2019年8月31日土曜日

消えてしまって

客人が来て、お菓子を出しました。
客人が帰るとき、台所まで湯飲みと空になったお皿を持ってきてくれました。
ちょうど流しの前にいたので受け取って洗って、さて居間のテーブルに置きっぱなしの夫のお皿も片づけようと見ると、夫のお皿にはお菓子が残っていました。


それを見て、思い出しました。客人のお菓子につけたフォークはどうしたのでしょう?
お皿と湯飲みは洗いましたが、フォークを洗った覚えがありません。慌てて流しや洗いかごを見たけれど、フォークはありませんでした。客人はもう帰られています。
まさか使い捨てと思われて捨てられたわけじゃないだろうと探しましたが、どこを探しても出てきませんでした。
ミステリアス!


というわけで、気に入っていたのにお菓子のフォークは1本欠けてしまいました。

それよりも問題はコーヒースプーンです。
コーヒースプーンと言っても、コーヒーを混ぜるのに使うことはありませんが、猫のトラのかりかりに猫缶の柔らかい肉を少しだけトッピングしてやるために毎日使います。
また、料理の最中に調味料を混ぜたり、夫が保存容器に入れた残りものやアイスクリームを食べたりと、食卓には上りませんが台所ではなくてはならないスプーンです。


これが今の引き出し、


これが4年前の引き出しです。
もともと、夫の母が持っていたものが少なくても6本、私が買い足したものが6本、12本ありましたが、何故か減り続け、数か月前から3本になっていたのが、8月になって1本だけになってしまいました。
何故減るのか、まったく理解できません。
ほかの人が一緒に台所に立って、違う場所にしまってくれていたということも過去にはありましたが、そんなこともあるかと探しても出てきません。

シンクに野菜くずを置いてそれと一緒に捨てたくらいしか可能性が見当たらないのですが、それにしても12本以上あったものが1本になってしまったというのはひどすぎます。
この小ささ、トラに餌をやるとき欠かせないのです。


食卓で、ヨーグルトやそのほかデザートを食べるときは木のスプーンばかり、カップアイスクリームを食べる時くらいしか、金属のスプーンは使いません。

その金属のスプーンも、コーヒースプーンよりちょっと大きめのスプーンはいろいろあります。
コーヒースプーンが1本になってから、まん丸いエアフランスのスプーンをコーヒースプーンと同じ場所に置いてみましたが、いつも手が伸びるのは、1本だけ残ったコーヒースプーンでした。
そこで、フォークとセットの幼児用のミッフィーのスプーンも使うことにしました。


じつは、一週間ほど前にたった一本残ったコーヒースプーンも見えなくなって慌てましたが、これは洗いかごの向こうに落ちていました。
この2本で、いつまでも持ってほしいものです。





2019年8月30日金曜日

『水底の橋』


しばらく前に,kuskusさんのブログに、『鹿の王』の続編を図書館で見つけたと書いてありました。
出版されているのを、全然知りませんでした。
さっそく、『鹿の王、水底の橋』(上橋菜穂子著、角川書店、2019年3月)を手に入れたものの、『鹿の王』がどんな物語だったか思い出そうとしましたが、あれっ、まったく思い出せません。

というわけで、『鹿の王』の上巻の『鹿の王、生き残った者』の目次を見てみました。
登場人物の名前を見たり、小見出しを見たりすると普通、
「あぁ、そうそう。こんなお話だった」
と思い出すものですが、それでもまったく思い出せません。しかたない、『鹿の王』を少し読んでみて、物語を思い出してから『水底の橋』を読むことにしました。
ところが、しばらく読み進んでも、嘘のように記憶がよみがえってきません。物語の展開がつかめず、まるで初めて読んでいる感じです。
以前、『鹿の王』についてブログを書いたことは覚えていたので、内容についてなにか書いていないかと見返すと、内容には触れずに、ただ読み進むのが難しかったとしか書いてありませんでした。

たった4年前のことですから、もしかしたら内容を思い出さないように、自分で記憶に蓋を閉めてしまったのかと思うほどでした。


『鹿の王』上巻を読んでいると、前回と同じようにときどき読むのが困難になりました。
4年前は、合間に気分転換するために軽い本を読んだと書いてあるけれど、いったい何を読んだのでしょう?
今、ナイトテーブルに一緒に乗っている本は、のっけから罪もない少年の死体が転がっているという物語、これも読みにくくて、ときに閉じなくてはいられなかったところへ、『水底の橋』が加わっているのです。
というわけで、『鹿の王』の上巻を半分ほど読んだところで、これまでの話はどうであれ、『水底の橋』を先に読むことにしました。

『水底の橋』は、『鹿の王』の上下巻よりは読みやすいものでした。
『水底の橋』を読み終わってから、『鹿の王』も読み終えました。いつもはしないことですが、『鹿の王』の下巻は途中を飛ばして、ちらちらと結末をのぞいてみたりしました。

『水底の橋』は、一つの希望を持たせてくれる物語でした。
『鹿の王』には主人公がヴァンとホッサルの二人いますが、『水底の橋』は、ホッサルと公私ともにパートナーのミラルの、その後の物語でした。
『鹿の王』は、上下巻のままで終わっていたら本当にせつない、意識的に封印もしたくなるような物語でしたが、『水底の橋』があることによって、まだまだヴァンと娘ユナの物語もあるだろうし、登場しているしているそのほかの人々のいろいろな物語もこれからあるかもしれない、そんな希望を抱かせてくれました。


それにしても今回も、影山徹さんの絵のすばらしいこと、本もとてもきれいな本でした。
『鹿の王』上下巻で1100余ページ、『水底の橋』が400余ページ。数日間、壮大な物語を楽しみました。







2019年8月28日水曜日

はさみのある生活

夫は時々しか行かない骨董市で、何度かラシャばさみ(裁ちばさみ)を買ったことがありました。
「なんでラシャばさみを買うの?」
「はさみが足りないからさ」
「何切るの?」
「何でも切るよ」
ラシャばさみを買ったのは、骨董市でラシャばさみしか売っていなかったからなのか、あるいは大きいから失せにくいと思ったのか、わかりません。
でも、小さいころから、ラシャばさみで紙を切ってはいけない、布だけを切るようにと言われて育った私には、ラシャばさみで布以外のものを切ることなど、とうていできないことです。

我が家のはさみ事情は、潤沢な方だと思います。
文房具をしまう引き出しに、はさみをまとめて入れていますが、夫専用のはさみは、夫のデスクの上の筆立てに立ててあります。その専用のはさみは、よく行方不明になってしまい、そのたびに引き出しのはさみや、食卓のカトラリー入れの中のはさみなどが、夫のデスクに移動しています。
作業場にもはさみは置いてあります。また、段ボールや古本などを縛る荷紐を入れた籠にも専用のはさみが入っています。
というわけで、どこにいてもはさみは間に合う状態にはなっているのですが、私に「元に戻して」と言わせない、夫専用のはさみを増やしたい気持ちがあるのでしょう。


そんな夫が買ったラシャばさみ、少なくても2本はあったはずなのに、1本しか見つかりませんでした。
その夫が今年、久しぶりに行った骨董市で、床屋さんのはさみを買いました。


左がそのはさみです。
とっても素敵なはさみで、私の菊一文字(右)より形もいいし、鉄がとろっとしていていい感じです。


よく切れるはさみだったのか、長年にわたって砥いでは使われてきたらしく、ずいぶん刃が減っています。


日常生活では、ラシャばさみより床屋さんのはさみの方が使いやすそうですが、私は、床屋さんのはさみで紙などを切ることにも、ちょっと抵抗があります。
「刃が減ってるから500円ね」
のはさみですから、惜しげはないのですが。

数か月前、私のラシャばさみが見えなくなりました。
置いてあったところ、置きそうなところをくまなく探しても出てきません。さして裁縫をするわけではありませんが、ないと不便しました。しばらく紙を切るはさみを使って布を切っていたのですが、切りにくいことこの上なしでした。
というわけで、ラシャばさみが見えなくなって1か月くらい経ってから、新しいはさみを買ってしまいました。
どうせ買うならいいものをとも思いましたが、贅沢も言っていられないので、値段の安いツヴィリングにしましたがあとで、
「私も骨董市で買うという手があったかも」
と思ったりもしました。
新しいラシャばさみのカバーをつくろうと布を探し、日曜日にちくちく縫っていたら突然、さがしていたはさみの在りかを思い出しました。
もう半年も前に、織り機の紐をつけ替えようと、織り機を置いてある作業棟の二階に持って行って、そのままになっていたのです。なんてこと、数日で紐替えの作業をすませるつもりだったのに、やりかけのまま、早半年も手つかずだったのです。


「あぁぁ、要らないものを買ってしまった!」
生活に何の役にも立たないものを買うことにあまり抵抗がないのに、無駄な必需品を買ってしまったことに後悔しきりです。
ツヴィリングもピンからキリまであるのか、布は切れるけれど極上というわけでもありません。ちょっと力が要ります。
そういえば、仕立て屋さんが使っていたような極上のラシャばさみは、もしかしたら一度も使ったことがないのかもしれません。切っているのか切っていないのかわからないようなラシャばさみ、きっとこの世にあるのでしょうね。








2019年8月26日月曜日

ドアづくり

ドアを設置するためのができたので、ドアづくりにかかります。


手持ちの材の、最後の柾目の4メートル長さの杉を使います。
もう、15年以上前に、母屋の建具をつくるためにまとめて買ったものですが、予定したのにドアなしの場所もあって作業棟にも使えましたが、とうとうこれで使い切りました。


縦材は残り板から2本取れましたが、横材はできるだけ目の詰んだ端材をさがして、幅広だけど短い材を割ったりして2本取りました。


削ってみたら、まずまずきれいになりました。


といっても、保管場所に事欠いて、ビニールシートをかけただけで何年も置いていたせいか、あるいはもともとあったのか、所々虫食い箇所があります。


削ったら出てきた大きな虫食い箇所、もう虫はいません。
本当はこの部分だけ、別の木を埋め木すればいいのですが面倒です。まぁいいかと、このまま使います。


まず縦材の方に、深いほぞ穴を開けます。
最初の穴は抵抗も大きいので、角ノミ機のノミを上げたり下げたりしながら、一度に大きい負担がかからないように穴を開けるのですが、それでも煙は出るし、おがくずは手に当たると熱いほど焼けています。


横材を組み入れるためのホゾ穴ですから、上下2か所ずつ開けます。


そして、横材にはホゾをつくります。
それぞれ、板をはめ込むための溝も切っています。


枠ができたら、枠にはめる板を用意します。
夫が四阿(あずまや)をつくったとき残った短い切れ端があったのでそれを利用、足りない分は厚みのある端材を割いたりして、枚数を確保して、溝にはまる厚さに揃えました。板厚は15ミリにします。


節のある木もありました。
 

長さを切りそろえ、「あいじゃくり」加工をします。


見本用の端材で加工してみてから本番です。


組むときは、まず、縦材1本と横材2本をボンドもつけて、コの字型に組みます。
枠は倒れないように作業台に木を打って支えをつくり、立ててあります。
 

コの字型の枠に、あいじゃくり加工した板を、端からきっちり並べます。
上下に隙間がないように並べたら、残りの縦材をかぶせます。全部の板が溝に収まるように、両側から飛び出しそうにしている板を叩いたりしながら、きっちりはめ込みます。


これでドアは出来上がりです。
あとは、下端のタイルが水平でないので、それに合わせてドアの下端を少々斜めに切り、枠に蝶番で留めます。

問題は取っ手(ハンドル)です。なかなか、安くて気に入るのが見つかりません。







2019年8月25日日曜日

染料ビンカタログ

染料ビンが、いろいろ集まりました。
私も一度、maicaさんに倣って染料ビンのカタログをつくってみることにしました。もっとも、カタログと言えるほどいろいろな種類があるわけではありませんが、自分の記憶用につくったとご笑覧ください。


まずは最大手のみやこ染です。
最大手だけあって、ガラスビンは大きな工場でつくったのでしょう。よくできていて気泡もなく、ちょっと面白みには欠けています。


ビンの蓋から見ると、左が古いのでしょうか。
右と中は酸性染料と直接染料、それぞれ、絹毛用と木綿用です。繊維は、動物繊維の方が染まりやすいもの、一番需要が多かったであろう着物や毛糸は、酸性染料で染めました。


アルスは描いて染める画期的な染料(絵の具)で、スイスでつくられ、みやこ染の桂屋で売られました。
 

マツ染料です。


かわいい松のエンボス。ビンの意匠の面白さではちどり染と一二を争いますが、染料としての売れ行きはどうだったのでしょう?


その、ちどり染です。


藤山染料 。


桐山染料。
藤山染料も桐山染料も、「山」がついて、「染」ではなくて「染料」と続くのは、偶然でしょうか?


みやま染とあさひ染。


三洋染と京染。


アニリン染とゑびす染。
 

冨士染とほまれ染。


そしてみくに染です。