伝統的に、イグサの蓋つきの籠、ワングルハプがつくられてきました。イグサ材の籠ですから気に留めなかったのですが、あまりにもきれいに編めたものを目にして、しかもさして古くはないからか値も張らなかったので手に入れたものがあります。


蓋の直径は13センチと小さな籠で、金糸銀糸と赤と緑に染めたイグサを編みこんであります。


ぐるぐると中心から編み進めたはずですが、渦巻状にならず、美しい円になっています。


そして、どうやって編むのか、本体も蓋も二重になっていて、内側は太い材で編んであるため、材がイグサなのにたわんだりせず、しっかり固く仕上がっています。

数日前に、こんこんギャラリーで会ったNさんは竹細工を習っています。このほど教室の皆さんと韓国に行き、竹細工の中心地の
潭陽(タミャン)の竹の博物館にも行ってきたとのことでした。
「韓国の籠はどうだった?」
と訊くと、よかったけれど、日本の竹細工に比べると、ちょっと雑な感じもしたと、Nさんは言っていました。確かに、前に紹介した韓国の現代の竹籠も、隅々まで神経が行き届いているというよりは、量産品としてちゃっちゃとつくったという印象を受けました。
心をこめて編んだものと、心があまりこもってないものにどこに違いが出るのか? 外国でも日本でも、町の竹籠屋さんに行くと、9割がた欲しいとは思わない籠が並んでいたりします。なかなかうまく説明はできませんが、明らかに違うのです。


韓国は昔から手工芸の盛んな国でした。
かつては、素晴らしい技術を持った籠師さんたちが大勢いらっしゃったに違いないのですが、プラスティック製品や、中国やヴェトナムからの安い輸出品に負けて、あとを継いでゆく人が続かないため、籠師さんの層がどんどん薄くなっているのでしょう。韓国だけではありませんが。


江華島(カンファド)でも、高齢化によって、ワングルハプをつくる人は少なくなっているそうです。





 

2025年9月13日土曜日

インドの包丁


『かぼちゃでゴロゴロ』(インドの昔話、西岡直樹 採録・再話、西岡由利子 絵 、福音館書店、2023年)の付録の「絵本のたのしみ」で、西岡ファミリー「紡ぎ車と世界の原毛アナンダ」の関係がわかったというか、うすうすは感じていましたが、アナンダは西岡直樹、由利子夫妻が設立した会社だったのです。
西岡直樹さんが、タゴール国際大学などインドの大学に長く留学されていたことは知っていましたが、お連れ合いの由利子さんがタゴール国際大学で古典絵画、パナスタリ大学で細密画、インド染色を学ばれた方とは知りませんでした。お子さまたちも含めて、最強の「チーム・インド」のご家族でした。


さて、『かぼちゃでゴロゴロ』の中におばあさんがむすめの家を訪ねてごちそうになっている場面があります。
葉っぱを綴ってつくった木の葉のお皿が見えていますが、一番左の女性の前に置かれた包丁を見てにんまりしてしまいました。


包丁はおばあさんが家に帰った最後の場面にも描かれています。


この包丁です。
両手で具材をもって、手前から向こうに押しつけるように切ります。玉ねぎのみじん切りもあっという間にできてしまいます。


台座は木でできているもの、鉄でできているものがあります。
指をひっかけて包丁を開くところ、刃先を収めておくところなど、美しい仕上がりに鍛冶屋さんの技が詰まっています。

まさかですが、ネットショップ「ティラキタ」で包丁を売っていました。使っている動画を見ることができます。
ココナツ削り器が先についた包丁もあるようです。





2025年9月12日金曜日

明かりのメンテナンス パート2

夫は目の横にブリンカーをつけた競争馬のように、前しか見ません。
行動力も集中力も抜群ですが、一度に一つのことしか考えません。したがってメンテナンスは大の苦手、生け垣は植えたら後は知らない、草も刈らない、ただただ、その時興味のあることに向かって日々邁進しています。
反対に私は、いつもあれこれ目が行って、一緒に作業するときなど、
「もっと集中しろ。ほかのことをするんじゃない!」
と叱られたりします。作業中なのに、ちょっとした隙を見つけて、目についた足元の草を抜いたりするからです。


電球の交換も、夫の眼中にありません。
切れていようが、ちかちかまたたいていようが気にしないというか、見えないのです。そして私は見えるけれど、自分では交換できない電球(蛍光灯形のものも電球と言っていいのか?)もいろいろあるのです。
「ねぇ、居間が暗いんだけど、交換できる電球はあるの?」
と訊いたら、夜でしたが、珍しく夫が腰を上げました。普通のLEDのほかに特殊電球もあって、私はどこに何を使うかよくわかりません。


これまでのと長さが違う電球はあったので、ソケットごと(?)交換してくれました。


ここの左側も切れていますが、ここはまたの機会にと言われてしまいました。

台所の照明も一つが、長く切れたままでした。
まぁ、そこそこの明るさはあるのですが、そのあたりに、先日、居間の電球を交換したときの電球が転がっていたので、替えてくれるよう頼んでみました。


「長い間替えてないから、どうやって開けるか忘れちゃったよ」
自分でつくった枠を外すまで、しばし時間がかかりました。
家にあった電球をはめてみました。


「だめだ。昼光色だった」
「まぁいいよ、それでも」
「だめだ、だめだ。買ってくるよ」


買ってきて、めでたく交換終了です。
「昼光色のは取っておいて」
「絶対使わないのに、取っておいてどうするの?」
「.....」
「てか、なんで昼光色のを買ってきたの?」
「間違えたんだよ」


ところで、居間の天井の高いところに一つ電球があります。切れたら、いったいどうやって交換できるでしょうか?
考えただけで頭がくらくらしてしまいます。