2019年3月30日土曜日

読みにくいよぅ!

知り合いの中国人の方が、日本語の本、特に縦書きの本は読みにくいのでほとんど読まないとおっしゃっていました。
彼女は中国語はもちろん、英語もよくできて、日本語も読む書く話す、不自由のない方です。
その彼女の言葉を裏づけるような本を最近読みました。


『世界史を「移民」で読み解く』(玉木俊明著、NHK出版選書、2019年)です。


内容は面白く、いかにホモサピエンスが移動や交易、交流によって「今」を手に入れているかというものですが、たくさんの数字が出てきます。ほぼ、全ページに数字が出てくると言っては大袈裟ですが、そんな本です。

「ポリスの一つ」と漢字で書かれているのが、抵抗なく頭に入ります

それが、漢字の数字ではなく、ローマ数字で書かれています。
ローマ数字を縦に並べられても、横に並べたのと別物に思われます。
そして、この縦の羅列に慣れても、


二桁の数字は、半角にして一文字として納めているのです。

七年戦争の漢字だ!

175,000人となると、17は半角、「万」は漢字なので、さらに複雑な表記となります。
横書きであれば、175,000人と84,000人の違いはパッと頭に入りますが、そうはいきません。立ち止まって自分の頭の中で、翻訳機を作動させなくてはならなくなりますが、度重なると頭は数字を見るだけでぐったりしてきます。

こんな本を縦書きにするには、ちょっと限界がありませんか?
内容もさることながら、そんなことを考えさせられた本でした。





2019年3月29日金曜日

絵画教室

何故か、建築家の人たちに乞われて、夫が絵の教室を開くことになり、私も協力しています。
先日、第一回目を開きました。


この絵は夫が出題した問題です。
真ん中はある物体を上から見た図(平面図)で、その周りの4枚は、それぞれ横から見た図(立面図)です。これはどんな形のものでしょう、という問題でした。(答えは一番最後)
この図を見て、みんなちゃんと描けたのですから、何故習いに来るのか不思議ですが、3時間ほど楽しいひと時を過ごしました。


まずはシンプルな形のものの写生です。


短時間で、とてもよく描けています。


次は椅子。
建築家の方たちですから、不定形な形のものの写生より、縦横の比とか透視図として正しいかどうか、はっきりわかるようなモチーフの方が役に立ちます。


机の上に置いて周りから描いたので、場所によっては構図が難しいところもありましたが、みんな素敵に描けていました。


二回目以降は、建物の写生をしたり、敷地を決めて設計したりと、だんだん難しく、そしておもしろくなる予定です。


これが、最初の絵の答えです。






2019年3月28日木曜日


ちょっと旧聞になりますが、3月23日の夕焼けは盛大でした。


まるで燃えているような雲でした。


陽が沈むにつれて光の線が現れてきました。


楽しい夕焼け。


そして、次の日の空も素敵でした。







2019年3月27日水曜日

筑波山

一昨日から、宮崎のmmerianが遊びに来ています。
昨日は、Kさんの案内で、筑波山に登ってきました。中腹から、ロープウエイで女体山のあたりまで登りました。


女体山の頂上からは八郷盆地が一望できますが、あいにくの肌寒い曇り空、ぼんやりとしか見えません。
遠くに見える低い山並みは、写真中央のあたりにくぼみが見えますが、そのふもとあたりに我が家があります。
 

いつも人の絶えない筑波山。新緑や紅葉の季節は押すな押すなの混雑ぶりですが、平日の早朝なので、人はまばら、あちこちに生えているカタクリは、まだほとんどが蕾か、蕾も出ていない状態でした。


筑波山には、「ガマの油」という名物がありますが、これはそのガマに見立てたガマの岩です。


mmerianさんもKさんも、植物や虫、鳥などに造詣が深い、苔や地衣類も愛でながらの散策です。


女体山から男体山を目指します。


途中には、ここを通った親鸞聖人のお姿に見えるという出世岩があります。
江戸後期の探検家、測量家の間宮林蔵が、ここで出世祈願をしたそうです。


男体山頂上の神社の狛犬。
一匹しか残っていませんでしたが、「あ」でも「ん」でもなく、「いぃ」の口をしていました。


そこから、男体山の周りをぐるりと歩きます。


いたるところに案内板があるのが親切です。


ブナの林を通ります。


そして再びロープウェイで中腹へと戻りました。







2019年3月25日月曜日

皇帝サルタンの物語


皇帝サルタンのマトリョーシカ、ロシアとポーランドにはさまれた国、ベラルーシのブレストでつくられたものです。
「皇帝サルタン」はオペラで、原作はロシアのアレクサンドル・プーシキン、やはりロシアの作曲家のリムスキー=コルサコフが、1900年に作曲しました。


サルタン王とお妃

以下は、「皇帝サルタン」のあらすじです。
サルタン王は、三人姉妹の一番末の娘をお妃にしました。


お妃、お妃の姉二人と右端は謎の人物

おもしろくないのは、お妃の姉二人です。
王に向かって、お妃のあることないこと吹き込み、王はそれを信じて、お妃と王子を追放してしまいます。 よくある、愚かな展開です。
王子クヴィドーンは、母であるお妃の深い愛情のもと、立派な若者に成長します。 


白鳥と王子

やがて、王子はひょんな事から一羽の白鳥を助けます。白鳥は、王子にいつか恩返しすることを約束してその場を飛び立って行きました。 

ある日、お妃と王子は不思議な島に流れ着きます。島民の願いで、王子は島の王となり、島には平和な日々が流れていきます。 
一方、サルタン王は、三人の船乗りからクヴィドーン王子のことを聞いて驚きます。それを知った、お妃の二人の姉は、自分たちのついた嘘がばれることを恐れ、必死で覆い隠そうとします。
そこへ、いつか助けた白鳥の魔法で蜂に変身した王子がやってきます。そして、お妃の二人の姉を撃退します。そして、真実を知ったサルタン王はお妃と王子を迎えに行くことになりました。



白鳥はといえば、クヴィドーン王子の愛によって魔法が解けて、美しい王女に戻り、めでたしめでたしとなりましたとさ。

もとはと言えば、お妃の姉たちの嘘を見抜けず、お妃と王子を追放した皇帝サルタンの愚かさから物語が展開していますが、その愚かな皇帝の名前が、何故かオペラの題名になっています。
もっとも、皇帝が愚かでなかったら、王子は白鳥姫には会えなかったかもしれませんが。

めでたしめでたし。






2019年3月24日日曜日

インドのココナツ削り

稲わらの椅子を引っ張り出していたその日に、ちょうど同じ椅子がネットで紹介されていたという偶然もそうでしたが、何かが何かを呼ぶというか、めぐりあわせの不思議を感じることがあります。
先日、タイのココナツ削りに触れていて、果たしてインドではどんな道具を使っているんだろうと関心を持ち、そのことを書いたばかりだというのに、これまで実物を見たことがなかったインドのココナツ削りをネットで見つけてしまいました。


しかも素敵なやつ、誰も関心を寄せなかったのかSALEで50%オフ、嬉しくなってしまいました。
一枚の板を刳りぬいた台の受け皿つきです。


金属部分は、鉄を平らに叩いて、刃先だけをぐるっと90度ねじってあります。


その刃を、受け皿つきの台に埋め込んで、別の金属を打って留めてあります。


刃を留めた留め金を、裏から見たところです。
しっかり留まっていて、ぐらぐらしません。


台は全体に平べったく、タイの削り台のように高さがありません。


またいで腰掛けるのは無理なので、前に載せた写真のように、この上に立って、身体を二つに折って作業するのでしょう。


膝で押さえても、使えそうです。


シンプルだけどインドらしい装飾にもうっとりです。

ココヤシは内陸にも生えるにもかかわらず、東南アジアでココナツミルクを使う料理がつくられているのは、たいてい島嶼部です(タイ南部は島ではなく半島であるにもかかわらず、その気候風土から島嶼部に分類されています)。
タイでも、お菓子には、生菓子から工場生産の菓子まで、ほとんどココナツミルクが使われていますが、料理には、北部や東北部(大陸部)ではココナツミルクを使いません。
インドでも、ココナツミルクは島嶼的風土の南部だけで使われていたのでしょうか?
デリーやコルカタ、バングラデシュなどに逗留したとき、ココナツミルク味のカレーに出逢ったことはありません。
わりあい南のタミルナドゥ州のポンディシェリの近くに逗留したこともありますが、ココナツミルク味のカレーは食べませんでした。
ココナツ削りは、広いインドのどのあたりで使われているのでしょう?


ネットで見ると、インドからスリランカでは、手で回転させるココナツ削りが使われているようです。
回転式には、吸盤で台に固定するものと、


クリップで留めるものがあるようです。
しかし、回転式の削り器は、かなりの力を要するし、左手をうまく動かさないと、きれいに削れないようです。
これだったら、削り器を固定しておいてココナツを動かす方が簡単そうに見えてしまいます。


ところで、ネットでさらに見ていたら、シンプルなタイのココナツ削りをみつけました。
そして、記憶の底の底の方から、タイに住んでいたころ、我が家にもこれがあったことを思い出しました。すっかり忘れ果てていましたが、なかなか軽便です。






2019年3月23日土曜日

わらの椅子

ちょっとした集会があるので、低くて背もたれのない椅子が10脚要ることになりました。


何とかそろったものの、一番手前の稲わらの椅子はぼろぼろです。なんというか、わらの油気が抜けて脆くなり、箒でほこりを払っただけで、崩れるようにわら屑が落ちます。
「これ、座るの無理かなぁ」
「大丈夫じゃないの」
と、夫はのんきです。
座った人のお尻にわら屑がついてしまうのはやむを得ないとして、椅子自体が崩壊する恐れだって、ないわけではありません。


この椅子は、19歳の春に友人二人と京都大原の三千院に行ったおり、たまたま大原の里の農家のおばあちゃんが、庭先でこの椅子に座って作業をしていたのを目に止めて声をかけ、いろいろ話し込んだ後、その方がつくりためていたのをわけていただいたものです。当時は農家の庭先はどこも、農作業のために何も植えたりせず広くとってありました。
値段ははっきりとは覚えていませんが、300円くらいだったでしょうか。
ほかの二人は買いませんでした。当時は郵送システムも発達してなくて、アルバイトでためたお金もできるだけ使いたくないので、重いのにずっとぶら下げて、祖母の住んでいた倉敷まで運んで行きました。
大荷物だったので、勧められるままにわらの椅子は置いて行き、祖母が亡くなるまでわらの椅子は祖母の家にありました。足が悪くなっていた祖母は、おかんき(お看経)をするときに、この椅子を重宝していたようでした。


この椅子が必要になって引っ張り出したちょうどその日に、籠屋さん「カゴアミドリ」のネットニュースに、宮崎県日之影町で60年の歴史があるという「わら細工たくぼ」でつくられた、わらの腰掛けが紹介されていました。


カゴアミドリより

前にも、稲わらの椅子がカゴアミドリで紹介されていたのを覚えていたので、探してみようと思っていたところだったのでびっくり、グッドタイミングでした。

私は小さいころ倉敷で育ちました。
筵(むしろ)、叺(かます)、縄などなど稲わらでつくるものはたくさんありましたが、台所の土間やお風呂の焚口などで使う低い「こしかけ」は木でつくるもの、わらの椅子は見たことがありませんでした。
学生のころ東北から九州までいろいろ旅しました(宮崎県はかすっただけですが)。あちこちの農家にも飛び入りして、農具や民具をいろいろ見せてもらいましたが、京都の大原以外で、稲わらの椅子を見たことはありませんでした。
どうして大原と日之影にこの形の椅子があるのか、つくっていらっしゃる甲斐陽一郎さんに、お聞きしてみたいものです。

ちなみに、私の椅子は座面が広がっていますが、それは長く使っていたから広がったもの、もとは「たくぼ」の椅子同様、円筒形でした。

この椅子を手に入れたとき、京都では、三条河原町の新京極あたりにあった、素泊まり400円くらいの安い宿に泊まっていました。
ある朝、外に出てみたら、道端に稲わらでできたお櫃入れが捨ててありました。保温のために木のお櫃を、稲わらで編んだ蓋つきの籠に入れるのです。まだ使えそう、拾うかどうかしばらく迷ったのですが、もう手に持てないと、諦めたのを思い出しました。
わらがぎっしり詰まった椅子ほどは重くないものの、お櫃入れは業務用だっかのか、ちょっと大きめのものでした。








2019年3月22日金曜日

春分

福島県、栃木県、茨城県の県境にある八溝山から南に走る八溝山系の、どん詰まりに筑波山があります。その南は、ひたすら関東平野です。
筑波山の南に位置する東京からは筑波山だけが見えますが、その背後には足尾山や加波山が控えているというわけです。

赤丸が我が家

我が家は足尾山の真東に位置しています。
そのため太陽は、春分と秋分には真西にある足尾山に沈むのですが、我が家は標高85メートル、足尾山は628メートルなので、実際は、標高差がある分だけずれて沈みます。
また、冬至には太陽は筑波山のさらに南に沈み、夏至には加波山のさらに北に沈み、夕日の位置が大きく動くのを、目の当たりにすることができます。

17:37時

これが3月18日の日の入りです。

17:36時

 そして、雲があってはっきりしませんが、これが3月20日の日の入りです。


友人Sさんが、風水に落としてくれた我が家です。
よくわかりませんが、なかなかいいところにあるようです。

17:38時

春分の日の3月21日、日はここに沈みました。
たった三日前には、足尾山の左のくぼみのところに沈んでいます、ずいぶん動きました。
これからぐんぐんと、右の方へ動いていきます。