2026年5月5日火曜日

犬も歩けば棒に当たる

夫は昔から車の乗り方が乱暴です。特に軽トラックには荒い乗り方をして、ボロボロにしてしまいます。
3年ほど前に、あちこちへこんだりちぎれたりしている車を見かねて、嫌がる夫にきれいな中古車を買いました。
「これからは、きれいに乗ってね」
でも長続きしませんでした。
相変わらず、「急いでいたから」と左折するときに小さく曲がって車体に傷をつけたり、荷台に乱暴に物を突っ込んで「煽り」をへこましたり、側溝に突っ込んだりして、一時はガタガタになったバンパーを荷造りテープで留めて走っていました。
というわけで、近所の自動車屋さんにはよくお世話になるのですが、先日は左折のおりにコンクリートの擁壁にホイールをぶつけて変形させ、車がギクシャク走るようになって、また自動車屋さんに持って行きました。
数日後、夫が、
「自動車屋に行ったら軽トラが直っていて、乗っていった車と交換して置いてきたから、一緒に取りに行ってくれないか?」
と言いました。二人で行って、1台ずつ運転して帰って来ようというのです。
「いいよ、私が歩いて行って取ってくるから」
「えっ、歩いて行くの?」
そう驚くほどのことではありません。自動車屋さんまでは歩いて15分くらい、全然遠くないのです。距離は遠くないのですが、農道なので張り巡らされていて、3通りほどの行き方をすることができます。その道の1本の途中の耕作放棄された畑にヤブツルアズキが生えていたことがあったのを思い出して、車はほとんど通らない道を歩いて行きました。
ヤブツルアズキは見あたらなかったのですが、そこには、山でもないのに蕨がニョキニョキと生えていました。
「どうなってるんだ?」
まだ葉が開いてない蕨もたくさんあったので、夢中になって摘んでしまいました。
道草のあと、自動車屋さんに行くとお留守で、うちの車も見当たりません。おそらく車を届けてくれたのだろう、すれ違ってしまったのかと歩いて戻っていると、案の定、自動車屋さん父子二人の乗った車と出会い、
「届けておいたよ」
と声をかけられました。


さて、蕨はバット1枚には入りきれないほど採れました。


重曹を振りかけ、熱湯を注いで一晩置いて、アク抜きしました。


これで半分の量です。


油揚げはなかったので、がんもどきと煮ました。


蕨料理としては、マレーシアのサラワクの家庭料理で、大衆食堂でも食べられた、「蕨のニンニク炒め」が一番好きなのですが、試しても日本の蕨は熱湯で戻すからか、シャキシャキ感がなくなってしまって、サラワクの味が出ません。
もっとも、サラワクの蕨はアク抜きしないでそのまま調理できる別種ですが、ホロ苦くて、毎日食べても飽きない美味しさです。

と言いながらも、苦くない蕨の煮物を美味しくいただきました。重曹を少なくしたら、もっと苦さが残るのかな?








2026年5月4日月曜日

出逢ったけれど.....

骨董市で、轆轤で挽いた招き猫が売られていました。知っている猫です。


上の写真は我が家の招き猫ですが、これと同じ、というか湿気たのか全体にちょっとしらっちゃけていて、しかも我が家の猫と同じように台座が失われていました。

NANAさんのFBからお借りしました

この猫の完璧な姿には台座があって、台座が失われてなければ、こんな形をしているのです。

「これはいくらですか?」
「3000円」
「えっ、3000円、ですか.....」
私は、持っていた招き猫を静かに箱に戻しました。店主は台座が失われていることを知らないのかもしれないけれど、ちょっと高くないですか?


我が家には、轆轤挽きの招き猫は2匹います。1匹はお腹が前からくり抜かれていて、1匹はお腹が底からくり抜かれていて、こけしが隠されています。
いつか、台座がある姿の、お腹の中にこけしが隠された招き猫に出逢いたいものです。







2026年5月3日日曜日

津軽箕(?)

5月3日は「箕の日」、箕の日に勝手に協賛です。


上の写真の箕は、どこの箕でしょうか?
自然を編む知恵と技 箕』の「全国片口箕産地一覧」の写真と見比べたり、奥畑正宏さんの「調査ノート」を読んだりしながら推測して、「津軽箕」かなと思いましたが、はっきりとは特定できませんでした。幅90センチ、奥行き73センチ、高さ16センチの大きな箕です。
もしかしたら津軽箕ではないかも知れませんが、津軽箕であると仮定して、以下、津軽箕について書いてみたいと思います。

津軽箕の経材(たてざい)はフジ、緯材(よこざい)はイタヤカエデ、縁材はネマガリダケ、巻材はサルナシ(=ニギョウ)、補強材はヤマザクラの樹皮で、ヤマザクラは補強というより素敵な装飾に見えます。


『自然を編む知恵と技 箕』の第6章資料編の、「全国片口箕産地一覧」の表によれば、1950年代には、青森県弘前市の東目屋村と西目屋村の2カ村合わせて、箕のつくり手の家が約30軒ありました。
時代的に、津軽箕の生産量が最も多かったのは1955年(昭和30年)で、一人のつくり手が年間で300個ほど箕をつくり、できた箕は、つくり手自身がおもに青森県内を行商して売りさばきました。
30軒のつくり手がそれぞれ300個ずつつくったということは、1年間で9000個もの箕が生産され、青森県の農家に供給されたことになります。

太平洋戦争終戦以前の農業形態は、少数の地主が農地を所有していて、多くの農民は地主の農地を耕す小作農でした。
戦後まもなくの1946年(昭和21年)に、占領軍発案の民主化政策として「自作農創設特別措置法」が制定され、地主から農地を強制的に買収し、その土地を耕している小作人に払い下げる大規模な改革が行われました。また、農地改革によって創出された自作農が自身の土地をより効率的に耕作するためと、土地改良事業の一環として、1950年ごろから急速に区画整理(圃場整備)が組織的に行われるようになりました。
それらのことと、1955年が箕の需要のピークだったことは、深く関係していたように私には思われます。この頃までに箕が自作農になった各農家にいき渡ったのではないでしょうか。
私は昭和30年に1000円で購入したと墨書きのある箕を持っています。箕は自作農家には必需品だったものの、値が張るものでした。



さて、日本の片口箕の、もっとも古い出土品は、弥生時代前期(紀元前8世紀ごろ)のもので、箕は水田稲作とともに朝鮮半島からもたらされたものと推定されています。
もたらされて以後、箕は何千年にもわたって、農業などに欠かせないものとして、途切れることなくつくられ続け、使われ続けてきましたが、1960年代(昭和20年代半ばから30年代半ば)に、生業である稲作を含む農業の劇的変化により、衰退を余儀なくされました。



箕は、農具の中でも特別なものでした。
2025年に発行された『秋田県立博物館研究報告第50号』の、齊藤壽胤さんと丸谷仁美さんが書かれた、「箕を売る 太平(おえだら)箕の行方と箕売り習俗」には、以下のような一文があります。

 「箕」は、穀物を入れてあおり、籾殻や塵を選別する、または穀類を集める、入れる、 運ぶ、などに使われることが多いことから、箕そのものが穀類の豊穣をもたらすと感受され、刈り上げの節供や小正月の御霊の飯を盛る祭器具とも なり、また、病気や悪霊除却の呪具とも見なされて、
他の農具とは格段な信仰的に扱われることが明らかである。






 

2026年5月2日土曜日

春の嵐


昨日は激しい雨でしたが、午後にはいったんやんで青空がのぞいたものの、夜にはまた強い風が吹き荒れました。


折れてしまったクヌギの枝。


落ちてしまったカツラの葉。


カエデの枝やカツラの葉に混じっている白いものは、遠くから飛んできたトチの花です。


過去には、
「このくらいの雨や風で!」
とびっくりするくらい、大きな桐の木や松の木が倒れてしまったことが何度もありました。今日も、コナラの大きな枝が坂道を塞いでいて、それを取り去らなくては車は外には出られませんでしたが、まあまあの荒れ方で済みました。






 

2026年5月1日金曜日

ちょっときれいになりました

天才バカボンの招き猫の埃を払っていたら、汚れが目立ちました。


これまでは、刷毛で時折埃を払ってきたのですが、刷毛では取れない埃が付着しています。ソフトビニール製なので、劣化はやむを得ないと思っていますが、貯金箱になっていて後頭部に穴が開いているので、丸洗いはちょっと難しそうです。
絞った雑巾で拭いてみたら、少しはきれいになるでしょうか?


水拭きしたら、入り組んでいるところはきれいにしきれていませんが、口の上あたり、だいぶきれいになりました。


左は拭く前、右は拭いた後の、れれれのおじさんです。汚い手で触った覚えはありませんが、あちこち汚れていました。


きれいになったバカボンとバカボンのパパ。


ホンカンとれれれのおじさん。


招き猫たちは棚に置いています。
棚にガラスの扉をつければ埃のつき具合は減るとは思いますが、ガラス扉をつけると光を反射して見にくくなります。まして、劣化させないように箱に入れておくという選択肢は私にはない、いつでもよく見えるところにいて欲しいので、できるだけ、刷毛や雑巾できれいにしてやれればと思います。


3.11の後、棚にアルミ棒を通して転落防止にしましたが、バカボンたちはソフトビニール製なので落ちても問題ないと、ガードはつけていません。






 

2026年4月30日木曜日

嬉しいお土産


ふぢこさんから、北海道のお土産をいただきました。
くら屋菓子本舗の「北海道木彫り熊モナカ」です。くら屋のある北海道二海郡八雲町は、初めて木彫りの熊がつくられた地なのだそうです。


木彫りの熊は口を開けていて、毛並みも彫られていて、とてもよくできています。
包装紙を取って写真を写したいのだけれど、食べたいのだけれど、すぐ食べるのが惜しい。しばらくこのまま眺めていたいと思います。


そして、もう一つは桧山郡江差町の五勝手屋本舗の「五勝手屋ミニ丸缶羊完」です。正味期限は長いのですが、ふぢこさんが、
「糸で輪切りにしながら食べるの」
と言っていたので興味津々、包装紙には、「フタを取り上部の固い部分をつぶし下より押し出し糸で切ってお召し上がりください」と書いてあるので好奇心を抑えきれず開けて見ました。


レトロな包装紙がおしゃれだったのに、剥がさないと糸は出てきませんでした。


糸で切ってみます。面白い。


2切れ切ったところで、蓋をしました。
夫に1切れあげるつもりだったけれど、彼もやってみたいだろうと、この2切れは私がいただいて、やらせてあげました。
なんで? 夫は細かいことを気にしなさすぎる性格、糸を縁に沿わせなかったので、まっすぐ切れないで羊羹が曲がってしまいました。


楽しい、嬉しいお土産でした。
ごちそうさまでした。






 

2026年4月29日水曜日

長野からの客人

日曜日には、長野からHさん父子がいらっしゃいました。


キルト展の時も見に来てくださって、たくさんのお土産をいただいたのですが、またたくさんのおいしいお菓子、漬物、野菜までいただいてしまいました。


 久しぶりにテラスで天ぷらを揚げました。


天ぷらのタネの野菜は、庭の柿の葉、タラの葉(芽はとっくに葉になってしまった)、ウドの葉、ギョウジャニンニクの葉、お土産にいただいたナスなどでした。
もう長いこと、ハリエンジュ(ニセアカシア)の花の天ぷらを食べていません。耕作放棄地などにたくさん自生していましたが、ことごとく切られてしまったようです。


八郷ミニツアーをして、やさと暮らしの実験室、つながる図書館、Oくんの家Sくんの家を訪問しました。
Oくん、Sくんは、木を切ったりして整地するところから、自分で家を建てました。自力建設に関心があるHさんたち父子(Hさんはお医者さん、長男さんは建築家、次男さんは森林管理の仕事)は、それぞれの個性が出ている家を見て大感激されていました。
思い立って突然行ったのに、幸い両家とも在宅でしたが、S家では筍でメンマのつくり方のワークショップが開かれていて、15人ほどの参加者がまさに学習中、これはこれで素敵な風景でした。