2018年7月9日月曜日

花巻の歴史民俗資料館

ばたばたと決めた遠野行き、観光スポットにもご縁がなく、ただ550キロを往復しただけでしたが、唯一帰り道に寄ったのは、花巻にある歴史民俗資料館でした。

昨年、竹で編んだ糸巻を紹介したとき、どうやって使ったのかわからないと書いたら、hiyocoさんが、花巻の歴史民俗資料館に似た籠が展示してあるとの情報を見つけてくれました。
以来、いつか花巻の歴史民俗資料館に行きたいと思っていました。花巻は遠野の近く、この機会に行かなかったらいつ行く?、というわけで寄ってきました。



歴史民俗資料館は、花巻の郊外の、鉄道の駅で言えば石鳥谷にありました。思ったより広くて立派な資料館でしたが、石鳥谷が酒造りの町であったことから、南部杜氏の酒造りの道具の展示に力を注いでいて、ほかの展示は、ごく限られていました。
酒造りの道具の展示は、大樽がいくつも並んでいるなど圧巻で、興味深いものしたが、残念ながら館内は撮影禁止だったので、写真はありません。

その酒造り道具の中で、一つ発見、というか私の間違いの発見がありました。




それが、これです。
以前これを、舟にたまった水を汲みだす「あかくみ」と紹介しました。
しかし、酒造道具の中に、持ち手の前に板がついた、これとそっくりなものが、6つも展示してありました酒樽の底をさらうとき、残さず液体をくみ出す「湯すくい(?)」です。
筆記用具を持っていなかったので、名前を目に焼きつけたつもりでしたか、見事に忘れました、湯だけ漢字で、あとはひらがな三文字でしたが、もしかしたら「すくい」ではなかったかもしれません。




上はあかくみの写真ですが、どれも持ち手の前の板がついていません。私の持っているものは、ほぼほぼ、酒造道具だと思います。
醸造用の酒樽は、梯子をかけて上るような大きなもので、簡単に動かしたりひっくり返して洗うということができませんが、酒樽の中をきれいに掃除することは、仕込みに勝るとも劣らない、大切な作業だったそうです。ささらや特別の箒なども使って中をきれいにするのですが、そのとき洗った水などを最後の一滴まで汲み取ろうと、この湯すくい(?)を使いました。


「おぎぶん電書館」より、岐阜県富加町松井屋酒造資料館

ネットで見つけた酒造道具の写真では、右端のものが湯すくい(?)に見えます。これには持ち手の前に板がついていませんが、地方色があったのかもしれません。

さて、歴史民俗資料館には、期待していたた織りもの道具は、影も形もありませんでした
もしかして、定期的に展示物を入れ替えているのかと、広い館内をたった一人で管理している受付けの女性に、以前ネットで見たと糸巻のことを訊いたところ、織りもの関係の道具は、新しくできた「農業伝承館」の方に移したとのことでした。

農業伝承館は、歴史民俗資料館から、歩いて数分の距離にあり、農具や野良着がたくさん並んでいました。
唐箕、足踏み脱穀機など、ついこの前まで我が家にもあったし、千歯こき、飼い葉切り、田の草取り、臼と杵など今でもあります。
というわけで、私たちには、見慣れたものがたくさんありました。



織り機は、展示室には4台ありました。
「はたおり同好会」が結成されて活動しているらしく、一日だけの織りの体験もできるし、年に一度は、もっとたくさんの織り機が並ぶ別室でもっと時間をかけた織りもの教室も開かれるということでした。
この高機(たかばた)は、戦後改良され、普及されたものでしょうか?綜絖はどれも金属でした。


これは、同好会の方々のつくった裂き織りのしおりで、受付けでいただきました。
どれがきれいか見ていたら、受付けの女性が、
「普通の本なら、小さい方がいいですよ」
と勧めてくれました。なるほど厚みがあるのでとくに大きい方は、本に挟んだら本が型崩れしそうです。彼女が来館者みんなに勧めているのか、小さいしおりは、これが最後の一つでした。

農業伝承館には、紡ぎ車など織りものの周辺道具もあり、目当ての籠の糸巻もありましたが、まとめて置いてあるだけで、どう使ったのかわかりません。
受付けの女性に籠の糸巻のことを訊いてみたら、ご存じではありませんでしたが、親切に収蔵した時の記録書を調べてくれました。
記録書には、寄贈者の名前や、使途として「紡いだ糸を巻くための糸巻」と書いてあるだけで、どう使うのか書いてはありませんでした。


というわけで、花巻まで来たものの、何故籠か、何故底に穴が開いているのか、どうやって使ったのかなどなど、わからずじまいでした。

歴史民俗資料館と農業伝承館に並ぶ、美しい道具や、その道具を生み出す道具の数々を見て、この50年、100年で、日本人の生活が大きく変わってしまったことを、改めて感じました。
道具も職人さんも、消えてしまいました。

追記:

hiyocoさんから、「湯すくい」ではなく、「湯がすり」と教えていただきました。

「よねちゃんの車中泊旅行記」より
これで、淦汲み改め湯がすりは決まりです。









8 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

春さん、「湯がすり」でしたよ。同じ方の大旅行記に湯がすりの写真が載っていました。この方、記録魔ですね~。https://blogs.yahoo.co.jp/shigeaki0430/54838317.html
竹かごは永遠の宿題ですね!

さんのコメント...

hiyocoさん
ありがとう。返す返すもお世話になっています(笑)。
南部杜氏伝承館は、歴史民俗資料館のすぐ近くにあったのですね。しかも撮影も可だったのでしょうか。何で一本化しないのか不思議です。
「フラッシュを使わないなら撮影してもいいにした方が広く知られるし、そうじゃないならせめて冊子を作ったら」と苦言を呈したのですが、重文が含まれているので軽々しくできないと言われ、ちょっとお役所仕事でした。
しかし、「湯がすり」と分かってすっきりです。ありがとうございました。
こちらは解決しましたが、竹籠の糸巻、いつか分かる日が来るのでしょうか?

hatto さんのコメント...

春さん。この竹で編まれた糸巻きの道具について多くの方に尋ねてみたところ、北海道の方から資料についての回答をいただきました。この竹で編んだ道具は「ガワ」と呼ばれるそうです。苧麻から採った麻糸をこのガワというものに巻きつけて干すそうです。どうやら「乾燥」をさせるためだけの道具のようです。

津軽の「こぎん刺し」について書かれた冊子がありその2号にこれが載っていたそうです。
「そらとぶこぎん」というプロジェクトがあり、そこに尋ねるともう少し詳しい情報が得られるのではないかとのことでした。Facebookでも少し情報を発信していると教えて頂いたので末文に貼っておきますね。

「そらとぶこぎん」の冊子によると.....。

①麻の粗皮を剥ぎ取る為の「オヒキ金とオヒキ台」。
②細かく裂いた麻に撚りをかける「ムツ」。
③糸を巻き付けて干す為に「ガワ」。
④麻から糸を績み布を織る「地機」

が写真と共に掲載されており「杉本行雄(1914-2003)が収集保存したと記されています。
平成27年に廃館となった三沢市の小河原湖民俗博物館の旧蔵品が翌年11月に地元の旧六川目小学校で三日間だけ公開され、有形民俗文化財として(上北地方の紡織用具及び麻布・1351点)が展示。

同博物館は昭和36年、コレクションは国内屈指といわれ、廃館では旧蔵品は地元自治体や青森県郷土館が分散保管している、、と記されています。

またINAX出版(津軽とこぎんと刺し子)によると、寒冷地には適さない麻素材が農民に唯一許された衣服で、衣服を着せることができず間引きがあったと。命に直結した糸と布作りが容易ではなかったことを伝え大量生産社会に身を浸す今にそうした暮らしがあったことを伝える民具として受け継ぎたい...というような内容が掲載。

ざっくりですが、寄せられた回答でそんなことがわかりました。この「ガワ」という道具は東北地方に限られたものなのか、麻を栽培していた他府県でも同じ様な道具がつかわれていたのか、その点についても知りたい所です。



この「そらとぶこぎん」の冊子によると「津軽こぎんと刺し子」がINAX出版から平成10年に出ているようです。(INAXの本の中は未確認です。)

 https://www.facebook.com/soratobukogin/

さんのコメント...

hattoさん
詳しくありがとうございました。
そうか、あれを回して使うのではなくて、あくまでも乾かすためのものなのですね。四角い糸巻(http://koharu2009.blogspot.com/2017/04/blog-post_24.html)に巻いても乾きますが、農家で糸巻を入手するのは困難だったのでしょう。
村上信彦の『明治女性史』に、生涯たった三枚の麻の着物しかもっていなかった青森の女性への聞き書きが載っていました。
寒すぎて木綿が育たなかったので麻だったのですが、明治後期からだったか木綿の古着が東北に運ばれるようになり、裂き織りが発達しました。こぎんも古布の補強と、厚みを出すことでしたものね。
農業伝承館に展示してある昔の野良着も、一枚を除いて麻でできていました。冬は、麻を重ね着しただけでは、どんなに寒かったことでしょう。想像を絶します。
江戸から明治にかけての日本の人口はずっと3000万人で、200年間も増加していないのは食糧生産の限界だけと思っていましたが、衣のために、綿、麻類、藍など植えなくてはならないし、屋根のために茅を植えなくてはならないし、それらも土地を使いますから、衣食住ひっくるめて、それ以上拡大の余地がなかったのだと、この頃になって、ようやくわかってきました。
ありがとう、とっても参考になりました。

hatto さんのコメント...

そうでしたかこぎんもそんなところから生まれたものだったのですね。なるほど。私も知らない事が多くいつもここで勉強させてもらっています。春さんのお陰でこの竹の糸巻きの存在も知ることができました。また色々教えてくださいね。最近は、すぐ忘れてしまいますが、、、。笑

さんのコメント...

hattoさん
本当に知らないことだらけで、それがつながったりしたら嬉しいですね。
こちらこそ、いつも教えていただいて、ありがとうございます。
私もすぐ忘れてしまいます「湯がすり」の名前をしっかり覚えたと思って、資料館を出たら忘れていたなんて、お恥ずかしい限りです(笑)。
おしゃれなレストランやカフェ、どうして猫も杓子もあんな横文字の名前にするのか。忘れるどころか、はなから覚える気も起きません。あれじゃ客から客への口伝がなくて損してますよね(覚えないのは私だけか、笑)。

hatto さんのコメント...

横文字の名前.....よく思います!わたしも! 日常会話でも同じくですが、カタカナや和製英語が溢れ返ってなんだかなあと。美しい日本語や表現も繊細な自分の国の言葉で豊かな会話や文章が綴れるといいなと思います。世代を限定せず最近は「やばい」とか「まじ」という表現だけで会話を完結させるのは日本人の表現が乏しくなったのかなと残念に感じる事も。横文字...大学のロゴですら漢字表記が減って来ましたもんね。それがバスなどへの広告である場合、速度もあり一瞬に過ぎてしまうので、アルファベットより漢字表記で描いたほうが、視覚伝達でも脳に伝わり易いと思うのは私だけでしょうか。笑

さんのコメント...

hattoさん
漢字は、素晴らしい文字ですよね。たくさんの人口が、ニュアンスまで分かり合えるし。
そのローマ字表記の店たち、十羽ひとからげに思えていいことは何もないのに、津々浦々に浸透しているようです。能登にスペイン語のお店、角館にフランス語のお店なんて、似合わなさすぎる。いつか消えることを願うばかりです。