『帰ってきたコンペイトウ』(栗原英次・入山喜良著、立東舎、2024年)は、帯にTHE ALFEEの坂崎幸之助さん(和ガラスコレクターらしい)が、「【和ガラス類、駄菓子屋科】のバイブル誕生です」と書いているように、
コンペイトウ容器だけでなく、ペロペロ、飲料ビン、その他の菓子入玩具、コンペイトウの歴史、コンペイトウに関するさまざまな資料などが満載の、わくわくする本です。
著者の栗原英次さんには、『いろはにコンペイトウ』(にじゅうに、2005年)というご著書があります。
そして、もう一人の著者の入山喜良さんには、『おかしな駄菓子屋さん』(京都書院、1998年)というご著書があります。
お二人は50年来の友だちであり、ともに歯医者さんであり、そしてガラスビンコレクターでもあります。そして昨年、二人のコレクションを合わせてコンペイトウの本を出そうと話し合って、『帰ってきたコンペイトウ』を出版されました。
『帰ってきたコンペイトウ』には、ガラスのコンペイトウのビンが300余個、セルロイドなどほかの素材のコンペイトウ容器のほか、1955年以降のコンペイトウ容器、飲料ビン、ぺろぺろなど、お菓子や飲みものの容器でありおもちゃでもあった、「菓子容器玩具」が掲載されています。
水筒形、ピストル形、乗りものなど、シンプルな形のコンペイトウ容器は、その昔駅の売店でよく見かけたものですが、見たことのない形の、手間暇かかっているコンペイトウ容器の豊富さには驚くばかりです。
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1920年代 |
キューピー玉乗り。
幕末にアメリカからサーカスがやってきました。やがて日本人もサーカス団を結成、娘が傘を差して玉乗りするサーカスが人気となりました。それを、日本でも1916年ごろに大流行したキューピーに置き換えたコンペイトウ容器で、セルロイドのクオリティーの高さ、キューピーの表情のかわいさに、見惚れてしまいます。
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1950年代 |
毬と猫。
ブリキの毬と猫に似せたものと思われますが、たかがコンペイトウ容器にこんな手の込んだ細工を、しかも戦後につくっていたなんて、なんて贅沢なのでしょう。
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戦前 |
犬張り子犬。
駄菓子屋で売られたのでしょうか? 昔の駄菓子屋に行って、こんな犬張り子犬に出逢ってみたかったです。
ちなみに、これらは日本の子ども用で、
輸出用はこんな感じです。
広告や看板の章の中の1枚、玩具ビン屋さんの広告です。
菓子容器玩具ビンだけつくっていた商店もあれば、様々な用途の容器を手広くつくっていた商店もあったようです。
昭和26年(1951年)ごろの、コンペイトウ容器をつくっているガラス工場の絵です。
隣近所、あるいは親戚など数家族が一緒に働いているのでしょうか? 大人だけでなく、子どもも立派な働き手のようで、責任ある仕事を任されています。
溶かしたガラスを吹いて膨らませ、それを型に入れて固まったら切って、冷まして箱詰めしています。
ラジオがあったり、桶、籠、甕、大きなやっとこなど興味深い道具がいっぱいの職場、おそらくとても暑かったのではないかと思われます。
ところで、『モースの見た日本』(小学館、1988年)にも、モースがアメリカに持ち帰ったコンペイトウビンが載っています。
モースは1877年に初来日、通算4年間にわたって日本に滞在し、
日本全国を旅行して日本の生活文化や自然環境を調査しました。開封していない、当時のままのコンペイトウです。
これは駄菓子屋や駅で売られていたものではなく、名のあるお菓子屋さんの高級なコンペイトウに見えます。
さて、コンペイトウを入れたのか、はたまた別のお菓子か液体か、あるいは食べもの容器ではなかったのか、何を入れたのかはっきり断定できない容器を集めた章に、スズメ蛾の容器が載っていました。羽はガラス繊維のようなものでできていて、蛾のお尻が容器の口になっているものだそうです。
つくるのが大変そうなものですが、なんと大胆な意匠でしょう。
果たして売れたのかどうか、蛾のお尻からお菓子を出して食べる子どもの姿を見るのは、なんだかシュールな気がします。