夫が焼却場に、木の箱を捨てていました。
アメリカで暮らしたとき、私たちが借りた部屋は、高層と低層を組み合わせた、既婚者用の学生寮の低層部分の二階でした。
三階建てでしたが、同じ入り口を使って二階と三階に住んでいたのは四世帯、その入り口の隣には、表からも裏からも入れるコンビニくらいの小さなお店がありました。
そのお店で、顔見知りになった店主に牛乳パックを入れるコンテナを4個ももらって、赤、青、空色、黄色にペンキを塗って、息子のおもちゃ入れにして使っていました。
日本では、まだ牛乳はビンに入っていて紙の牛乳パックがなかった時代ですが、アメリカでは1ガロン(3.78リットル)の牛乳パックがあり、コンテナに9本ずつ入れられて、運ばれてきていました。
その箱は、帰国するときは、梱包箱にもなりました。まだ、段ボール箱というものがなくて、引っ越し荷物はアルミを張った大きな木箱に入れていた時代でした。
牛乳パックのコンテナは、帰国してからもおもちゃ箱として役立っていました。
牛乳の紙パックがあり、赤ん坊の紙おむつがあり、缶入りの赤ん坊用のミルクもあったという1970年ごろのアメリカですが、牛乳パックを運ぶコンテナは、まだプラスティックではなくて、薄い金属の板でぐるりを補強された、木の箱だったのです。
かつてはおもちゃ入れだった箱は、ここに来てから大工作業のお供として、棚として、踏み台としてよく働いてくれました。
そして、最後の一つが消えていきます。
6 件のコメント:
息子さんの部屋、すごく素敵ですね!IKEA顔負けです。ロールスクリーンなんておしゃれ!私の子供の頃のアルバムで、人が写っていない部屋だけ写真なんてないです(笑)。
コンテナは外だけじゃなくて内側も白く円形に塗ってデザインされているのがびっくりです。意外と手間をかけているのですね。
hiyocoさん
子どもが小さいころはずっと家にいなくてはならないし、時間もこま切れですが、その分いろいろ手間をかけていました(笑)。
カーテンもロールカーテンがない時代で、全窓に、長い布に20センチおきにリングを縫いつけて、それが寄って行くような仕組みにつくっています。家は大工さんにつくってもらいましたが、棚もベッドも自分でつくりましたよ。
牛乳パックの箱も、ペンキを買ってきて、室内で塗ると赤ん坊がいるので、多分ベランダかなんかで塗ったのでしょうね。今となっては元はどんなロゴとかが書いてあったのか、なかったのか、そっちの方が気になります(笑)。
ここの雑誌に載っているようなインテリアですね。当時は珍しかったですよね。春さんは、昔から棚やベッドの大物を作っていたのですね。
最近になり、部屋のちょっとしたスペースのサイズに合った本棚がほしいのですが、どこから手掛けたらいいのやら、です。
今日、日本人友達とクラフト専門店に行きました。初めてのお店です。ミシン、布地、クラフト材料、会津木綿、日本のものがたくさん売っていました。余りの多さにびっくり。価格は、3倍ぐらいです。
あー、ご自分でペイントされたんですね!文章見逃していました。「意外と手間をかけた」のはコンテナを作ったメーカーだと思って、業務用なのにと驚いたのですが、それが春さん夫婦なら納得です(笑)。ロールカーテンも手作りだなんてすごい!
Bluemoonさんのコメントに驚きました。オーストラリアで会津木綿を売っているんですね!
Bluemoonさん
じつはこれ、ある雑誌に載っていた写真です(笑)。当時はけっこういろいろきました。
アメリカで『シェーネル・ボーネン』というドイツの雑誌を、それはそれは穴が開くほど見つめていまして(笑)、カーテンはそこからのアイデアでした。
このころ棚とかつくったおかげで、NGOで働いていたとき、ちょっとしたスペースに棚をつくったりするのはいつも私の仕事でした。「芸は身を助く」というやつです。
ホームセンターに、材木など切ってくれるコーナーはありませんか?最初はそこで切ってもらったものを組み立てたらいいと思います。材木が手に入らないなら、合板でも切ってもらって組み立てられますよ。
hiyocoさん
アメリカにも手仕事があった時代です。すぐ近くに細い板を組み立てて、コンクリートの型枠にして、丸くて複雑な形の建物を建てている現場があったのですが、まぁ細かい作業で、見るのが楽しみでした。
もっとも一般アメリカ人はすでに台所が汚れるからと、大きなトレイにいろいろ入った「TVディナー」ばかり食べていました。揚げ物なんてとんでもない、台所は使わないに越したことはない感じでした。
日本もそうなりつつありますね。友人の建築家によると、「システムキッチンが欲しい」と我を通す人ほど、お料理しないそうです(笑)。
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