小林豊さんの絵本には、楽しい生活を描いたものがあります。
『ぼくの村にサーカスがきた』(ポプラ社、1996年)は、『せかいいちうつくしいぼくの村』(ポプラ社、1995年)のいわば続編、少年ヤモの住む、パグマン村の物語です。
ヤモが友だちのミラドーと学校から帰っているところです。
ミラドーはいつも笛を吹いています。
今日は村にサーカスが来る日、まずお手伝いを済ませます。
広場には、観覧車や回転ブランコが組み立てられました。
ヤモとミラドーは楽しみます。
やがて、サーカスがはじまりました。
サーカスにはいろいろな出し物がありましたが、歌姫の美しい歌もありました。みんなが聞きほれているなか、ミラドーが歌に合わせて笛を吹きはじめました。
素晴らしい笛の音にシーンとなった観客席から、ミラドーは舞台に迎えられ、楽隊の人たちと一緒に心ゆくまで笛を吹きます。
お祭りは終わりました。
じつはミラドーのお父さんは戦争に行ったきり、帰ってきていないのです。そのお父さんの笛を、ミラドーは片時も離さず持っていて、吹いていたのです。
ミラドーはサーカス団に迎えられることになり、行ってしまいます。
ヤモに日常が帰ってきました。
でも、仲良しのミラドーはいません。
『ぼくのチョパンドス』(光村教育図書、1999年)は、中央アジアの広大なトルキスタン平原を舞台にした物語です。
このあたりには、昔から伝わる、ブズカシという馬の競技があります。
二つに分かれたチームが、馬に乗り、砂を詰めた羊の身体を奪い合って激しくぶつかる勇ましい競技で、勇者はチョパンドスと呼ばれ、みんなからの尊敬を集めます。
コアのお父さんは有名なチョパンドスでしたが、戦争で片脚をなくして、もう馬には乗れなくなってしまいました。
お父さんは脚をなくしてから、農具や家具をつくる木工の仕事をはじめました。
コアも兄さんも、それを手伝います。
お父さんは最近、何か新しいものをつくっていますが、訊いても笑うだけで教えてくれません。
ブズカシの日がめぐってきて、兄さんが参加しました。
地面に置かれた羊めがけて、たくさんの馬が集まります。
残念ながら兄さんは落馬して、怪我をしてしまいました。
と、そこへ現れたのは、脚のないはずの、コアのお父さんでした。
お父さんは、馬の腹を両脚で挟んで、両手を広げて果敢に敵チームの中に躍り込み、敵の大将と一騎打ちの末、羊を手にしてゴールに逃げ込みました。
みんな、
「チョパンドス、チョパンドス!」
と称えます。
お父さんは、この日のために義足をつくっていたのでした。
『ぼくの村にサーカスがきた』も、『ぼくのチョパンドス』も、村の日常や楽しみを描いた物語ですが、どちらにも戦争の影があります。ミラドーのお父さんは戦争に行ったきり帰ってきませんし、コアのお父さんは戦争で片脚なくしています。
『ぼくの村にサーカスがきた』のヤモが住む、アフガニスタンのパグマン村には、サーカスが去ったあと雪が降り、誰もが豊作を約束してくれる雪を喜びました。
ところがその冬、戦争で村は破壊され、みんなは命からがらよその土地に逃げていきました。
3 件のコメント:
小林豊さんの絵本、どれも始めて見ました。春さんのブログには、始めてのことが多く、それも幅広い内容で為になります。今年になってから、アフガニスタンから避難されてきた女性の人たちと知り合いになりました。アフガニスタンだけでなく、コンゴ、スーダン、リビアなど、アフリカと中東から避難されてきた人たちが大勢います。絵本を見ながらいろいろ考えてしまいました。
追伸です。漢字を間違ってしまいました。初めて、でした。こんなことを間違うなんて落ち込みます。3日前に、椅子の脚に自分の足の小指を強くぶつけてかなり腫れあがっています。9年前には足の薬指をベッドの脚に強くぶつけて骨折しているので、またやってしまったと沈んでいるところに(笑)
Blue moonさん
日常的に異文化と触れ合うオーストラリアやアメリカと違って、日本ではなかなか他の国の人を見ることはできても触れ合う機会がありません。友だちになってしまえば、仲間としての意識が広がるんですけれどね。
漢字の変換ミス、ないようにと願っていても、私もときどきやってしまいます。でも、「日本語知らない人!」なんて思わないから、安心して(笑)。
足の指をぶつけると、しばらく動けなくなるほど痛いですね。私は工事をしていて、低い梁や足場パイプに何度も頭をぶつけて、時には遠くまで音が聞こえるほどぶつけて、次から気をつけようと思っていても、考え事をしていて、また「がぁぁん」。
うまく避けたと思ったら、別のにぶつけちゃったりして(笑)、やっと少しぶつけなくなったところです。
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