墨壷は、大工仕事には欠かせない道具です。
かつて、墨壺なしには長い直線が引けませんでした。
使い方は、池(壺)に墨を含んだ綿を入れ、墨さしでおさえながら糸の先につけたピン(軽子、小さなキリ)をゆっくりと引っ張ると、糸車に巻き取られていた糸が壷の中を通って墨に染まりながら出てきます。そのピンを材木に刺し、ぴんと張った状態で糸をはじくと、長くて正確な直線を引くことができるのです。
コンクリートや石の上に線を引く場合、ピンは刺さらないので、一人が糸端を印上で抑え、墨壺を持ったもう一人が、糸を張ってはじきます。
こうやって遠く離れたところまで直線を引く道具は、古代エジプトで発明されましたが、墨壺、糸、糸車を一体化したのは、古代中国だったとされています。
墨壺は、日本には、中国文化とともに伝来しました。法隆寺に使われている古い木材に、墨壺を使って引いたと思われる墨線の跡があるので、七世紀ごろから使われていたようです。
正倉院の墨壷 |
日本に現存する最も古い墨壺は、正倉院に収蔵されているものです。
これはしかし、実際に墨壺として使われたのではなく、儀礼に使われたものだそうです。
東大寺に残されていた墨壷 |
こちらは、1879年(明治12年)に奈良の東大寺南大門が修復された折、その梁の上で見つかった墨壺です。大切な道具ですから忘れるはずがない、おそらく棟梁が一世一代の仕事をなしとげ、その証として、自分の代わりに墨壺にこの門を守り続けて欲しいとの願いを込めて、わざと置いてきたのではないかと推測されています。
鎌倉時代の、木匠を描いた絵に出てくる墨壷も、これと同じ形をしています。
墨壺は、かつてはそれぞれの大工が、創意工天しながらつくるものでした。やがてその中から「墨壺づくりの名工」と称えられる人たちが生まれ、明治28年(1895年)頃からは、墨壺を専門につくって売買されるようになりました。
墨壺をつくる職人は、たとえば、陽射しの強い土佐では、墨壷の墨が乾きやすいので、壷の入る池を深くするなど、それぞれの土地や流派ごとに工夫をこらしました。
1990年代に、レーザー光線によって直線を材木上に表示する装置がつくられ、販売されるようになると、墨壺の利用は激減しました。とはいえ、まだまだ昔ながらの墨壺を使って仕事をしている大工さんたちもいます。そして、一点一点、木を彫ってつくる墨壺の代わりに、安価なプラスチック製の墨壺が多数出回っています。
池の周りに鶴亀を配した伝統的な形の、我が家の墨壺と墨さしです。
まるで、木目がよく出たケヤキ製に見えますが、じつはプラスティック製です。
新型の墨壷も使っています(手入れが悪いけれど)。
どちらも、毎日使っていないで、ときおり使おうとすると、線がかすれて見えなかったり、インクがどぼどぼこぼれたり、糸が切れたりと、なかなかいうことを聞いてくれません。
墨壺に、さまざまな工夫をこらしたのは日本だけではありませんでした。東南アジアでは、竹でつくられた墨壺や、水牛の角でつくられた墨壷など、その土地固有の墨壺が、各所に見られます。
そしてこれは、インドネシアのロンボク島の、木彫りの墨壺です。
織物コレクターのOさんが、20年ほど前にロンボク島を訪れたとき、
「倉庫を片づけていたら、40年ほど前に亡くなったおじいちゃんがつくった墨壺が出てきた」
と言われて手に入れたものだそうです。
未使用ですが60年くらい前のものになります。
イノシシの子どもかネズミかわからない動物が蓋になっていて、
その下が池になっています。
獅子が先頭を走り、しんがりはイノシシが固めています。
針のついていない軽子は、たぶんイノシシの牙でしょう。
おそらく、インドネシアではピンを材木に刺して印つけをしなくても、糸の先端を持って押さえてくれる弟子や手伝いの子どもなどがたくさんいて、不自由しなかったのではないかと、考えられます。
糸を巻く取っ手は、太い釘を利用して、曲げてつくってあります。
大きな釘は、なかなか利用価値が高いものです。
糸巻きが小さいので、糸が糸巻きから外れやすいのが欠点ですが、さすがインドネシアの木匠のつくったもの、見事な彫りです。
8 件のコメント:
春姐さん現役時代よく使いました。
鉄鋼関係なので広い鉄板の切断に墨壺は欠かせません。
白粉に粉末ゴムのりを混ぜてポンチ跡の線引きで
屋外でも線が消えません。
長広い鋼板なので直角はコンパスで出し
丸ものやパイプ類の歪が取れれば一人前ですね。
昭ちゃん
大工仕事だけではなかったんですね。
鉄鋼では墨や朱というわけにいかなかったので、白線だったのか。どこにも工夫がありました。
鉄鋼で怖いのはビスの締め忘れだったでしょうか?私たち、コンクリート打ちの仮枠をつくっていたとき、仮枠を絞めたり、鉄パイプを絞めたりするのですが、たいてい一つくらい締め忘れがありました(笑)。仮枠ですからどうってことありませんが、鉄骨造りなど、危ないです。鉄工所で、最近は締め忘れを防ぐために、締まったら頭が取れて落ちるようになっていると聞きましたが、その鉄工所も随分前に廃業してしまいました。
個人の大工さん、製材所、鉄工所などなかなか立ち行かないご時世です。
春姐さん昭和50年代以降大手では
名人芸は通用しなくなりました。
あの素晴らしい高所のリベット打ちも、、、。
新人教育では
「本人の適不適をこちらが考える」
俺の茶碗は落とさせない・自分で考えろ
お前の組んだ足場なんかにのれるかー
全部言われましたが今は口に出されません。(大笑い)
昭ちゃん
ビスでなくてリベットでしたね。
先日若い大工さんと、プレカットの是非について話す機会がありました。彼に言わせると、プレカット屋反対、プレカットをしていると大工の技術が落ちるというのです。私たちにはプレカットはありがたかったけれど、確かに大工さんの腕は落ちます。
私たちが頼んだプレカット屋さんには熟練の大工さんが何人もいて、機械でできないところは手で刻んでくれたのですが、確かにあと30年もして、その熟練の大工さんたちがいなくなり、機械と数字を読むだけの人になったら、大変かとも思います。
今日では、技術の継承は大変ですが、それでも私の周りには手刻みできる人、ちゃんとした技術を習得したい人がいっぱいいて、希望が持てます。瓦屋さんも左官屋さんも頑張っています(^^♪
ロンボク島の墨壺、凝ってますね!2頭の獅子が迫力あります。でも糸がちょっと太くないですか?弾いたときにブレそうな。。。
hiyocoさん
素敵でしょう?
糸の太さはこれくらいでいいと思います。かなり強く引くので、細い糸だと切れてしまいます。
でも、どうして墨壺は、機能だけでなくて「遊び」が入っているんでしょうね。インドネシアやインドなんかでは、道具に遊び心が入っているのは当たり前かもしれませんが、日本でも遊び心が入っているのは、とっても面白いです。
子供の頃、家の増築をするので大工さんがしばらく来ていたことがあります。その時一番上の絵のような墨壺をみて、子供心に凄いなと思い、その独特の形に惹かれて、特別なものだという印象があります。
今でも皆さん使っているのでしょうけど、この辺の新築は全部、すでにカットされた柱とかが運ばれてきて、トントントンと組み立てていくだけで、墨壺なんか見かけなかったです…。
ロンボクのはいいですねー。遊びすぎ、懲りすぎですが…。これから油とかつけて磨く予定だったのでしょうか?
木製に見えたプラスチックの鶴亀のも、もとは木製のがあったのでしょうね?
karatさん
鶴亀の木製の墨壺は、まだ一般的に市販されていますよ。ただ、手で彫ったものとなると値段が張ります。もしかしたら機械彫りもあるのかもね。安めのものもあります。
ロンボクのものは、油をつけて磨いたりはしないでしょう。使えば墨と手垢でどんどん艶が出てきますが、いまでも艶があります。
この辺りでも、地元の人が建て替えると、たいていはハウスメーカーの家になってしまいました。墨付けなどしないですね。
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