タイ北部の山地に住むヤオのパンツです。
ヤオの人たちは綿を育てて糸を紡ぎ、約40センチ幅の布を織り、藍で染め、刺繍した布2枚と無地の布をつなぎ合わせて、パンツをつくります。
これは、私がゴムを入れて履きやすくしていますが、普通ゴムは使いません。
サロンのように、畳んではさみ込んで腰で留めて、その上に上着を羽織り、帯を巻きます。
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『Peoples of the Golden Triangles』より |
これで一式、タイやラオスに住むヤオの女性の基本的服装セットです。
長い上着は腰でゆるやかに手繰って帯で調節し、両端に刺繍した長い布を頭に巻きます。
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『Peoples of the Golden Triangles』より |
1980年ころは、女性たちは上着の下に、Tシャツやらシャツやら、いろいろなものを着ていましたが、伝統的にはどんなブラウスを着ていたのか、あるいはブラウスではないものを着ていたのか、何も着ていなかったのか、わかりません。
ちなみに、タイ北部やラオスは冬の間、朝夕は3度くらいまで気温が下がることもあります。
ヤオも、他の山地民同様、刺繍の模様には、意味があります。
裾から、「動物除けの竹垣」、「折れた木」、「竹垣」、「折れた木」、「竹垣」と続いていて、模様を分ける線も含めてすべてをステムステッチで刺しています。
その上の「鋸」、「大きい花」、「虎の爪」などは、クロスステッチで刺しています。
タイに住むヤオによくみられるクロスステッチですが、ヤオ人がタイでモン人に出会ったころ(100年くらい前?)から取り入れたもので、この部分には好きなショッキングピンクの刺繍糸がふんだんに使われています。
ヤオの刺繍で、私がいつも驚くのは、裏の美しさです。表と変わりません。
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『Peoples of the Golden Triangles』より |
普通、ヤオの女性たちは裏面を見ながら刺繍するそうです。
ステムステッチはともかく、裏を見ながらクロスステッチができることに驚いてしまいます。
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『FROM THE HAND OF THE HILLS』より |
何故、ヤオなど山地に住む少数民族は、手の込んだ織物や刺繍で身を飾ったのか、それは群雄割拠する少数民族の中で、自分のアイデンティティーをはっきり示す必要があったからと言われています。
また、刺繍など、文様で布を埋め尽くしたのは、意味を持った文様をちりばめて魔除けとしたからとも言われています。
ヤオはもともと住んでいた中国、そして追われて移住してきたラオス、タイ、ビルマ、ヴェトナムなどに、小さなグループにわかれて暮らしています(した)。
刺繍するのに選ぶ模様や、刺繍糸の色は、個人によっても違いますが、地域によっても違います。時代を経るうち、地域性が出てきたのです。
私の持っているパンツは、タイに住むヤオのスタイルで、ショッキングピンクと呼ばれる濃い桃色が多用されています。
ショッキングピンクは、化学染料がタイの山地に出回るようになった20世紀初頭から、これまではなかった色として、ヤオだけではなく、モン人やリス人など多くの山地民に愛された色です。
私は、ラオスに住んでいたヤオのパンツも持っていました。
八郷に来てからも見た覚えがあるのですが、どこへ紛れ込んだものか、もう10年以上探しているのに見つかりません。
上の写真がラオススタイル、私の持っているものとよく似ています。
さて、これはヴェトナムに住むヤオのパンツの、刺繍部分です。
模様もラオスやタイのものとは違いますが、大きな違いは、手織りではなく、工場製の布に刺繍していることです。綿の栽培をやめた人たちなのでしょうか?
地布は、藍でなく黒で染められていて、刺繍糸は木綿ではなくシルクです。
東南アジアには、ミロバランの木があちこちに生えていますが、ミロバランの実は、布を黒に染めたいとき、堅牢な染料となります。ありふれた木だし、比較的簡単に染められるので、よく使われます。
余談ですが、ヴェトナム戦争時に、アメリカ軍に徹底抗戦したヴェトナムのヴェトコン、ラオスのパテト・ラオ、カンボジアのクメール・ルージュたちはみな、申し合わせたようにまっ黒い服を着ていましたが、あれはミロバランの実で染めていたものです。
この布は工場で幅広に織られた布なので、細く切る必要がないのですが、32センチ幅に切って刺繍してあります。
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左は機械織りの布、右は手織りの布 |
ヤオの刺繍は、布目を活かして刺します。
ということは、工場製の布は手織りの布より目が詰んでいるので、刺繍は必然的に細かくなります。
その細かさは驚くべきもので、この蘇芳で染めたと思われる赤糸の刺繍の一番長い線が2センチです。
ほとんどはステムステッチですが、肉眼では気づかなかったのですが、下から二段目の模様は、クロスステッチに見えます。
「小さな手長猿(卍)」や「銀の花」など、ヤオ固有の文様が見えますが、こぎんのように埋めた模様は、タイやラオスでは見かけないものです。
ネットで、よく似た刺繍の、ヴェトナムのヤオのパンツを見つけました。
これは、藍染めの布に、シルクの刺繍糸で刺繍しているそうですが、手織りなのか機械織りなのかはわかりません。
誰も綿を栽培していなかったのなら、機械織りの布かもしれませんが。
ちなみに、黒く見えるところ、藍に黒という目立たない色で刺繍しているところが、ヤオの憎いところです。
そして裏。
ヤオにしては珍しく、裏で糸の始末をせずに、色糸が行きかっています。
ベタっと色が見える部分の裏は、地布がまるで紋織りの布のように、でこぼこに盛り上がっています。
ヴェトナムに住むヤオたちのことを、私はほとんど知りません。
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『Peoples of the Golden Triangles』より |
さて、今は消えてしまっていると思われますが、1980年代初頭まで、タイに住む山地民たちは、普段でも民族衣装を着て暮らしていました。
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『Peoples of the Golden Triangles』より |
写真で気づくように、ヤオの女性は、他人に髪の毛を見せるのを嫌がり、いつも布を巻いています。髪を見せることは、裸を見せる以上に恥ずかしいことという文化を持った人たちなのです。
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アン・ゴールドマン著、文芸社、2011年 |
東南アジアだけではなく、ヴェトナム戦争の終結後、難民となってラオスからタイに流入したヤオたちは、第三国であるアメリカ、カナダ、フランスなどに定住しました。
この本は、ラオスからアメリカに渡ったヤオの民族衣装事情を記した本です。
15から20世帯ほどで暮らす山奥の生活から、複雑な多文化社会、自動車や工場のある環境へと投げ出されたヤオたちは、民族衣装が必要ないと考えた瞬間もありましたが、新天地でもアイデンティティーを再構築するために、冠婚葬祭には民族衣装は欠かせないと思い直し、今では民族衣装の国際的な流通経路などもできているそうです。
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『Peoples of the Golden Triangles』より |