2015年7月31日金曜日
九谷の招き猫
「ネタがない時の招き猫頼み」
と猫棚を見ていたら、ちょっとしもぶくれの九谷顔をした猫がいました。
底を見ると、「九谷」の刻印があります。
なんてこと!
先日は、「我が家には九谷の猫は一匹もいない」と、豪語してしまい、お恥ずかしいことです。
この彩色していない小さな九谷の猫が、いつから、どのような経路で我が家に生息しているのか、まったく覚えていません。
鋳型はきっちりつくられていて、細部まで事細かに表現されています。
これに、大きいものになるとレリーフを施したり、何色もの釉薬を使い、融点の違う金彩もして、何度も焼くのですから、ちょっとお値段が高めなのも仕方ないのかもしれません。
以前住んでいたつくばに、店じゅうに見事な九谷焼を飾っているメガネ屋さんがありました。
そう古いものではなく、新しいものだったかもしれませんが、素晴らしいお皿や鉢でした。大きな一尺ほどの招き猫も二体あって、手の込んだ絵つけがされていました。
当時、私は招き猫について全く知識がなく、九谷の招き猫を見たのもそれが最初でしたが、素人目にも、高価で手が届きそうにない招き猫でした。
1988年ごろだったか、それまで一度も大きな地震がなかった茨城県に、比較的大きな地震が発生し、我が家でも、上の方に置いていた祖母の家に伝わる古いお皿など、かなりのものが割れたり壊れたりしました。
地震の後、メガネ屋さんに行くと、何も飾られていませんでした。
九谷焼は、お客さんが手を触れたりしないよう、ガラスケースの上の高いところに多く飾られていたので、きっと全部割れてしまったのでしょう。
なんともお気の毒で、被害がどんなだったかたずねるのもはばかられました。
招き猫を集めるようになって、九谷の猫もよく目にしますが、メガネ屋さんの招き猫ほど立派なものを、見たことはありません。
2015年7月30日木曜日
リブ皿
六寸のリブ皿は、ぽってり厚めの磁器です。
同じくらいの大きさのお皿は持っているので、買うことがためらわれました。
リブがあるので、実質窪んだ部分しか役に立たないのに、普段遣いには大げさだし、しまうのにも場所をとるし、洗うのも....。
でも、シダの葉模様も、豆絞り模様も爽やか。お菜を盛ったとき、模様はきっと映えるでしょう。
皿小鉢は、食卓の真ん中に置くものではなく、銘々が取り分けて使うものとなると、やはり六枚揃っていると安心します。
そう思いつつ、思い切り悪く一枚ずつ買って帰り、あとで慌てて電話して、取っておいてもらったりしました。
もちろん、二人だけですから、使うのはたいてい二枚だけです。
夫が豆絞り、私が櫛のことが多いでしょうか。
しかし、リブの模様を愛でたりする余裕もなく、わしわしとご飯を食べ、さっさと洗ってしまいます。
そして、拭くときだけ、ちょっぴりお皿を楽しんでいます。
2015年7月29日水曜日
張り子の犬
犬張り子は、安産のお守りとして、各地の神社で授与されましたが、一見猫に見える「犬張り子犬」だけでなく、「普通の犬」もやはり安産のお守りとして、つくられたようでした。
学生時代に手に入れた、山形張り子の小さな犬を大事にしていました。
上品な姿で、絵つけも繊細、表情もよくて大のお気に入りだったのですが、あぁ残念、いつの間にか失われていました。
引っ越しはたくさんしたし、空き家に荷物を保管していたことも多かったので、湿気に弱い張り子はずいぶんだめになってしまいましたが、山形張り子もそのうちのひとつだったのでしょう。
山形では、鞠猫はいまでもつくられているようますが、犬はつくられていません。
三春張り子の狆(ちん)です。
おでこのひっこんでいるところ、どんぐり眼、意匠化した松のような鼻、何とも言えません。
こんな顔を毎日見て過ごしたら、ほっと気が抜けて、安産間違いなしだったことでしょう。
猫でもないのに、大きな鈴を首から下げている張り子の犬は、産地不明です。
三春の犬に比べると、子どもの工作のようなできですが、それにはそれなりの味わいもあります。
この犬ののんびり顔もまた、安産のお守りにはぴったりでしょうか。
高松張り子の鯛持ち犬。
高松張り子は、もろくて壊れ易い張り子です。
ちょっとした衝撃ですぐへこんで胡粉の落ちる脆さ、膠の混ぜ方のせいか、色もはがれ落ちやすいく、めくれ上がってはがれてしまいます。
やっと犬とわかる程度です。
高松張り子の宮内ふささんは、1883年(明治16年)に生まれて、7歳のころから見よう見まねで人形をつくりはじめ、90歳を過ぎても制作(晩年は絵つけだけ)されていましたが、1985年(昭和60年)に、102歳で亡くなられました。
考えられないほど精力的な方で、ものすごい量をつくられました。
いまでも、ヤフーオークションで宮内ふささんの張り子やひねり人形が出品されていない日はないくらいですが、私が驚くのはその数より人形たちの状態のよさです。どれも、箱に入れてしまっておく以外とても保てない美しさで、飾って毎日見たい私には真似できないことです。
我が家にも、宮内ふささんのつくった張り子やひねり人形がありますが、残念ながら、だいたいこんなぼろぼろの状態になっています。
学生時代に手に入れた、山形張り子の小さな犬を大事にしていました。
上品な姿で、絵つけも繊細、表情もよくて大のお気に入りだったのですが、あぁ残念、いつの間にか失われていました。
引っ越しはたくさんしたし、空き家に荷物を保管していたことも多かったので、湿気に弱い張り子はずいぶんだめになってしまいましたが、山形張り子もそのうちのひとつだったのでしょう。
山形では、鞠猫はいまでもつくられているようますが、犬はつくられていません。
三春張り子の狆(ちん)です。
おでこのひっこんでいるところ、どんぐり眼、意匠化した松のような鼻、何とも言えません。
こんな顔を毎日見て過ごしたら、ほっと気が抜けて、安産間違いなしだったことでしょう。
猫でもないのに、大きな鈴を首から下げている張り子の犬は、産地不明です。
三春の犬に比べると、子どもの工作のようなできですが、それにはそれなりの味わいもあります。
この犬ののんびり顔もまた、安産のお守りにはぴったりでしょうか。
高松張り子の鯛持ち犬。
高松張り子は、もろくて壊れ易い張り子です。
ちょっとした衝撃ですぐへこんで胡粉の落ちる脆さ、膠の混ぜ方のせいか、色もはがれ落ちやすいく、めくれ上がってはがれてしまいます。
やっと犬とわかる程度です。
高松張り子の宮内ふささんは、1883年(明治16年)に生まれて、7歳のころから見よう見まねで人形をつくりはじめ、90歳を過ぎても制作(晩年は絵つけだけ)されていましたが、1985年(昭和60年)に、102歳で亡くなられました。
考えられないほど精力的な方で、ものすごい量をつくられました。
いまでも、ヤフーオークションで宮内ふささんの張り子やひねり人形が出品されていない日はないくらいですが、私が驚くのはその数より人形たちの状態のよさです。どれも、箱に入れてしまっておく以外とても保てない美しさで、飾って毎日見たい私には真似できないことです。
我が家にも、宮内ふささんのつくった張り子やひねり人形がありますが、残念ながら、だいたいこんなぼろぼろの状態になっています。
2015年7月28日火曜日
リスつきの小鉢
笠間のギャラリー「舞台」に、「高橋協子展」を見に行ってきました。
高橋さんは、郷土玩具がお好きです。
DMの「おもちゃづくし」の犬張り子犬や招き猫の可愛いこと。蛸を頭に乗せた猫のお皿もあります。
もっとも、はじまってからずいぶん経って行ったので、これらは売り切れてしまっていましたが。
以前、こんこんギャラリーで見た、狐が盃をおふろ代わりにしていた器は、実用と非実用の境目くらい、そのうちただの飾りになりそうな予感のするものでしたが、今回のリスが縁につかまっているご飯茶椀は、十分実用品として機能しそうです。
といっても、お茶碗として使うより、そうめんのつけ汁入れや、小鉢として使うつもりです。
煮ものを盛ったりする小鉢は、この大きさのものをあまり持っていません。
小鉢は、浅過ぎてもだめ、深すぎて盛ったお菜が見えないのもだめ、大き過ぎても小さすぎてもだめで、かといって、ご飯茶わんも小鉢としてはなかなか使えません。
リスはついていますが、一応、重ねて仕舞うことができます。
手元皿や小鉢は六客、少なくても五客は揃えたい私ですが、特殊な形の皿小鉢は、さすがに二客ずつです。
それにしても、二人だから、二客ずつで十分なのですが、やっぱり数があるものの方が使う頻度が高くなります。
もっとも、こうやって見ると、もとは六客揃っていたはずが、少なくなってしまっているものも、けっこうあります。
2015年7月27日月曜日
てぬぐい半纏
以前、母が身辺整理をしたときもらったてぬぐいを、紙袋に入れたまま、数年間放置していました。
片づけるついでに、てぬぐいをつなぎ合わせて寝巻をつくろうかとひっくり返してみたら、私が子どもの頃に亡くなった「母の叔父」の勤めていた会社の名前の入ったてぬぐいや、浅草「ふじ屋」の「其まま地口 猫飼好五十三疋」のてぬぐいなどあり、しばし見入ってしまいました。
歌川国芳の「みやうかいこう・ごじうさんびき」は、「とうかいどう・ごじうさんつぎ」をもじったもので、東海道の宿場名を地口(駄洒落)にして、猫を描いています。
そして、半纏状に折った手ぬぐいもありました。
前だけでなく、
背中もなかなかいなせです。
広げてみることにしました。
袖部分を広げただけで、折り方の感じがつかめます。
ここまできたら、すっかり呑み込めました。
てぬぐいは、こんな感じに模様を配置してありました。
真似してみます。
私の持っているてぬぐいはみんな、更科のてぬぐいより短めでしたが、袖の部分で長さを調節できるので、問題ありません。
アイロンを当てれば、もっとぴったりと収まるでしょう。
小さい半纏も広げてみました。
小さい半纏は、小さい手ぬぐいを使っているものだとばかり思っていたら、サイズは同じで、あらかじめ縦に折って、幅を細くしていたのです。
長さは、袖の部分に折り込めば、いくらでもというわけにはいきませんが、ずいぶん折り込むことができます。
小さい半纏は、布を折り込む量が多いので、ちょっともこもこしますが、これもアイロンさえ当てればすっきり収まるはずです。
片づけるついでに、てぬぐいをつなぎ合わせて寝巻をつくろうかとひっくり返してみたら、私が子どもの頃に亡くなった「母の叔父」の勤めていた会社の名前の入ったてぬぐいや、浅草「ふじ屋」の「其まま地口 猫飼好五十三疋」のてぬぐいなどあり、しばし見入ってしまいました。
歌川国芳の「みやうかいこう・ごじうさんびき」は、「とうかいどう・ごじうさんつぎ」をもじったもので、東海道の宿場名を地口(駄洒落)にして、猫を描いています。
そして、半纏状に折った手ぬぐいもありました。
前だけでなく、
背中もなかなかいなせです。
広げてみることにしました。
袖部分を広げただけで、折り方の感じがつかめます。
ここまできたら、すっかり呑み込めました。
てぬぐいは、こんな感じに模様を配置してありました。
真似してみます。
私の持っているてぬぐいはみんな、更科のてぬぐいより短めでしたが、袖の部分で長さを調節できるので、問題ありません。
アイロンを当てれば、もっとぴったりと収まるでしょう。
小さい半纏も広げてみました。
小さい半纏は、小さい手ぬぐいを使っているものだとばかり思っていたら、サイズは同じで、あらかじめ縦に折って、幅を細くしていたのです。
長さは、袖の部分に折り込めば、いくらでもというわけにはいきませんが、ずいぶん折り込むことができます。
小さい半纏は、布を折り込む量が多いので、ちょっともこもこしますが、これもアイロンさえ当てればすっきり収まるはずです。
2015年7月26日日曜日
安全ピンの箱
老犬がときおり、血糖値のコントロールがうまくいかなくて、ベッドに粗相をするようになりました。
洗える布団に夏は綿のカバーをかぶせて、冬はさらにその上から毛布で包んでいましたが、粗相したとなると、全部洗わなくてはなりません。
また、犬たちの昼間の居場所には、母からもらった座布団を箱の中にそのまま敷いて使っていて、これまでは問題なかったのですが、こちらも被害に遭いました。
座布団カバーは洗えましたが、座布団は二枚ほど捨てました。
そこで、対応策として、おしっこシートを布団や座布団の上に置いて、それを布でくるむことにしました。それなら、おしっこシートの上の布一枚だけ洗えば事足ります。
犬は落ち着きたいとき、やみくもに掘ることがあるので、布を巻いただけでは布端を引っ張り出して、くちゃくちゃにしてしまいます。
これまではファスナーをつけたカバーをつくって、使っていましたが、おしっこシートを置いてから包むとなると、風呂敷状の布で覆う方がずっと楽そうです。
というわけで、布を留めるのに、安全ピンを使うことにして、久しぶりに安全ピン入れを開いてみました。
あるある。
小さいのは新しく買った服などに、タグをつけていたもの、大きいのはおむつ留めだったものです。
その昔、紙おむつに安全ピンはつきものでした。
長男は、赤ちゃん時代をアメリカで過ごしましたが、普段は布おむつとおむつカバーを使いました。でも遠出する時は、他の子たちが使っているようなパンパースの紙おむつを使いました。
日本ではまだ、ほとんどのお母さんたちが、紙おむつの存在さえ知らない時代でした。
次男の赤ちゃん時代にアメリカから帰国し、紙おむつの便利さが忘れられずさがしましたが、どこにもありませんでした。
もしかしてと行った、有楽町のアメリカ人向けのお店のアメリカンファーマシーで、やっとパンパースを見つけましたが、びっくりするような値段だったので、一パック、十枚ほど買っただけでした。
買ったものの、もったいなくて、遠出のときでさえ使い惜しんでいたら、次男は早々とおむつが取れて、高価だった紙おむつは、何枚か残ってしまいました。
そんな、赤ちゃんのおむつを留める、あひるの安全ピンです。
アメリカのホームセンターのようなところで買ったもので、何本かありましたが、割れたりしたのか、たった一本だけ、失われずに残っていました。
こんな、安全ピンを両脇に留めた赤ちゃんは、かわいかったなぁ。
今では紙おむつもテープがついていたりパンツ式だったりして、もう誰も安全ピンなど使っていません。
安全ピン入れに入っていた犬のバッジは、アヒルの安全ピンを使った長男が長じて、次男のためにデザインしたバッジです。
ミニチュア・ダックスフンドのシャックがモデル、きりりとしています。
それにしても、次男の犬の名前のつけ方はかっこつけ過ぎ。
シャックこと、シャキル・オニール、ガウこと、アントニオ・ガウディー、アルシこと、アルシオーネ。アルシオーネとは、星座スバルの中で一番輝いている星の名前です。
そのアルシは、今では我が家の老犬になっていて、粗相をしています。
といいつつ、おしっこシートを敷いてから、一度も粗相をしていませんが。
洗える布団に夏は綿のカバーをかぶせて、冬はさらにその上から毛布で包んでいましたが、粗相したとなると、全部洗わなくてはなりません。
また、犬たちの昼間の居場所には、母からもらった座布団を箱の中にそのまま敷いて使っていて、これまでは問題なかったのですが、こちらも被害に遭いました。
座布団カバーは洗えましたが、座布団は二枚ほど捨てました。
そこで、対応策として、おしっこシートを布団や座布団の上に置いて、それを布でくるむことにしました。それなら、おしっこシートの上の布一枚だけ洗えば事足ります。
犬は落ち着きたいとき、やみくもに掘ることがあるので、布を巻いただけでは布端を引っ張り出して、くちゃくちゃにしてしまいます。
これまではファスナーをつけたカバーをつくって、使っていましたが、おしっこシートを置いてから包むとなると、風呂敷状の布で覆う方がずっと楽そうです。
というわけで、布を留めるのに、安全ピンを使うことにして、久しぶりに安全ピン入れを開いてみました。
あるある。
小さいのは新しく買った服などに、タグをつけていたもの、大きいのはおむつ留めだったものです。
その昔、紙おむつに安全ピンはつきものでした。
長男は、赤ちゃん時代をアメリカで過ごしましたが、普段は布おむつとおむつカバーを使いました。でも遠出する時は、他の子たちが使っているようなパンパースの紙おむつを使いました。
日本ではまだ、ほとんどのお母さんたちが、紙おむつの存在さえ知らない時代でした。
次男の赤ちゃん時代にアメリカから帰国し、紙おむつの便利さが忘れられずさがしましたが、どこにもありませんでした。
もしかしてと行った、有楽町のアメリカ人向けのお店のアメリカンファーマシーで、やっとパンパースを見つけましたが、びっくりするような値段だったので、一パック、十枚ほど買っただけでした。
買ったものの、もったいなくて、遠出のときでさえ使い惜しんでいたら、次男は早々とおむつが取れて、高価だった紙おむつは、何枚か残ってしまいました。
そんな、赤ちゃんのおむつを留める、あひるの安全ピンです。
アメリカのホームセンターのようなところで買ったもので、何本かありましたが、割れたりしたのか、たった一本だけ、失われずに残っていました。
こんな、安全ピンを両脇に留めた赤ちゃんは、かわいかったなぁ。
今では紙おむつもテープがついていたりパンツ式だったりして、もう誰も安全ピンなど使っていません。
安全ピン入れに入っていた犬のバッジは、アヒルの安全ピンを使った長男が長じて、次男のためにデザインしたバッジです。
ミニチュア・ダックスフンドのシャックがモデル、きりりとしています。
それにしても、次男の犬の名前のつけ方はかっこつけ過ぎ。
シャックこと、シャキル・オニール、ガウこと、アントニオ・ガウディー、アルシこと、アルシオーネ。アルシオーネとは、星座スバルの中で一番輝いている星の名前です。
そのアルシは、今では我が家の老犬になっていて、粗相をしています。
といいつつ、おしっこシートを敷いてから、一度も粗相をしていませんが。
2015年7月25日土曜日
竹の飾り棚
先日の骨董市で、古くから知っている骨董屋さんが、孟宗竹を切って棚状にしたものを持っていました。
普通、竹の杓子立ては節と節の間が長いものを使って、杓子が立てられる実用品ですが、これは根の太い部分を使っていて、節と節の間が詰まっていて、杓子は立てられません。
さて、これを使ってものを整理すると、少しはすっきり片づくかしら?それとも、何の役にも立たないかしら?
「割れが、全然入っていないんだよね」
と、骨董屋さん
そう、煤けて入るけれど、傷んでいません。
土間で、竈もあるがらんとした台所なら、きっとよい置き場所を見つけられそうですが、我が家にはこれを掛けるようなところは、台所にはありません。
二階の展示室の、木の実などでつくった額を移動して、棚の脇に掛けることにしました。
ここは、どちらかといえば通路なので、後ろに引きがなくて、薄い額はあまり目立たないのですが、立体的なものを持ってくれば、左にある入口を入ってきたとき、目につきやすいかもしれません。
「どうだぁ?」
ごちゃごちゃしてしまいました。
たかつきの上に並べてあったセルロイドたちを入れてみました。
クマちゃん、ワンちゃん。
これまで、座らせたり立たせたりしていましたが、安定が悪く、いつもひっくり返っていたものたちです。
キューピーさんたち。
「どう、住み心地は?」
それにしても、これはいったい何を入れるためにつくったものでしょう?
台所の片隅で、マッチ、重曹、味の素などの置き場になっていたのではなく、床の間で花活けなんて、ありえたでしょうか?
もう少し様子を見て、ここでなじまないようだったら、新しくつくっている作業棟の方に移動させてしまいます。
2015年7月24日金曜日
2015年7月23日木曜日
木組み
五年ほどかかっていた、作業棟のコンクリート工事が終わりました。
その間、大地震と原発事故がおこったことで、精神的・実際的な中断がありました。また、身体の衰えから立ち居振る舞いがしゃきしゃきとはいかなくなったり、疲れやすくなって長時間は働けなくなったり、なにごとにも前より時間がかかってしまうようにもなりました。
それでも、いよいよ新しい局面を迎えました。
先日、夫は組んでつくる、鉄骨の間に収める大梁の詳細図面を描き、小貝川の向こうにあるプレカット屋さんに、プレカットを頼みに行きました。
なぜ、普通の梁を使わないで、箱に組んだ梁を使うのか?
それは、作業場なので明るくしたい、大梁の箱のてっぺんにガラスを入れて、長い天窓とするからです。
これは夫が描いた絵で、室内から東を見たところです。
左右(南北)の扉は、開け放しています。黒く塗ってあるところがガラスで、大梁の上に黒く見えているのが天窓です。
プレカットとは、木組みの家の刻みを機械でやることです。
かつて、どの大工さんも家を建てる時は、材木を手で刻みました。柱と梁などをどう接合させるか、経験と技術がものを言う、大工さんの腕の見せどころでした。
でも、最近はほとんどの大工さんが、刻みをプレカット屋さんに頼んでいます。プレカット屋さんは、平面図と立面図を受け取ると、それをコンピュータ入力して、プレカット機械が読み取れる図面につくり直します。
そして、必要な材木を用意すると、機械がコンピュータの指示を受けて、一本一本正確に刻んでいくのです。
大工さんが自分で刻むとなると、何日も、あるいは何週間も、そして大きな家だと何ヶ月もかかりました。ところがプレカットだと、数時間から半日もあれば刻んでしまい、最初にしっかり数字を拾っておくと、間違いもないのです。
友人に設計家と大工のご夫婦がいます。
だんなさんはお寺も請け負うような、本格的な木組みの大工さんで、これまでご夫婦で何棟もの住宅を、設計・施工してきました。それが、つい先日完成した家は、刻みを初めてプレカット屋さんに頼んだとのこと、
「えっ、あの人も」
と、びっくりしてしまいました。
さて、母屋の刻みもお願いした県西プレカットの玄関には、お寺の屋根のような、反った屋根の模型が置いてありす。
プレカット屋さんにも大小いろいろありますが、ここは、規模と技術で、日本で一二を競うプレカット屋さんで、直角ではない仕口も刻むことができ、金物を使わないでも収まる仕口を得意としています。
全国から注文があり、ちょっとした増築から神社仏閣まで、一日平均で三軒分の家の材木を刻んでいるそうです。
我が家の大梁は、長さが8メートルもあり、材木を途中でつながなくてはなりません。
そんな時は、「追掛け大栓」という方法でつなぎます。
下に支えがあるなど、あまり力がかからない、土台や梁をつなぐときなら、もっと簡単な「腰掛けあり継ぎ」や、「腰掛けかま継ぎ」でつなぎます。
木組みは、見た目より複雑に刻んであります。
我が家の母屋の、丸柱と梁が組み合わさっている木組みは、出来上がったのを見たところ、すっきりしていますが、9年前にプレカット屋さんから届けられたとき、とくに丸柱の仕口があまりにも複雑だったので、驚いたものでした。
プレカットした材木には、すべてに順番に番号を振ってありますから、大工さんも間違えません。
ただ、我が家の母屋の場合、とても複雑な組み方で、組む順番もあったので、プレカット屋さんの大工さんのばんばさんも来てくれました。
さて、今回発注した大梁は、仕組みとしては簡単です。
来週にはプレカット図面ができるので、それでよいとなると、材木屋さんで乾燥してもらった材木を運びこみ、刻んでもらったら、来月から大梁をつくりはじめることができます。
上棟をお願いする大工さんは、11月まで忙しいそうです。というわけで、日の短い時期ですが上棟は12月以降になりそうです。
その間、大地震と原発事故がおこったことで、精神的・実際的な中断がありました。また、身体の衰えから立ち居振る舞いがしゃきしゃきとはいかなくなったり、疲れやすくなって長時間は働けなくなったり、なにごとにも前より時間がかかってしまうようにもなりました。
それでも、いよいよ新しい局面を迎えました。
先日、夫は組んでつくる、鉄骨の間に収める大梁の詳細図面を描き、小貝川の向こうにあるプレカット屋さんに、プレカットを頼みに行きました。
なぜ、普通の梁を使わないで、箱に組んだ梁を使うのか?
それは、作業場なので明るくしたい、大梁の箱のてっぺんにガラスを入れて、長い天窓とするからです。
これは夫が描いた絵で、室内から東を見たところです。
左右(南北)の扉は、開け放しています。黒く塗ってあるところがガラスで、大梁の上に黒く見えているのが天窓です。
プレカットとは、木組みの家の刻みを機械でやることです。
かつて、どの大工さんも家を建てる時は、材木を手で刻みました。柱と梁などをどう接合させるか、経験と技術がものを言う、大工さんの腕の見せどころでした。
でも、最近はほとんどの大工さんが、刻みをプレカット屋さんに頼んでいます。プレカット屋さんは、平面図と立面図を受け取ると、それをコンピュータ入力して、プレカット機械が読み取れる図面につくり直します。
そして、必要な材木を用意すると、機械がコンピュータの指示を受けて、一本一本正確に刻んでいくのです。
大工さんが自分で刻むとなると、何日も、あるいは何週間も、そして大きな家だと何ヶ月もかかりました。ところがプレカットだと、数時間から半日もあれば刻んでしまい、最初にしっかり数字を拾っておくと、間違いもないのです。
友人に設計家と大工のご夫婦がいます。
だんなさんはお寺も請け負うような、本格的な木組みの大工さんで、これまでご夫婦で何棟もの住宅を、設計・施工してきました。それが、つい先日完成した家は、刻みを初めてプレカット屋さんに頼んだとのこと、
「えっ、あの人も」
と、びっくりしてしまいました。
さて、母屋の刻みもお願いした県西プレカットの玄関には、お寺の屋根のような、反った屋根の模型が置いてありす。
プレカット屋さんにも大小いろいろありますが、ここは、規模と技術で、日本で一二を競うプレカット屋さんで、直角ではない仕口も刻むことができ、金物を使わないでも収まる仕口を得意としています。
全国から注文があり、ちょっとした増築から神社仏閣まで、一日平均で三軒分の家の材木を刻んでいるそうです。
我が家の大梁は、長さが8メートルもあり、材木を途中でつながなくてはなりません。
そんな時は、「追掛け大栓」という方法でつなぎます。
下に支えがあるなど、あまり力がかからない、土台や梁をつなぐときなら、もっと簡単な「腰掛けあり継ぎ」や、「腰掛けかま継ぎ」でつなぎます。
木組みは、見た目より複雑に刻んであります。
我が家の母屋の、丸柱と梁が組み合わさっている木組みは、出来上がったのを見たところ、すっきりしていますが、9年前にプレカット屋さんから届けられたとき、とくに丸柱の仕口があまりにも複雑だったので、驚いたものでした。
プレカットした材木には、すべてに順番に番号を振ってありますから、大工さんも間違えません。
ただ、我が家の母屋の場合、とても複雑な組み方で、組む順番もあったので、プレカット屋さんの大工さんのばんばさんも来てくれました。
さて、今回発注した大梁は、仕組みとしては簡単です。
来週にはプレカット図面ができるので、それでよいとなると、材木屋さんで乾燥してもらった材木を運びこみ、刻んでもらったら、来月から大梁をつくりはじめることができます。
上棟をお願いする大工さんは、11月まで忙しいそうです。というわけで、日の短い時期ですが上棟は12月以降になりそうです。
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