2018年7月7日土曜日

あけがらす

友人レナータの子どもたちのさよなら会に参加しようと、初めて岩手県の遠野に行きました。

ずいぶん早く着いたので、宿で休んでからレナータに会い、一緒に一市通り(ひといちどおり)にある会場まで行ったものの、まだ時間があったので、一市通りをぶらぶらしました。
まず、籠屋さんを訪ねました。籠屋さんで楽しい時間を過ごしたあと、レナータが、
「ここは古いお菓子屋さん」
と教えてくれた、まつだ松林堂にお菓子を買いに入ってみました。そして、一番歴史のある、明治からつくられているという「明がらす」を、たった二つだけ買いました。
それを、何気なく受け取って、目が紙袋に釘づけになりました。


なんとも、レトロかわいい袋です。
「わぁ、なんて素敵な袋!」
「大正のころつくった版木をまだ使っているのよ」
「しかも、糊で貼った面は裏のはずなのに、こちらに版を押している。お洒落!」
「昔はね、お菓子を一つ一つ包装していないから、この袋にじかに入れたの」
「へぇぇ」
昔の人のわくわくが、伝わってくるようでした。

実は、二つなんて言わないで、箱入りを買えばよかったかしらと後悔しそうになっていたところでした。
でも、何が幸いするか、袋がきっかけで、青無地の着物をきっちりと着て、青に白地の模様の前垂れをつけた粋なおかみさんと、店の前に座って、いろいろ話すことになりました。
「ご出身も遠野ですか?」
「私はこの家で生まれて育ったのよ。今じゃ、遠野で一番古いことを知ってる人間になっちゃった」
「あらぁ」
話しているうちに、若い男性と年配の男性が別々に家を出ていきました。
「お父さんはお菓子組合の寄り合い、息子は学校のPTAの集まり、息子の嫁はレナータ家族のさよなら会に行くから、今夜は家族バラバラ、孫と二人で夕ご飯よ」

かつての遠野の町の中心は、一市通りでした。毎月一のつく日、1日、11日、21日に市が立ち、「馬千頭、人千人」が集まったそうです。
というのも、城下町遠野は、海から歩いてちょうど一日ほどの距離があったので、市の日に海からは海の幸が、近隣の村々からは山の幸が持ち込まれて、盛んに交易され、またそれら商人相手の飲食店なども出て、にぎわったのだそうです。
当時、月に三回も大きな市が立つということは、相当大きな町だったのでしょう。市の日には道に人があふれて、道の反対側に行くにも馬の腹の下をくぐらないといけないほどの混雑ぶりだったそうです。

まつだ松林堂は創業が明治元年、創業者は地元の郷士に使える武士でしたが明治維新で失業、やむなく商売を始めた人でした。以来150年、一代目は苦労しましたが二代目が成功、お菓子屋さんとして、押しも押されもしない老舗になりました。


これが、大正時代のお店の様子です。


「明がらす」は、かまぼこを切った形のお菓子で、クルミとゴマを、カラスの飛ぶ姿に見立てているそうです。
上品で、何に似ていると例えたらいいのかわからない味、強いて言えば、お盆やお彼岸に売り出される、蓮の花のお供え用のお菓子(といっても、最近のものは食べたことがないので違うかもしれませんが)と、カルカンを足して二で割ったような味でしょうか。


私には、カラスというより、いろいろ人の顔に見えてしまいました。






10 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

素敵な袋!「明」の字のつくりはカラスの目玉(ですよね?)で面白い!字体やローマ字の店名とか松とか、デザインがおしゃれ過ぎる~。ケチケチ作戦、いやミニマム作戦でよかったですね(笑)。

さんのコメント...

hiyocoさん
いつものケチが功を奏しました(笑)。袋ひとつにもその時代に生きているときにはわからなくても、時代が反映されているのですね。でも、お菓子はもっと食べたかったかな、おいしかったです。
えっ、カラスの目ですかね、気がつきませんでしたが、そう言われれば...。
カラスは神話に出てくる3本足のカラスとかで、今も使っているロゴマークが大正時代の写真の看板の高いところにありますが、こちらはそうかわいくありません(笑)。
おかみさんの、藍の型染めのような前垂れ、素敵ですねと言ったら、お菓子の配達に使う、使い古した風呂敷を半分に折って縫ったものだとか、着物は前垂れをすると、ずっと素敵になることがわかりました。

hiyoco さんのコメント...

八咫烏(ヤタガラス)ですね!

さんのコメント...

hiyocoさん
はっきり言って、全然知りませんでした(笑)。
知らないことが、相変わらずいっぱいあり過ぎます。

hatto さんのコメント...

私の知らないお菓子でした。クルミとゴマをカラスの飛ぶ姿に,,,なるほど。聞けば納得できそうな見立ての景色ですね。お菓子の包み紙デザインがなんとも好きです、いいですね♪

随分前に春さんの記事で菓子鉢だったか?漆器だったか、陶器だったか?で白い菊の花が立体的に盛られた器があったような記憶なのですが、その技法をもう一度知りたく「食器」のカテゴリーを見せて貰ったのですが見つけられませんでした。

白い花の修繕方法だったのか、はっきり内容を覚えていないのですが...もし分かればその記事を教えて頂けると嬉しいです。

さんのコメント...

hattoさん
お探しの箱はこれでしょう(http://koharu2009.blogspot.com/2013/01/blog-post_9.html)。凝った箱でしたね。
あけがらすはネット通販もやっています。「袋所望」て書いて送れば、袋も送ってもらえるかも(笑)。「うちでは配達に風呂敷を使った」とおっしゃっていましたから、その昔は結婚式のお菓子とか法事のお菓子とか、いろいろ大口の需要もあって、大忙しだったのでしょう。
ひっそりと暮らしていた私の祖母でさえ、仕出しを頼んだり、お菓子を頼んだりすることがあって、客がお座敷にずらっと並んで、そんなとき、子どもは燗をしたお酒の運び役でした(笑)。お菓子はたいていお土産でした。

hatto さんのコメント...

ありがとうございます。これです!よかったです、見つかって。もう一度この菊の花の部分を見たかったのです。(忘れないように保存しました♪)春さんの記憶力は素晴らしいですね。 お菓子、通販で探してみます。昔は子供が客へのお茶出しなんかも手伝いましたよね、わたしもそうでしたが、、。母に習いながらお盆の持ち方や、湯呑みの置き方なんかを躾けられたものです。最近の家庭ではそんな光景はみられないような気がしますね。

さんのコメント...

hattoさん
記憶力は怪しいものです(笑)。でも、「八郷の日々、豆人形」で検索したら出てきました。
昔の手仕事はすごいですね。この箱も手が込んでいます。これを持っていた骨董屋のがんこさんがいつもの骨董市に来なくなって、もう何年も経ちました。1時間半ほど離れたところで出店していて、行こうと思えばいつでも行けると思いながら、全然行けません。
相変わらず、かわいいものを持っているんだろうなぁと、これを見たら思い出しました。

hatto さんのコメント...

自分のお気に入りの骨董屋さんが近くに来てくれるといいですよね、1時間半だと遠いですね。私は、先日「水うちわ」を買いましたよ。日用品で、壊れやすく、処分されやすいものですし、生産地も限られ製造期間も僅かな年月だったそうで、残っているものは少ないのではないか?と考えてます。そして、自分でも自作の「水うちわ」を制作中です。ちょとコメントする場所が違いますが....糸巻きについて(竹の)今、知り合いの京丹後の機織り屋さん73歳(もう、機織りをやめるそうで工場も閉鎖するそうです。)に尋ねたら、京丹後では絹なので竹は使わないそうですが花巻ではもっと硬い糸だったので恐らくこの竹でも大丈夫だったのでしょうねと。外形に糸を巻いてあとで外すのは想像できますが、使ったことはないという話でした。私もこれに関しての知識がないのでもう少し調べてみますね。

さんのコメント...

hattoさん
水うちわは知りませんでした。
何でも工夫されたり改良されたりした時代の、工夫品なのでしょうか?

竹籠の糸巻は、麻やからむしを紡ぐときに使用されていたことがわかっています。
糸巻が竹でできていてもいいのですが、私が気にしていたのは、糸巻はくるくると回せるものに装着して使うのが最も使いやすい形だと思うのに、片方は広がった縁だし、片方は穴が開いているだけで補強もされていないということです。未使用品ではないのに、穴の方にはこすれた跡がありません。いったいどうやって使ったんだろう、あれに巻くことによってどんなメリットがあったんだろうと、考えれば考えるほどわからなくなっていましたが、一つの仮説に到達しました(笑)。

普通、麻をつなぐときは浅い桶などに入れればいいので、問題ありません。それから糸に撚りをかけたら、また桶に入れてもいいのですが、持ち運んだりするために、糸巻に巻く方が便利です。でも農家で、木の糸巻を手に入れられなくて、でも直径のできるだけ太いものに糸を巻きたい、巻き取るものがない、それで身近な竹で籠糸巻をつくったと仮定しました(笑)。
紡ぐのも糸車ではなくて手で紡いで、できた糸を一旦桶などにためて置いて、竹籠糸巻を膝の上などで転がしながら、ていねいに巻いたと考えれば、しっくりします。底に穴が開いていることから、二人セットで、一人が籠を両手で持って回し、一人が均等になるように糸を繰り出したということも考えられます。繰り出す方は子供でもできます。これは、試してみたらなかなかいけました(笑)。
今では不思議に思えますが、昔は桶は貧乏人でも手に入ったのに、木で組んだ糸巻は手に入りにくいものだったのかもしれません。「桶屋と鍛冶屋はくいっぱぐれがない」と言われていたそうです。
きっとあの糸巻は、花巻あたり限定のものでしょうね。