2019年6月18日火曜日

神薬のビンなど


ビンコレクターの間では、羨望を一手に引き受けている、神薬のビンです。
ボトルソウドウさんからの贈りものの中に入っていました。コバルト色がきれいです。
何がどうして、神薬のビンがビンコレクターの羨望を集めるようになったか、私は詳しくは知りませんが、その人気は、市場で高値で取引されていることでもわかります。
その神薬のビンを、富山にお住いのボトルソウドウさんは、山のように持っていらっしゃいます。

トヤマ、廣貫堂

神薬を知らない私が何とも言えませんが、「神薬」という名前は滋養強壮飲料の総称のようなものだったのか、富山の(ほかでも?)たくさんの製薬会社によってつくられたようです。
いったいどのくらいの数の製薬会社がつくり、どのあたりまで運ばれていたのか、これからのボトルソウドウさんの報告を待つ以外ありません。

富山在住のボトルソウドウさんのお話では、富山では、年配の方で神薬に日常的に親しんでいた方が、大勢いらっしゃったようです。また、聞き取りをした中に、子どものころに大阪から富山に引っ越ししてきた方がいて、その方は遠足に行った先で、おやつとして神薬を持ってきている子どもたちがいたことに、とても驚かれたそうでした。ということは、大阪には神薬がなかったか、あるいは子どもが飲むものではなかったのでしょう。

富山の置き薬は全国に運ばれていたにも関わらず、神薬は限られた地域にしか運ばれてなかったようでした。
私も、神薬については15年くらい前までまったく知りませんでした。


また、ビンのことでコメントをくれた昭ちゃんが、子どものころ飲んでいたという「どりこの」については、昭ちゃんのコメントを見るまでまったく知りませんでした。
神薬もどりこのも、ある地域では激しく流通していたにもかかわらず、ある地域にはまったく届いていなかった飲みものだったのでしょうか?
あるいは、どりこのは終戦とともに消えたようなので、私が時代的に知らなかっただけなのでしょうか?

神薬は小さなビンにほんの少量入っていた、どりこのは大きなビンにたっぷり入っていたという違いがありますが、神薬もどりこのも、美味しい飲みものとして、また滋養強壮飲料(聖水)として、子どもから年寄りまで日常的に飲まれていたようです。
どりのこがもてはやされた昭和初期の、日本人の平均寿命は、男性が45歳、女性が46歳ほどでした。平均寿命が短いということは、子どもの死亡率が高かったということでもあります。抗生物質もまだありませんでした。
「聖水」の需要は今よりずっと高かったことでしょう。


どりこのは、東京でつくられました。
『伝説の「どりこの」』(宮島英紀著、角川書店、2011年)には、本の講談社が販売にかかわって大々的に宣伝されたと書いてありました。


何せ、販売促進に出版社がからんだのですから、新聞や雑誌の広告、ちらしなど、どりこののおびただしい数の広告が残っています。


世界中が不景気の真っただ中(昭和6年ごろ)に爆発的に売れたどりこのは、終戦とともに消滅します。戦争中、たくさんいた社員が兵役に取られ、経営も立ち行かなくなったということもあったようでした。

どりこのは大きな工場でつくられていましたが、神薬は小さな、いくつもの工場でつくられていたのでしょうか?
それにしても、神薬も戦争で人手を取られて、やはり経営は大変だったことでしょう。


さて、ボトルソウドウさんにいただいたコバルト色が美しい薬ビンです。


こちらは目盛りが入っていないけれど、薬ビンでしょうか?
神薬?あるいはほかの滋養強壮飲料?


富山で売られた薬を入れたビンは富山でつくられたのか、これもボトルソウドウさんの報告を待つ以外ありません。


そして、瓢箪とおはじきです。


ガラスの瓢箪は、根付にしたものでしょう。
古来、根付用の瓢箪はよく親しまれてきたもので、象牙、サンゴなどでつくられてきました。


一つでも使われましたが、6つつけて無病(六瓢)息災というのが定番でしょうか。


ボトルソウドウさん、本当にありがとうございました。
私のガラスたちが、さらに賑々しくなりました。


関係ないビンが一本紛れ込んでしまいましたが。






8 件のコメント:

ボトルソウドウ さんのコメント...

びんの写真が綺麗に撮られていますね。薬瓶は全て神薬が入っていたと思いますがグリーン色のびんは同じ場所から複数発掘されることがあるのに神薬のエンボスがついているのはその内の1個だけ、とかです。予算の関係なのでしょうか?エンボス有り、無しと混ざって納品されていたのかもしれません。富山駅周辺にはガラス工場が沢山あったそうですが空襲で焼けてしまったそうです。ガラスびんの製造もそうですが、富山の産業のルーツは売薬のから始まったものが数多くあると言われています。薬袋の製紙やデザイン、印刷、缶、売薬から始まったものがその後色々な方向へと発展していったようです。

さんのコメント...

ボトルソウドウさん
わぁ、全部神薬が入っていたのですか。それは大変失礼しました。
ビンの製造が間に合わずというか、つくる予算もなく、いろいろなビンに神薬を詰めて売ったなんて、当時の繁盛ぶりが目に見えるようです。
ガラス工場もたくさんあったんですね。面白い。『いろはにコンペイトウ』に載っていたような、家族ぐるみで働くガラス工場だったのでしょうね。
当時の富山、行ってみたいです(^^♪

ボトルソウドウ さんのコメント...

富山の製瓶会社の情報も本に載っていましたが規模までは分かりませんでした。
瓶の型にエンボスを発注するのはきっと予算が増えるだろうと思うので少しだけ神薬という字を入れたりした場合もあるのかな?と、あとは同じ形だけど字のないびんものを注文した・・本当にそんなことがあり得るのか分かりませんが、そんな光景を想像しました。違っているかもしれません(笑)機会があれば調べてみます。

さんのコメント...

ボトルソウドウさん
周辺産業も発展して、一丸となって活気があったのでしょう。
ビンをつくるとか、おまけの風船など紙ものをつくる、置き薬の引き出しをつくるなどなど、薬に直にかかわっていたのではない人も入れると、人口のどのくらいが薬に従事していたのか、天文学的数字(笑)になっていたに違いありません。
ビンが足りない状態で、空きビンを回収したら多少のバックがあったのかどうか、それも大恐慌とか戦争激化とか、当時の世相にも関係していたでしょうね。
ビン一本、奥が深いです(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

姐さん懐かしいポスターを有難う
肩を怒らせたような姿と波型のデザインが懐かしいですよ
薬局で購入です。
当時の風薬には乾燥したミミズ
肩こりには生きたヒルを、、、
ガラス容器で泳いでいました血を吸わせるのでしょー

さんのコメント...

昭ちゃん
どりこののビンは美しいですね。当時の人は花瓶として使ったりしたのではないかしら?

乾燥ミミズは、ちょっと前に話題になりませんでした?
私は熱帯林を歩いたとき、足にかみついているヒルを発見しました。痛くもかゆくもなくて、ただ血が流れているので、ぞっとしてしまいました。というのは、痛くないのではどこに幾つ噛みついているかわからないと思ったからです。
帰国してからその話を一回りほど大きい同僚にしたら、「あら、昔は血を吸わせるためにヒルを薬局で売っていたわよ」と言われて、またまたびっくりでした。

昭ちゃん さんのコメント...

昔の大人は結構子供の相手をしてくれましたから耳学問です。
犬の交尾などを聴くと「大人になったら解かる」って
それ以上は聴きませんでした。
ただ「離れなければ水をかけなさい」っと(笑い)

さんのコメント...

昭ちゃん
笑っちゃいました。
タイの犬はよく人前で交尾して水を掛けられていました(笑)。