2025年4月18日金曜日

プーミポン・アドゥンヤデート王

昨年、10年ぶりにタイに行ったとき、持っていたタイのお金は全部使ったと思っていたのですが、引き出しの底から封筒に入ったタイのお金が出てきました。


タイのお金には、王さまの絵が描かれています。
ラマ9世、プーミポン・アドゥンヤデート王は2016年に逝去されたので、昨年タイに行ったときには、巷にはプーミポン王の息子であるラマ10世を描いたお札しか出回っていませんでした。
上のラマ9世の3枚は発行年が違うもので、一番下が一番新しいお札です。と言っても、一番上の20バーツ札以外は、私にはあまりなじみのないお札です。一番上のお札は、タイに住んでいたころ(それより後だったかな?いずれにしても1980年代)に新発行されたもので、この時から10バーツ札が廃止され、コインだけになりました。
もっともなじんでいたのは、一番上のお札と、10バーツ札もあったもう一代前のお札で、当時のお金はどれも手あかがにじんだよれよれのものでしたが、いまではきれいなお札、そして最新のお札は紙ではなくプラスティックの、ぴんぴんしたお札になってしまいました。

プーミポン王は若いころからまったく印象が変わらず、年齢不詳で有名でしたが、お札で比べると、違いがちょっとわかります。もっとも、一番下の偽札防止の金属線が入っているお札は、晩年のお姿ではなく、若かったころのお姿に直したものと思われ、印象が違います。王はいつもポーカーフェイスでしたが、これは年齢不詳の上ちょっと微笑んでいるようです。


この2枚は、タイの友人にもらった、古いお札です。
いつごろ使われていたものか、ネット検索してみましたが、わかりませんでした。何でもわかるというわけではないようです。


表情はそう変わらないけれど、プーミポン王はさすがにおさな顔、20代でしょうか。
王は、19歳の1946年から2016年まで70年間在位されていました。
古いお札には、縦半分に折られた折り目があるのが、タイのお札らしいところです。バスの車掌さんは、切符を切るハサミをカチカチ慣らしながら乗客の間を歩き回っているのですが、コインはお腹の前に垂らした袋に入れるとして、お札は縦半分に折って左手の指の間にいっぱいはさんで、ぴらぴらさせていました。しかしこのお札は使用されていた当時は高額だったはず、バスに乗る人(庶民)が持っていたかどうかは怪しいものですが。


コインの裏側(表側?)のプーミポン王のお姿は、左が一番古く、右へ行くにしたがって新しくなります。いまではもちろん、すべて新王の姿に変わっています。


おまけはプーミポン王の切手です。



普通切手はほとんど王さまです。



記念切手にも王さま登場です。
王はヨットとカメラが趣味で、新聞に載っている写真は、いつでもどこでも首からカメラをぶら下げていらっしゃいました。
下段の右は、若いころの得度姿の切手です。

今はどうか、昔は国立大学の卒業式には、王さまが学校に出向いて一人一人に卒業証書を手渡すので、王政に反対してきた学生たちでも、卒業証書を手渡されると、いっぺんに王さまが好きになってしまうという話も聞いたことがありました。








 

2 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

タイの王様の絶大なる人気は、日本人の私にはちょっと不思議に思えます。どこにでも写真が飾られていますよね~。
お持ちの古い紙幣は1953年から発行されたようです。
https://www.leftovercurrency.com/exchange/thai-baht/withdrawn-thai-baht-banknotes/10-thai-baht-banknote-type-1955/

さんのコメント...

hiyocoさん
ありがとう、さすがですねぇ!グーグルのカメラで写真に撮ったりしたのですか?
このお札は1953年から1975年くらいまで使われていたのですね。だったら、バスの車掌さんに縦半分に折られた可能性もきっとあったことでしょう。
王さまの人気の秘密は何だったんでしょうね?王妃や王子(現王)と三女のゴシップはよく人の口に上っていましたが、王さま(と長女、次女)の悪口は聞きませんでしたね。プミポン王の兄であるラマ8世が密室で不審死した時、殺害できる可能性のある人はプミポン王だけだったというまことしやかな噂はあったのだけど。
1980年代まで、地方都市に行くと午後6時に国歌が大音響で流れてきて、車も人も全部その場所にとまって、静止画面になって、国歌が終わるまで立ちつくしていました。もう車が増えたりしてそんなことはなくなっているでしょうけれど。