2025年5月31日土曜日

紋織りのブラウス

いつも、身体をどこも締めつけない普段着で出かけてしまいますが、クラス会などだと、ちょっと着ていく服を選ばなくてはなりません。そんなとき、服選びより全然着ない服を手に取って懐かしんだり、こんなに着てないのだから処分しなくてはと選り分けたりする方に、つい力が入ってしまいます。


そんなとき、あることさえ忘れていたブラウスを見つけました。肩パッドが入っていて、即処分する服に分類しましたが、処分する服をまとめる段になって、待てよと思い、羽織ってみました。
既製服だったので余裕で着ることができ、肩パッドを取ったら、着られそうでした。余裕で着ることができるなら、友人の結婚式のときに、きつくなった服をなおしたり、痩せたりする苦労しなくてよかったのにと思いましたが、あれは寒い季節でのこと、袖なしを着ていた人もいましたが私は無理、いずれにしてもこのブラウスは結婚式には着ることはできないものでした。


この布は紋織りで織られています。


紋織りですから、裏と表で色(糸の出方)がちょうど反対になっています。
布は、タイの農村で織られた手織り布です。手織りで紋織りの布を織るなら、模様綜絖さえあれば織れますが、機械で織るならかつてのジャガード機ではパンチカードが必要だったし、今ではコンピュータで、模様を制御しています。


手織りですから、何ヵ所か「織り間違い」があるのもご愛敬です。
しかし、このブラウスに合うホールがあるかしら?


仕事着で着ていた黒いホールは合いそうですが、おめでたいときには着られません。
おそらく取っておいても着る機会はなさそうですが、こうして引き出しの中はなかなか片づかないのです。

いろいろ物色したにもかかわらず、結局クラス会にはいつも着ている服で行きました。着る服が限られているのだから、もっと整理ができるといいのですが.....。






 

2025年5月30日金曜日

猫の食器


我が家の猫の食器は無印良品の小鉢です。
昔のブログにも書いたことがありましたが、読み返したらコメントが面白い、笑ってしまいました。
ところで、無印の小鉢はストックがあったのに、控えめに遠くで食事を待つ猫がいたりして、床に置いて使っているため、うっかり蹴飛ばすことも多く、とうとう3つになってしまいました。
猫の食器を洗ってすぐ使いたいとき、人間用食器を拭く布巾で拭くにはちょっと抵抗があり、かといって毎回ペーパータオルを使うのは資源の無駄、と不便していたのでしばらく前に買い足しました。


お店で見たときから形が違うことはわかっていましたが、まあ許容範囲でしょうか、モデルチェンジして、ちょっと大きく、深くなっていました。3つ残っていたので2つ買い足しましたが、洗ってすぐ拭くというストレスがなくなって、快適になりました。

ところで、犬猫用につくられた食器の中には高額のものもあるかもしれませんが、なんとなく人間用の食器を犬猫に使っていることに、ちょっと後ろめたさがありました。同じ食器を使っている方はたくさんいらっしゃると思われるので、気を悪くされるのではないかと思ったのです。


それが、夫人を亡くされて猫と暮している俳優の近藤正臣さんのテレビ番組で、猫の食器に伊万里のなます皿を使われているのを見て、なんだか気が楽になりました。
模様を見ると、水用は微塵唐草の印判、餌用は手描きだけれどあっさりした量産品、どちらも決して高いものではありませんが、それでも猫になます皿は贅沢です。
私は古い皿小鉢を買ってきたとき、洗剤では洗いますが漂白したりしたことがありません。どこの誰が使ったかわからないので古い食器は使わないという方もいらっしゃるようですが、一向に気にしません。
もしかして、かつて猫が使った皿を使っている? いえいえ、今、骨董界には染付の皿小鉢があふれていますが、どれも大切にされていたものや納戸の奥にしまい込まれていたものばかりで、欠けてもいない伊万里のなます皿を使った猫なんか、おそらくないでしょう。

これまで考えたこともありませんでしたが、猫好きだった歌川国芳、河村目呂二、大佛次郎などがどんな食器で猫に餌をやっていたか、俄然気になってしまいました。もっとも、昔の餌は乾いたドライフードではなく、みそ汁をぶっかけたりした猫飯でした。


ところで、ほとんど出番がありませんが、無印良品のサイズ違いの小皿などを人間用として持っています。


だから、夫が犬猫用と人間用を混同してしまうのも無理はありませんでした。さすがに今は間違えなくなったようですが。





 

2025年5月29日木曜日

コモヅチ


右は、しばらく前に織物教室のさかいさんからいただいたアンギンのコモヅチです。
さかいさんは縄文の布づくり、したがって糸づくりや織りもの、編みものなどに関心を寄せ、子どもたちにワークショップを開くためにつくったコモヅチを私とKさんに一つずつくれたのです。

『編布の発見』より

コモヅチはこのように使うもの、経糸(たていと)を束ねておくと同時に、錘(おもり)にもなるものです。

『編布の発見』より

編布(アンギン)の発見』には、コモヅチに最も多く使われたのはタニウツギの木で、芯のズイが抜きやすかそうです。


これはアンギンを知る前に骨董市で手に入れたコモヅチです。骨董屋さんは鳴子だというし、私も知らなかったのですが、コメントしてくださった方からアンギンの錘だと教えていただいています。


材料はタニウツギとわかります。芯が軟らかそう、ドリルなどなくても目うち一本で簡単に穴を開けることができたようです。


さかいさんによれば、今もいろいろな遺跡の発掘は続いています。
布や木は朽ちやすいので残っていることが少ないので発見されることはまれですが、土器に着いた布目、鉄や土の錘(つむ)などから、すこしずつ昔の衣生活がわかってきているようです。










 

2025年5月28日水曜日

蛇神


今年は蛇年だから、蛇神をとらえなくてはと数日気にしていたのですが、陽ざしが強くないととらえられません。
今朝も陽はめまぐるしく照ったり陰ったり、やっととらえられました。
「また出逢ったね」


蛇年の蛇神は、格別です。





 

2025年5月27日火曜日

たけちゃんからの絵葉書


孫のたけちゃんはどうしているかなぁと、しばらく前に絵葉書を送っておいたら、絵葉書が届きました。
厚紙に貼ってあるこの絵は誰の絵でしょう?
左下に書いてある「東京十二題」をたよりに検索してみると、大正昭和期の浮世絵師・版画家の川瀬巴水(かわせはすい、1883-1957年)の「東京十二題 春のあたご山」とわかりました。ほかの絵も素敵、川瀬巴水は、海外では葛飾北斎、歌川広重と並び称されるほどの人気だとか、まったく知りませんでした。



ところで、たけちゃんの近況を知るために、たけちゃんのお父さんにメールで訊くよりはと直接はがきを書いてみたものの、たけちゃんが元気であることはわかりましたが、小学生になって学校に行っているのかどうか、楽しい生活を送っているのかどうかなどは、まったくわかりませんでした。







 

2025年5月26日月曜日

鯛くわえ猫


青森県の下川原人形(したかわらにんぎょう)の鯛くわえ猫です。下川原人形ですから、土笛になっています。


箱入りで、説明書が入っていました。


値札も残っていて450円。5代目高谷充治さん(1919-1999年)の作です。


6代目高谷信夫さん(1952-2016年)の招き猫と比べると、その小ささがわかります。高さ2センチ、長さ5センチしかありません。


さて、名前が読めないと以前書いた牛乗り天神の名前は、おそらく4代目の高谷徳太郎さん(不明ー1967年)の「徳」ではないかと思われます。
3代目の高谷清六さんは、戦前の1918年(大正7年)に亡くなっています。


下川原人形は、赤土と川砂を混ぜた粘土を型抜きしてつくります。赤土が違うのか、調合の割合が違うのか、鳩笛も含めて、古い作は鉄を多く含んだ濃い色をしています。
ということは、我が家にある鳩笛も4代目の作ではないかと思われます。



 

2025年5月25日日曜日

農場で南インド料理

昨日はいつもの「つながる図書館」ではなくて、「やさと暮らしの実験室」で、農場見学と、農場の野菜を使っての田菜ごころさんの南インド料理の会がありました。
農場はよく行くので見学はしなかったのですが、カレーだけでもいいとのこと、参加してきました。


鳥のキーマカレー、豚と大根のカレー、ズッキーニのサンバル、麦も入ったダールと、「カレー」が4種類のほか、レタスサラダ+人参ドレッシング、新玉ねぎ、カブ、ジャガイモ、菜っ葉、ザワークラウト、卵などどれも農場で採れたものを使ったスパイスの効いた料理がついていました。唯一農場で採れたものではないけれど、パイナップル料理が甘酸っぱいアクセントになっているなど、味もとりどり、色とりどり、おいしくいただいて大満足でした。


さて、1時間半の農場見学に参加しなかったにもかかわらず、このような場ではフレンドリーというか、なれなれしい夫は、
「みなさん、どこから来たのですか?」
などと、大声で話しかけます。
幼い子どもたちを連れた家族連れの方が、
「埼玉県の川口から来ました」
と応えると、
「あぁそう、キューポラの町ですね」
と夫。あまり世間的な常識のない夫が、川口がキューポラの町と知っていたので、心の中で驚いていたら、
「キューポラって何ですか?」
と川口の人が言ったので、今度は心の中でずっこけてしまいました。
キューポラは過去になって、住民からもすっかり忘れ去られてしまっているようです。
中に最近、移住してこられたご夫婦もいらっしゃって、
「東京、神奈川に住んでいましたが、農的な暮らしができず石岡に越してきました」
と言うので、
「えっ、石岡に来たんですか?」
と訊いてみたら、八郷でした。
合併以前から住んでいるものにとって、八郷は今なお石岡とはまったく違う地域ですが、新しい人にとっては八郷は石岡の一部としか思えないようで、こちらも驚いてしまいました。
見学会は二手に分かれていて、一部は10時半から見学12時食事、二部は12時から見学1時半食事、にぎわっていました。

さて、写真がないけれど、デザートはすりつぶしたナッツを加えてあるとか、濃厚なプリンに手づくりアイスクリームが乗っているもので食べたことのないおいしさ、ミルク入りのチャイもおいしく、素敵なひと時でした。

田菜ごころさんの写真をお借りしました

いつもはこんな感じの盛りつけですが、昨日は副菜を各自で盛りつけたので、いつもよりワイルドな一皿となっていました。






2025年5月24日土曜日

鳥の餅型


鳥の持ち手の餅型です。


韓国のもの、いつごろつくられたかは不明です。


餅に模様を押すのですが、その模様も素敵です。
押して模様をつけるお菓子型は、中国インド日本ギリシャなどいろいろな地域にあり、どこのものも素敵です。


ところで、この餅型、買ったときとっても素敵な包装で届きました。


解いてみると、風呂敷(ポジャギ)の角を対角線状に一結びして、


それを風車のようにくぐらせて、角を結び目の下に押し込んであったのです。さすがチョガッポ(布をつないだポジャギ)の国です。


そして風呂敷の中の鳥、巣ごもりしているようにくるまれていました。


鳥に、昔からいる朝鮮の猫を紹介しました。出逢ったとたんに二人は仲良しになりました。


韓国には郷土玩具はほとんどないけれど、喪輿の飾り結婚式の家鴨など、玩具ではないけれどかわいいものたちがいろいろあります。







2025年5月23日金曜日

スズタケの手提げ籠




骨董市で手に入れたスズタケの籠です。きずもなくきれいで大きい籠、リンゴの収穫に使われたのでしょうか?
大きいので置くところが問題なので、買うのを迷っていると、
「3000円でいいよ」
と骨董屋さん。
一気に1000円値下げされて、買ってしまいました。

さて、どこに置いたものか、いろいろ考えてみたけれど、なかなかいいところが見つかりません。水屋の前の、4つの籠を吊るしている場所を見ると、詰めればなんとか5つ掛けられそう、釘を打ち直してみました。


ここに吊るしておくと、梯子を出してこなくても、丸椅子に乗れば取ることができるので、必要な時には簡単に手に取ることができます。


さて、そこいらに積み重ねている籠を、どこかにどっさり吊ることはできないか、天井を見上げるたびにあれこれ思案しているのですが、なかなか見つかりません。








2025年5月22日木曜日

130年も前にあった!


『モースの見た日本』(小学館、1988年)に小さく、按摩器が載っていました。木地師さんがつくったものです。
あらっ、今まで気づかなかった。これ、私持っています


ただし、ドイツ製です。


こんなにそっくりなので、別々に発生したとは思えません。
モースが日本に来たのは130年ほど前のこと、私がこれを買ったのは20年ほど前のこと、100年以上の差があります。
どちらの国で先につくられたのでしょう?


ドイツ製のものはグリップにも工夫があるのですが、この形のマッサージ器は抑えつけたとしてもそう強い力が伝わらないので、こりの解消にはなかなかつながらないものがあります。ただ、チェーンソーやヘッジトリマーを使って腕が疲れたときなど、握ったり離したりすると、痛みが和らぐ気はします。


形はかわいいので、いつもコンピュータの横に置いてあり、すぐ手に取れるので、ときおり握るだけでなく、鎖骨のあたりをゴロゴロさせたりしています。


我が家の健康器具たちです。
15年前に健康器具についてブログを書いたとき、右端の日本製のものは登場させていませんでした。生協のカタログを見て買ったものの、木の質感やいかにも板を削ってつくりましたという仕上がりなどが好きになれなくて、載せなかったのかなと思います。
これは、鉤みたいなところを肩や背中に引っかけてぐっと引くと、ほどよく指圧(木圧?)できます。また、背中に回して両手で持って、背中やお尻をグリグリすると気持ちいいなど、なかなかよくできているのですが、木の質感が、やっぱりいまいちです。
肩を叩くなら、アフリカのものが最高、玄関に置いてあるので、通るときトントンできます。






2025年5月21日水曜日

『帰ってきたコンペイトウ』


『帰ってきたコンペイトウ』(栗原英次・入山喜良著、立東舎、2024年)は、帯にTHE ALFEEの坂崎幸之助さん(和ガラスコレクターらしい)が、「【和ガラス類、駄菓子屋科】のバイブル誕生です」と書いているように、コンペイトウ容器だけでなく、ペロペロ、飲料ビン、その他の菓子入玩具、コンペイトウの歴史、コンペイトウに関するさまざまな資料などが満載の、わくわくする本です。


著者の栗原英次さんには、『いろはにコンペイトウ』(にじゅうに、2005年)というご著書があります。


そして、もう一人の著者の入山喜良さんには、『おかしな駄菓子屋さん』(京都書院、1998年)というご著書があります。
お二人は50年来の友だちであり、ともに歯医者さんであり、そしてガラスビンコレクターでもあります。そして昨年、二人のコレクションを合わせてコンペイトウの本を出そうと話し合って、『帰ってきたコンペイトウ』を出版されました。

『帰ってきたコンペイトウ』には、ガラスのコンペイトウのビンが300余個、セルロイドなどほかの素材のコンペイトウ容器のほか、1955年以降のコンペイトウ容器、飲料ビン、ぺろぺろなど、お菓子や飲みものの容器でありおもちゃでもあった、「菓子容器玩具」が掲載されています。
水筒形、ピストル形、乗りものなど、シンプルな形のコンペイトウ容器は、その昔駅の売店でよく見かけたものですが、見たことのない形の、手間暇かかっているコンペイトウ容器の豊富さには驚くばかりです。

1920年代

キューピー玉乗り。
幕末にアメリカからサーカスがやってきました。やがて日本人もサーカス団を結成、娘が傘を差して玉乗りするサーカスが人気となりました。それを、日本でも1916年ごろに大流行したキューピーに置き換えたコンペイトウ容器で、セルロイドのクオリティーの高さ、キューピーの表情のかわいさに、見惚れてしまいます。

1950年代

毬と猫。
ブリキの毬と猫に似せたものと思われますが、たかがコンペイトウ容器にこんな手の込んだ細工を、しかも戦後につくっていたなんて、なんて贅沢なのでしょう。

戦前

犬張り子犬。
駄菓子屋で売られたのでしょうか? 昔の駄菓子屋に行って、こんな犬張り子犬に出逢ってみたかったです。
ちなみに、これらは日本の子ども用で、


輸出用はこんな感じです。


広告や看板の章の中の1枚、玩具ビン屋さんの広告です。
菓子容器玩具ビンだけつくっていた商店もあれば、様々な用途の容器を手広くつくっていた商店もあったようです。


昭和26年(1951年)ごろの、コンペイトウ容器をつくっているガラス工場の絵です。
隣近所、あるいは親戚など数家族が一緒に働いているのでしょうか? 大人だけでなく、子どもも立派な働き手のようで、責任ある仕事を任されています。
溶かしたガラスを吹いて膨らませ、それを型に入れて固まったら切って、冷まして箱詰めしています。
ラジオがあったり、桶、籠、甕、大きなやっとこなど興味深い道具がいっぱいの職場、おそらくとても暑かったのではないかと思われます。


ところで、『モースの見た日本』(小学館、1988年)にも、モースがアメリカに持ち帰ったコンペイトウビンが載っています。
モースは1877年に初来日、通算4年間にわたって日本に滞在し、日本全国を旅行して日本の生活文化や自然環境を調査しました。


開封していない、当時のままのコンペイトウです。
これは駄菓子屋や駅で売られていたものではなく、名のあるお菓子屋さんの高級なコンペイトウに見えます。


さて、コンペイトウを入れたのか、はたまた別のお菓子か液体か、あるいは食べもの容器ではなかったのか、何を入れたのかはっきり断定できない容器を集めた章に、スズメ蛾の容器が載っていました。羽はガラス繊維のようなものでできていて、蛾のお尻が容器の口になっているものだそうです。
つくるのが大変そうなものですが、なんと大胆な意匠でしょう。
果たして売れたのかどうか、蛾のお尻からお菓子を出して食べる子どもの姿を見るのは、なんだかシュールな気がします。