ホームセンターへ建築材料を買い出しに行った帰り道、夫が急におそばを食べたくなったと言い、帰り道に近いおそば屋さんに寄ろうと言いました。
「あそこは金曜はお休みよ」
「えっ、そうか?」
八郷にはたくさんおそば屋さんがあります。ネットが発達する前からほとんどのおそば屋さんはいわゆる「隠れ家」的な存在で、東京から来た友だちが、
「よくこんなところで商売が成り立つね」
と驚くほど辺鄙なところにあります。
ところが、ネットが発達し、ナビも発達し、つくば方面からのトンネルも開通して、一時どのおそば屋さんにも行列ができるようになりました。しかし、もともと11時ごろから、その日に打ったおそばがなくなる2時ごろまでしか店を開いてないおそば屋さんたち、高齢化が進んだ影響か、週5日開けている店はいい方で、週3日しか開けないとか、なかには不定期に長く休むおそば屋さんも多くなりました。夫が行きたがった店は、金、土、日、月曜と祝日がお休みです。
「まっすぐ帰ろうか?」
「おそば屋さんに行きたい。今日は眺めのいいおそば屋さんがいい」
「じゃぁ、「風」に行ってみようか?」
「そうしよう」
「風」には10年くらい前に行ったきり、5年ほど前に行ったときは閉まっていたので、やっているかどうかは定かでありませんでした。
と、「風」に行くと、暖簾が出ていました。
眺めはいいのですが、以前より近くの木が育って「下界を一望する感」は薄くなっていました。
新潟から移築したという古民家にかかる素敵な照明器具は、田植えのとき、からからと回して苗を植える位置に印をつける農具の「型つけ」を利用したものです。
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庄内米作り用具より |
「型つけ」は、庄内地方独特のものでしょうか。
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『たがやす』(須藤功編、弘文堂、1994年)より |
この型つけを回して押しつけた田んぼには、苗を植える場所がはっきりとつけられています。
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庄内米作り用具より |
ちなみに私はお米をつくっていた10年間、長辺には50センチおきに印をつけた紐を張っておき、短辺に印つきの紐を長辺に張った紐の印に合わせて張り、植え終わったらその紐を動かして、1列は短辺の紐に合わせて、もう1列は前の列との間に目見当で植えていました。岡山県倉敷あたりでやっていた方法です。
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『たがやす』より |
そしてSくんは、こんな型枠を使っていましたが、今では広い田んぼを借りているので、二条植えの田植え機を使っています。
田植えには、型つけの方法によって、前に向かって進む方法とあとずさりする方法があり、紐やSくんの使っていた型枠を使う場合はあとずさり、庄内の型つけの場合、印が消えないように前へ前へと進みます。
照明器具から、話が田植えに逸れてしまいました。
金、土、日曜日に営業している「風」は、野菜の天ぷらがかりっと揚がっていて、おそばも美味でした。
2 件のコメント:
こんにちは。いつも興味深く拝見させていただいています。
うちの方でも「型つけ」と呼ばれていたのかどうかは全く記憶にありませんが、同様の道具は茨城でも使われていました。幼少の頃に見た田植えの情景を思い出しました。とても懐かしいです。
Kuukkeliさん
コメントありがとうございます。
ブログを拝見させていただきました。フィンランドにお住まいとか、短い夏を、さぞかし満喫されていることでしょう。織物もやられているのですね。
私は、長く放置した織り機を活かしてやりたいということから、織物教室に通うようになったのですが、では織物にきちんと向き合っているかというとそうでもない、というかしっかり時間がとれない、取ってない。最近はすっかり諦めています(笑)。フィンランドでは糸綜絖をお使いですか?こちらはすっかり金属の綜絖になっています。
田植えの型つけは茨城でも使っていたのでしたか!では私が見た記憶があったのはこのあたりのミニ収蔵館だったのかもしれません。富山にも同型のものがあったそうです。田んぼは場所によって土質も水管理の難易度も違うので、この型つけが使えたところは理想的、とても田植えもやりやすかったのだと思います。新潟県も八郎潟を埋め立てたあたりでは超深田で、型つけなんか使えなかったでしょうからね。
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