2013年1月31日木曜日

ポット


日本の古道具屋さんで買ったような気がするけれど、仔細はあまり覚えていないポットです。
高さは8センチあります。
「ポットだけってことはない、何と一緒だったんだろう? 」

カップではなかった。グラスでもなかった。お皿でもなかった。
何かと一緒だったかもしれないという気持ちがあるのですが、具体的なイメージは全然浮かんできません。
ポットだけだったかなぁ?


やはり轆轤引きの香港のままごとセットも好きですが、ドールハウスに飾ったりしないときは、こんな、ちょっと大きめのものの方が存在感があります。


日本の轆轤引きのお茶道具といえば、圧倒的に和風なものだと思います。
日光茶道具が有名で、私も持っていましたが、外国からのお客さんに差し上げてしまいました。我が家だけでなく、確か夫の両親の家にも、私の両親の家にもこんな茶道具があったような気がします。

写真は、たぶん京都の茶道具でしょう。下段、右端の茶匙を乗せた棗の直径が7ミリくらいの、小さなものです。


とすると、これはどこか他の国のものだったかなぁ。
どうしても思い出せませんが、このポット、形も、花の絵も色もよくて、気に入っています。

2013年1月30日水曜日

ハマグリ


あまり開けない引き出しの中に、大きなハマグリがあります。


覚えていないほど昔からある、貝合わせを模したハマグリです。
もしかしたら、このなかに落雁のようなお菓子がはいっていたものだったでしょうか。


たかがお菓子の容器ですから、プリントしたものに違いないのですが、いったいどうやってプリントしたのでしょう?


写し絵のようなものだと、どこかにシワができそうですが、シワもなく、平面でないところに、隅々まで、破たんなく描かれています。

もっとも、私は稚拙でも手書きの絵の方が好きですから、早く捨ててしまえばよかったのですが、こう長く持っていると、捨て時はとっくに失っています。

2013年1月29日火曜日

100円均一



先日の骨董市に出かけたときには、はなちゃんに分けたブリキのおもちゃの補充をしようと思っていました。
私が持っているブリキたちは別のところで手に入れたものですが、昔おもちゃ屋のさわださんのお店には、いつも、似たようなおもちゃが、こまごまとたくさん並んでいます。


その日、見つけた同じものは、片手鍋とのこぎりだけでした。でも以前、腕時計、鉄板、おろし金など見かけたことがあったので、またいつか出逢うこともあるでしょう。

ついでに、笛の中からは、男の子の笛を、ブローチの中からは、こけしのブローチを選びました。
「どれでも一つ100円」
ちょっと高い?そうでもない?


「その射的も100円」
猫でしょうか?犬でしょうか?眉毛が変だけれど、やっぱり犬かな。


「あらっ、このバケツの手がとれちゃったんだ」
「そう、折り曲げてあるところが切れちゃった。それも100円だよ」
「いらない。さわださんから買った同じバケツを持ってる」
「でもそれは1000円くらいしたでしょう。おれが直すとこれも500円、いや1000円になるかな」
バケツはそんなにしたかなぁ。もう何年も前の話です。
「お買い得だよ。自分で直してみれば?」
「どうしようかなぁ」 
「100円、100円」
ということで、手のとれたバケツまでもらって来てしまいました。

帰って、ちゃんと手のついたバケツを取り出してみると、持ち手は針金ではなく、薄い板金でできていました。


缶詰の空き缶で補修することを考えてみましたが、それでは厚すぎて、加工できそうにありません。


内側から見ると持ち手は、折り返し部分を除いて、手を怪我ししないように、端を細く折ってあります。
たかが子どものおもちゃですが、よく見ると何工程も踏んでつくっていることに、改めて感心。セルロイド同様、町工場の熱気が伝わってきます。
100円でよい勉強をさせていただきました。
ホームセンターに行ったら、何か適当な板金が見つかるでしょうか。

さわださんはいつも、塗り絵、羽子板、お土産こけし、ビー玉、おはじき、石けり、ベー独楽、写し絵、昔の文房具、ガラスビンなどなど、昔の駄菓子屋で売っていたようなものは何でも持っています。
先日は、顔がいろいろ印刷された紙を持っていました。紙の着せ替え人形のようなものですが、印刷されているのは顔と、その下にペロッと伸びた長い首だけです。
「これ、なに?」
「首替え人形。着せ替え人形と同じように売られていたんだよ。自分で着物をつくって着せるの」
えぇっ、そんな。
首替え人形なんて恐ろしい遊び、聞いたことも見たこともありませんでした。


2013年1月28日月曜日

『獣の奏者』


とうとう、『獣の奏者』 (上橋菜穂子著、講談社)を読み終わりました。
夢中で読んだ数日間、まだ登場人物たちが自分の中にどっかりと居座っているようです。
う~ん、おもしろかった。最後は泣きました。

たくさんの魅力的な人物が登場していました。エリン、イアル、ジョウン、エサル、ロラン、真王、大公など主要人物だけでなく、ヤントク、ユーヤンなど、わき役もみんな魅力的でした。
一巻と外伝が300余ページずつ、二巻、三巻、四巻は400余ページずつ。すごい量ですが、息もつかせませんでした。
挿絵もないのに、映画のようでした。


舞台は、架空の地域ですが、高い山岳地帯があったり、点々と城壁に守られた交易都市があったりして、大陸をイメージしているように思えました。
それでいて、蝉の声、とくに蜩(ひぐらし)の声が、いろいろな場面で重要な舞台装置になっていたのが、とっても日本的なところで、おもしろいなと感じました。

東南アジア大陸部にも蝉はいるようですが目立たないし、島嶼部の熱帯林の蝉は、周波数が違う、まるで金属音のような音を出していました。中国にも蝉がいるようですが、どんな鳴き方をするのでしょう?
また、カルカッタ郊外で育ったSちゃんによれば、インドには蝉はいないそうです。

物語には関係ないことをもう一つ。
食べているお料理やお菓子が、実においしそうで、生唾が出るほどでした。
そう思っていたら、『バルサの食卓』(上橋菜穂子・チーム北海道、新潮文庫)という本が出ているのを見つけました。バルサの『守り人シリーズ』だけでなく、『獣の奏者』など、上橋菜穂子の本に出て来るお料理を、実際につくってみた本らしいので、注文してしまいました。
まだ本は届いていませんが、楽しみです。エリンが息子のジェシと最後に食べた、猪肉をあぶって薄く焼いた雑穀に乗せ、甘辛い味噌と青菜も乗せて巻いて食べる北京ダックのような料理を、ぜひともつくってみたい気持ちです。

アニメもあるようですが、それは見たくないです。

2013年1月27日日曜日

体調が悪い時


先日、体調を崩して、寝込んでしまいました。
夜半からお腹が痛くなり、下痢、腹痛、吐き気どれもあって、食べ物を摂ることもできず、丸一日ひたすら寝て過ごしました。

その少し前、友人のS夫妻から、
「大相撲の升席を買ったんだけど一緒に観に行かない?」
という、嬉しいお誘いを受けていました。むしゃくしゃすることがあって、衝動買いしたそうです。
私の父も夫の両親も大相撲が大好きでしたが、私がテレビで相撲を観るようになったのはここ数年のことです。
夫は次の日に朝から用事があり、その準備もあるので行けません。そうお断りすると、升席は三人くらいでちょうどいいから、それで構わないと言ってくださいました。
やった、数十年ぶりの大相撲です。券をもらったからと誘われ、父に無理やり連れて行かれた高校生時代以来です。

ところが、不調で起きていられなかったのは大相撲観戦の前日でした。
当日、起き上がってお風呂にも入ってみましたが、ふらふらするし、吐き気も残っていました。
朝早くからバスで東京まで行き、七時間という長丁場を大勢の人の中に座って過ごすなんて、とてもできそうにありません。ということで、申し訳なくも土壇場でお断りしてしまいました。私としても、またとない機会をのがしてしまったのでした。

その大相撲観戦予定日だった日に、何も食べないのもと思って、近所のお蕎麦屋さんに行きました。

 
ところが、半分も食べるともう食べられなくなりました。
体調を崩していることをお蕎麦屋さんに伝えると、そんなときにいいからと、常備している手延べうどんをくださいました。
実は、夫に
「うどんでも食べるか?」
と聞かれて、うどんは消化に悪いからと、お蕎麦を食べに来たのでした。それなのに、手打ちそば屋さんで手延べうどんをいただいてしまった。ちょっとないことです。

いただいたのは岡山県浅口郡の手延べうどんです。


そして、私が常備しているのは、三重県四日市市の手延べうどんです。これはひやむぎといっても細いうどんくらいの太さで、


うどんは、こんな状態で常備しています。

そうこうしているうちに、夫も吐いてしまいました。吐くなんて、どちらもめったにないことでした。私も夫も食あたりではなくて、風邪の一種だったようでした。

ところが夫は出かけなくてはならない。そこで、水風呂にきちんと(決まり通りに)入って、なんとひどくなるのを抑えて、無事出かけて帰ってきました。
りっぱ!
 

ちなみに手延べうどんは煮崩れしません。しかもつるつるのど越しよく、確かに食欲がない時は一番です。
そう思うのですが、うどんが消化に悪いという情報は、どこから仕入れたでしょうか。私の祖母は明治の人なのに、体調を崩すと、パンとホットミルクをいただいていました。

2013年1月26日土曜日

吉備津こま犬


吉備津こま犬は、母方の祖父を思い出すおもちゃ(授与品)です。
学生時代に、私が郷土玩具を集めだしたと知って、祖父が買って来てくれました。
祖父は当時は岡山市内に住んでいましたが、吉備郡(当時)の吉備津神社の近くで育って、このこま犬とは、小さいころからのおなじみだったらしいのです。

立ち犬、座り犬、鳩で一組になっているのですが、いつのまにか立ち犬はいなくなり、残った鳩も座り犬も負傷して、治療の跡があります。
いくら脆い土人形といってもきちんと取り扱えばそう壊れないものですが、その昔、人形たちを(今考えれば酔狂にも)はるばるガーナまで送ったとき、小さい荷箱にできるだけ積めようと、お皿の間に滑り込ませたりしたものだから、ずいぶん割れてしまったのでした。
その時の経験から、包み方は進歩しましたが、その後も十回以上引っ越しし、しかもそのつど全部自分で詰めたり出したりしたので、壊れたり、失われたものも残念ながらたくさんあります。


祖父が買ってくれたこま犬に加えて、時代が新しいこま犬セットがもう一組あります。
あまり覚えていないのですが、母が身辺整理をしたときにもらったものかもしれません。両親は(父方の)祖母が健在な頃はもちろん、祖母が亡くなって以後も、なにかにつけて親戚の住む岡山に行っていました。そんなとき、叔父か従妹か誰かに、吉備津神社に連れて行ってもらって、こま犬を手に入れたのでしょう。
昔のものより一回り小さいものです。

こま犬は、盗難、火難、野獣除けになるとされ、子どもの夜泣き虫封じにも効くとされています。そして、鳩は食事時にお膳の上に置いておくとのどにつかえないとされていて、吉備津神社の境内で売られています。


母の父の故郷であるならば、私の故郷の一部でもあるのですが、吉備には一度も行ったことがありません。


2013年1月25日金曜日

折り紙のくず入れ


 
昨夏、母が半月ほど我が家に来ていたとき、一緒に妹のもんぺを縫いました。
そのとき、母はくけ台、指抜き、待ち針など様々な裁縫道具を持参してきていましたが、その中に、折り込みちらしの広告紙で折った箱がありました。
いったい何にするつもりだろうと見ていますと、作業台(あのときは食卓)の上に置いて、糸屑入れにしていました。

私も時々裁縫することがありますが、細かいゴミがたくさん出るので、身近に屑籠を引き寄せておくか、あるいは作業台の片隅にゴミをまとめておいて、後から片づけるかでした。
ところがそのときは、糸を切ったりすると、母がさっとその折り紙の屑入れを差し出してくれました。 とくに縫ったものを解くとき、小さな糸屑がいっぱい出ますから、すぐわきに小さいくず入れがあると、散らばらず、手をたいして伸ばさなくても片づけられて、とても便利でした。
いっぱいになれば、その都度ゴミだけ屑かごに捨てて、最後には箱ごと捨てればよいのです。

先日、縫物をしていて、例によって屑籠を引き寄せたり、そこいらに散らかしたりしていたのですが、ふと母の屑入れを思い出しました。


何度も折ったことのある箱ですから、簡単に折れるだろうと思ったのに、あれっ、折れません。しかたなく、自分で折れる箱を折って、屑入れとして使いました。

その時はそれで済みましたが後日、何度も折ったことがある、あの箱の折り方を思い出しておきたくてネットで検索すると、あっけなく折り方が見つかりました。
なんて便利な世の中になってしまったのでしょう。


これ、この箱です。
途中まで、鶴と同じ折り方だと考えたまではあっていたのですが、その先を忘れていたのでした。
べつに箱であれば何でもいいのですが、思い出してすっきりしました。


というわけで、その次に縫物をしたときには、広告紙でつくった屑入れを使うことができました。


2013年1月23日水曜日

木地(雉)玩具


その昔、学生時代に東北を訪問したときは、こけしやいづめ子以外の轆轤で引いた木地玩具には、ほとんど出逢いませんでした。
その後、『季刊銀花』だったか、複雑な、素晴らしい木地玩具の数々が掲載されているのを見て、欲しいと思いましたが、時折見かけても、手が出る値段ではなかったように記憶しています。
そんなことがあって、最近、古道具屋さんで木地玩具を見つけて、しかも200円、300円で買えるようなら、ついつい場所ふさぎを考えず、手を伸ばしてしまいます。

そんな木地玩具の雉車、しばらくデスクの上に置いてあったのですが、勝手にパカッと割れていました。
古道具屋で見つけたときは、しっかりくっついていて、はずれる気配もありませんでした。あれから数ヶ月、冬の室内で乾燥が進み、お尻の方だけ縮み方が大きかったようです。
もしかして、 同じ木ではなく、乾燥度の違う別の木でつくったのでしょうか、木目は合っていません。


思いがけず、中の仕組みが見えたのはよかったとしても、置いておくだけでも外れるので困ります。
それに比べればロシアのマトリョーシカはお見事。絵つけや轆轤技術だけでなく、木の乾燥の仕方も含めて、よくできているものだと感心してしまいました。
「日本人は手先が器用」なんて、軽々しくは言えないことです。


この雉車を手で押すと、首が引っ込んだり、


出たりします。


まっ、意匠としてはなかなか面白いのですが。
いっそ、ボンドでつけてしまおうかと思いながら、決心のつかない今日この頃です。


2013年1月22日火曜日

恵比寿大黒

骨董市で、誰かと座り込んでおしゃべりいるあまやさんの前を通り過ぎようとしたら、顔をあげて、「人形があるよ。四つで千円」
と、声をかけられました。
あまやさんは、近くを通ったからと家にも遊びに来てくれたりして、親しくはしていますが、わりと「昭和の台所道具」など、荒物のデッドストックが中心なので、あまり買ったことがありません。
立ち止まって指さされた方を見ると、小さな御所人形の恵比寿大黒と、釉薬をかけた豆人形の高砂が無造作に置いてありました。

「高砂はいらないなぁ」
「一緒に買ってきたから、ばらばらにできないよ」
「はい」
御所人形の恵比寿大黒は初めて見ましたが、なかなかかわいいのです。
「高砂も連れてってよ。九谷だよ」
「ごめんね、九谷もそう好きじゃないの」
「恵比寿大黒だけでも千円だから、高砂も持って行けばいいじゃん」
「うぅ~ん」
背を向けて、あまやさんと話し込んで油を売っていた(失礼、交友を深めていた)人が振りかえると、がんこさんでした。
「そんなに高砂が嫌いなの?」
「あはは。好きじゃない」

ごめんなさい、高砂の翁さん、媼さん。
高砂だけでなく、招き猫、張り子犬、恵比寿大黒など大好きな縁起ものがある一方、七福神、だるま(かわいいだるまは別)、干支人形などは苦手です。


やっぱり恵比寿大黒だけいただいて来ました。

さて、恵比寿さまの右手には小さな穴が開いています。きっと釣竿を持っていたのでしょう。そのうち真竹の細いきれいなのをさがすとして、当面何か持っていた方がいいのではないかと思いついたのはヤシの箒です。


さっそく、箒からちょっとしなっているのを一本いただきました。


おお、すっかり「さま」になりました。
小さい恵比寿さまですが、もうちょっと太い竹でも大丈夫そうです。


というわけで、御所人形の恵比寿大黒は、めでたく神棚に収まりました。


2013年1月21日月曜日

爪切り


刃物のお店、日本橋木屋の小さな爪切りを見つけたのは、確か銀座松屋の「東京の職人展」などという催し物会場だったと思います。

中学生の時から、1990年代半ばまで、銀座松屋は私のワンダーランドでした。
銀座を通りかかると、というか、わざわざ電車を降りても、松屋の七階にあった、アフリカの衣装や道具を並べていた「ドゴン」や、名前は忘れたけれど、ちょっと古い雑貨を売っているお店や、グッドデザインコーナーなどを、ぐるっと見て回るのが楽しみでした。ネットショップのない時代、お鍋一つ買うにも、まず松屋をのぞいたものでした。
そんなとき、吹き抜けわきのエスカレーターで降りて来ると、エスカレーターからちょうど見降ろせる一階でも、「職人展」など、おもしろそうな催し物をよくやっていました。


さて、木屋の爪切りは、形よし使い勝手よしで、数年経ってから、足の爪用にと一回り大きいのも買い足して、今に至っています。


木屋の爪切りを見つける前、形のよい爪切りになかなか出逢えず、この携帯用の爪切りを買って使っていました。


ただ、携帯用ということもあり、使えるのですが機能第一というわけにはいきません。
というわけで、少しでも荷物を少なくしたい旅生活を送っているわけじゃないので、今ではこの爪切りは引き出しの肥やしになっています。


木屋の爪切りに出逢ってから、家にごろごろとあった他の爪切りは捨ててしまいました。ただ、いつのまにかあった、シンガポール航空でくれたものだけ、かわいいので残してあります。


ちなみに、夫は空港とか駅とか、どこかで間に合わせに買った爪切りを、いまも手元に置いて使っています。
爪切りごときは、切れさえすればいいので、いちいちしまった場所から出すのはいや、思いついたらすぐ使えるところに置いておくのがいいのだそうです。


2013年1月20日日曜日

古賀人形


その昔、郷土玩具をつくっている方を、はるばるとお訪ねするのは、本当に楽しいことでした。
外からは普通の家にしか見えない家の戸を開けると、目の前に色とりどりの土人形があふれかえる別世界が広がっていました。
ところで、学生時代も、長じてからも、いつも予算に限りがあったので、どれをいただいて行くのか選ぶのは楽しいことでした。まず一番気に入ったもの、あとは予算内でいくつか選びました。

これは長崎県の古賀人形です。
それにしてもどうしてこの三つを選んだのか、予算内で好きな順だったと思われますが、改めて見ると、なんとなくおかしな取り合わせです。


阿茶さんは文句なしです。オランダさんと並んで、古賀人形を代表する人形ですし、形、色、お顔、どれをとっても申し分ありません。
古賀人形は400年の歴史のある、伏見人形に並ぶ古い土人形ですが、今でも古さを感じさせない色遣いは、その昔はどんなにハイカラだったかを偲ばせます。


阿茶さんに比べて、このお猿さんは、ちょっと間抜け顔です。
古賀人形には、鶏抱き猿、馬乗り猿という、もっと古賀人形らしい、きりっとしたお猿さんたちがいます。そんな猿を選ばないで、手持無沙汰に座っている、所在無げな猿を選んだのは、いったい何故なのでしょうか。若いころの自分に問うてみたい気がします。
といっても、見るとなごむ、かわいい猿ではありますが。


いつもつんのめったような姿のふくろうの土笛は、息子たち、息子の友人たちもよく持って遊んだので、はげちょろけになってしまいました。


古賀人形は、新しい型を創作せず、古い型を守り続けている土人形です。
ふくろう笛も400年も前からの型だとしたら、これまでにたくさんの子どもたちが、これを持って遊んだことでしょう。


その昔、土人形は割れないようにもみ殻などと一緒にもっこに入れ、天秤棒に担がれて売り歩かれました。
土人形売りがやってきたときの、子どもたちのわくわく感が想像できます。大きな土人形を買ってやれない親は、小さな土笛を買ってやれるのを嬉しく思ったことでしょう。また、そんな家の子どもは、端から大きい土人形を買ってもらおうなどとは思っていなかったかもしれません。

私が、生前の祖母に、買って来たばかりの土人形を見せたとき、祖母は、小さい頃そんな人形売りが訪ねて来ていたと懐かしがっていました。
私が小さい頃は、家にある土人形は神棚の天神さまだけで、雛人形の中にも混じっていませんでした。

タイムスリップして、辻に立って、向こうから人形売りが天秤棒を担いで来るところを見てみたいものです。


2013年1月19日土曜日

ムックリ



ある日、私のデスクに、封も切っていないアイヌの楽器ムックリが乗っていました。
「あれっ、どうしたの?」
「さあ、どうしたんだかなぁ。出てきたんだ」
いったいどこから出てきたのでしょう。おおかた、夫が北海道に行ったときに、いただいたものなのでしょう。いったいいつのこと?

「いるだろう?」
いります。


じつはしばらく前に、ムックリの演奏を聴く機会がありました。でも、そのムックリに紐がついていた記憶がありません。紐がついていれば、初めて見るものだから気がつかないはずはないと思うのですが、記憶違いでしょうか。
それは演奏会ではなく、釧路湿原の動物についての講演会での余興で、目の前で演奏なさいました。ムックリとおっしゃったのだけれど、口琴だったのかもしれません。


左の二つの口琴はフィリピンのミンダナオ島のもの、中のはマレーシアのもの、どちらも竹でできています。


ミンダナオの口琴は平たくて、


マレーシアの口琴は厚みがありますが、どちらもよくできていて、素人の私でもなかなかよい音を出すことができます。


ところがお土産にもらった金属の口琴は、響くどころか、音さえ出ません。


そして、ムックリ。
東南アジアの竹の口琴たちが、装飾があるという意味ではなく、精巧につくられているのに、ムックリは雑で、弁の位置も左右対称ではありません。竹はまっすぐ加工したつもりでも曲がったりしますが、お土産物とはいえ、技術は低いものです。

開けて説明書通りに紐を引っ張ってみましたが、難しい。
よい音が出るには至りませんでした。