2016年1月28日木曜日

覆輪


砂糖壺の砂糖を使い切ったので、新たな砂糖を入れる前に、壺を洗いました。
文明開化のおもしろい模様に惹かれて、カンボジアのプノンペンで買った蓋ものですが、縁が欠けないように、真鍮の帯が巻いてあります。


中国からの移民が持って来た、あるいは東南アジアに定住した中国人のために、売られた清時代の焼きものには、ときおり真鍮を巻いたものがありました。
ずいぶん前からタイやカンボジアで見かけて、すっかり見慣れてしまっていましたが、もしかしたら、日本の焼きものには、こうした仕上がりのものは一つもなかったでしょうか?

陶磁器に金銀を巻くことは、覆輪(ふくりん)と呼ばれ、呉越国の貢陶を目的とした中で生まれたものと考えられています。
その技術は宋朝においても珍重され、太平興国3年(978年)に設置された文思院の管轄下の42の工房の一つ「稜作」で、宮廷容器の覆輪製作が行われていたことがわかっています。
官窯でおこなわれていた覆輪が、いつから民窯でもおこなわれるようになったかは不明ですが、以後、千年以上も絶やすことなく、技術が受け継がれてきたのでしょう。

素人考えですが、つなぎ目がないことから、真鍮板を輪に切り出し、叩いて焼きものに沿わせたものとおもわれます。叩けば割れてしまう磁器に、どうやってぴったりと沿う帯をつくることができたのか、はめることができたのか、考えてみれば不思議です。


砂糖壺にしている蓋ものには、蓋のつまみにも真鍮を巻いてあり、


糸敷にも巻いてあります。


間にゴミがたまったりしないように、ぴったりと巻いてありますから、職人さんの腕恐るべしです。


このお皿も真鍮が巻いてあります。


厚みのある縁なので、熟練した職人さんにはそう難しいことではなかったのかもしれません。


でも、この湯飲みは、もともと、ものすごく薄くできているので、


衝撃を与えればすぐ割れてしまいそうです。
こんな細い縁にあった、細い真鍮を巻くのは、とても大変だったと思います。


一つ、ずいぶん前に真鍮の輪が外れてしまいました。
口にするものですから接着剤で留めるというわけにもいかず、ほん陶さんのような修理してくれる人も知らなかった昔で、漆にかぶれるしで自分で修理するというわけにもいかず、そのまま直さないで何度か引っ越ししている間に、真鍮の細い輪は失われてしまいました。


いくら、薄く仕上げて、模様を丁寧に描いたので、割れて欲しくないと思った器でも、もう一手間かけて真鍮を巻くより、新しくつくった方がましだと、私なら考えてしまいます。
しかも、接着剤として漆も使っていません。ただ、巻いてあるだけなのです。






2 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 外を見たことがなく、外から日本を見たことがないので
日常生活品は興味深々です。
特に春さんの解説も、、、、。
 戦後アメリカ漫画「ブロンディー」に驚きと羨望を、
そして便利さの追求で失った物の多いこと年寄の考え過ぎかな。(笑い)

さんのコメント...

昭ちゃん
もともと、焼きもので金彩や銀彩の技術がないころ、縁に金や銀を巻いて、豪華に見せたい、あっと言わせたいという、王たちへの貢ぎものに使われた技術が、いつの間にか人々の中に降りてきて、質実な、長持ちさせるための技術に変わってしまったというのが、面白いですね。
プノンペンの市場の片隅に、金属細工屋さんがありました。いつ見ても見飽きません。細く切った金属をねじって細い針金状にしたものを曲げてくっつけて、透かした花にするのなんか、お見事としか言いようがありませんでした。
技術を人間国宝とやらにして保存しようとしているのは、もう末期症状としか言えませんね。