2016年3月20日日曜日

紙もの

つくば市北条の「矢中の杜」の守り人の一人であるいいじまさんが、「御殿まるごとマーケット」の案内状とともに、こいのぼりを送ってくれました。これで、いいじまさんからこいのぼりをいただくのは二度目、五月の節句が楽しみです。

さて、こいのぼりの箱の中には、「実家にたくさんあったから」と1959年の東京産業信用金庫のカレンダーが入っていました。


東京産業信用金庫を検索してみると、海苔の生産地大森で、海苔生産事業者を対象に、大正8年に設立されています。
そして、2002年に東京中央信用金庫と合併して、「さわやか信用金庫」として、今日に至っています。

この絵のお母さんの服装は、当時は誰もが着ていた、タイトスカートのスーツ姿です。スカートは今では廃れて、このあたりでは、学校の制服以外には、ほとんど見かけることもありません。
女性のパンツ姿は、ジーパンが市民権を得る1970年くらいまでは、ほぼあり得ないものでした。もちろん、農作業などに着るモンペはありましたが。


「おもしろい紋合わせあそび」という紙のおもちゃもいただきました。
この紋合わせは、販売促進用のおもちゃだったのでしょうか?というのも、紋というと誰もが思い浮かべるような、一般的な紋ではないものもあります。

下の段の三つは不思議な紋です。
「とつこ」とは何でしょう?
「しまだ」は、ほかの紋に倣うなら、「丸にしまだ」となるべきです。そして、「丸に仙」は、丸の中にどんな字でも入れることができるのに、なぜ「仙」の字なのでしょう?
これらが、会社名でも表しているのでしょうか?

また、一般的な上の段の紋も、「丸につる」は、「鶴丸(陰の鶴丸)」の誤り、「みます」は、「入れ子桝」の誤りです。
なんちゃって、せっかくいただいたのに、ケチをつけてしまいましたが、なぜこれをつくったのか、なんだか不思議だったからです。


貼ってある紙をめくって遊ぶらしいのですが、さて、どんなルールで遊んだものなのでしょう?


それにしても、たった二色、赤と青だけで、素敵に印刷してあります。
昔の印刷は、安く上げるために、少ない色数でどう表現するか、腕の見せ所だったのです。紙質も含めて、なかなか味があります。







4 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 懐かしい昭和34年のカレンダーです。
3月29日23:50分お助け1号が生まれました。
この時代から40年年代の東京は上京するごとに
驚きでした。

さんのコメント...

昭ちゃん
お嬢さんが生まれた年だったのですね。これをくださったいいじまさんも昭和34年生まれだそうです。
それにしても、このカレンダー、元号は入っていないのが気になっていました。当時のカレンダーとしては珍しかったのではないでしょうか。
東京はまだこの年くらいまではのんびりしていましたね。お台場はただのゴミ捨て場だったし、渋谷も新宿もあか抜けていなかったし。広尾、六本木と言えば、ただの辺鄙な場所でしもた屋ばかりだったし。私は花も恥じらう乙女でした(爆)。

karat さんのコメント...

カレンダーのお姉さん、懐かしいですね。
というのも、母の実家(大阪)のお嫁さん(母の弟のお嫁さん)が大体いつもこういう黒い上着を着ていました(イヤリングはしてませんが)。
母の親族は皆目が大きくて、大きな声でわーわー大阪弁をしゃべっていて、子供心に怖いくらいでしたが、このお嫁さんはやさしい目でおっとりとしゃべる方で、私は敬愛を込めて「黒姉ちゃん」と呼んでいました。1959年よりは少し前ですが、あー、懐かしい、と思い出しました。
しかも「さわやか信用金庫」。家の近くにあり、時間外の引き出しでも手数料を取られないので助かっていますが、「さわやか信用金庫」と何かの書類に書くたびに、こんな名前の信金ありかなあ…と思っていたもので、うれしいです。

さんのコメント...

karatさん
さわやか信用金庫の近くに住んでいらっしゃるのですか。私は存在も知りませんでした。東京に住んでいたときは近くの信用金庫も利用していましたが、合併統合されることになって、支店がなくなるので銀行に代えた覚えがあります。
当時の服は、身体にぴったりのものばかりでした。しかも、年齢にふさわしい服装と言うのもあったし。高校生くらいまでは、知り合いにつくってもらったりしていましたが、大学に入ってからは、友人に触発されて、見よう見まねで自分でスーツもつくっていました。『装苑』が、服づくりの友でした。今ではあんな袖つけの服、10分と着ていられないです(笑)。

でもこれ、お姉さんですかね?私はお母さんだと思っていましたが、そう言われてみればそんな気もする、さてどっちでしょう?お母さんだとエプロンしているかもしれない。お母さんはみんなエプロンをしていました(笑)。