八郷に来てから、十年ほどお米をつくりました。
残念ながら、身体が続かなくなり、昨年、借りていた田んぼを地主さんに返しました。
刈り取った稲は、最初の数年は、田んぼに稲架掛け(はさかけ)しました。
ところが、年を追ってだんだんイノシシが横行するようになり、前足で引っかけて、まだ湿り気のある田んぼに落としてしまうので、束ねた稲を家まで運んで、庭で干すようになりました。
五畝しかつくっていなかったので、家で様子を見ながら、家で脱穀する方がずっと楽でした。
その稲架を、このあたりでは、「はさ」、「はざ」とは言わず、「おだ」と言います。
おだ掛けのための「おだあし」は、間伐材の皮をむいて先を尖らせたもので、おだあしに渡す「おだ」はやはり、細くて長い間伐材です。
お米をつくりはじめたころ、お隣のたけさんに、
「どこかで、おだあしをもらえるかしらねぇ?」
とたずねたことがありました。
「さあ、なあ」
たけさんの返事は、曖昧なものでした。
近所には、おだとおだあしを、田んぼの脇に小屋掛けして収納していたり、納屋の梁の上にきちんと揃えて仕舞っている家が、あちこちにあります。
もちろん、今ではみんなコンバインで稲刈りして、すぐに乾燥機に入れますから、誰も、おだもおだあしも使っていません。
それでも、なかなかもらえないものだということが、なんとなくわかってきました。
昔の農機具は、誰の家にもほとんど残っていませんが、おだとおだあしは、先祖代々大切にしてきた、思い出も詰まっている、なにか特別手放しにくいもののようでした。
「うちの竹を使え」
というたけさんの言葉に甘えて、竹でおだとおだあしをつくって使って数年後、
「おい、おだあしを取りに来い」
とたけさんに言われて、言ってみると20本ほどおいてありました。
「どうしたの?」
「はくたさんに借りたんだ。持ってっていいよ」
「借りたんだったら、持ってっちゃったらまずいんじゃないの?」
「礼はしてあるから、かまわねえよ」
どうやら、何かの手を使って、たけさんが、私たちのためにおだあしを手に入れてくれたようでした。
やっぱり、間伐材のおだあしは使いやすい。
喜んで使っていましたが、設置しているときに折れたりして毎年減りました。そのため、相変わらず真竹を切らせてもらって足し足し、稲架掛けをしてきました。
そんなおだとおだあしを、もう使わないからと、片づけました。
でも、わずかに残っている間伐材のおだあしは、折れたり腐ったりしているものを除いて、何故か燃やすことができませんでした。
竹のおだとおだあしは、勢いよく燃えました。
中の空気が膨張して割れるときにたてる音が、大きく響きました。
2 件のコメント:
「竹皮の思い出」
竹の需要が極端に減った近年
どこも繁に任せておりますね。
昔は肉屋で包んでくれましたし、
竹皮に梅干しを入れてしゃぶっていましたよ。
六本木にも同級生の竹皮の問屋がありました。(昭和10年です)
昭ちゃん
本当に竹は優れものです。おだをつくるとき、私は一人で切りだしてきました。あんなに切り易くて軽くてまっすぐで、しかも重い稲束を十分受け止めるのだから、「竹がなかったらどうするの?」と思いました。あと前に書いたけれど、もし竹がなかったら、織物の歴史もきっと変わっていたくらい、竹の筬は、薄い布と切っても切れない関係にあります。
いま、竹がはびこって、無残な姿をさらしているのが残念です。カナダやオーストラリアの原生林を切ったり、原生林を切って植林したりせずに、竹でパルプをつくる方が、断然いいですよね。コストが高い?日本の山が救われるし、世界の原生林も残せるのだから、使う人も紙代が少々高くなってもいいと、考え方を切り替えなくてはなりませんね。
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