お借りしました |
「えっ、これ見たことがある。確かうちにあったけれど、長く見てない!」
重いもの、大きいもの、いろいろ捨てずに引きずってきた人生ですが、長い人生の中では、大きい家から小さい部屋に越すなど、ものを手放す契機になる時が、時々やってきました。
大きなインドの牛乳缶、ガーナで暮らした時に使っていた楕円の洗濯用たらい(子どものお風呂になるほど大きなもの)などなど、とても収まり切れないものは、処分してしまいましたが、この計量カップとは知らなかった重いくてごつい筒も、もしかしたら処分してしまったかしらと、その時は思いました。
さて、このところ、織り機の部品がないかと、時間を見つけては地下室の片づけをしています。
ある日、地下室に置いたタンスや衣装ケースの陰に隠れて、この計量カップが床にぽつんと置いてあるのが見つかりました。
たわしでごしごし洗ってみましたが、錆びは落としきれません。かといって、金ブラシを使えば、傷がついて鉄肌が損なわれそうです。
帯の間にはめてある小さな飾りは、鉄ではなく、真鍮やブロンズなので、できたときはぴっかぴかに光って、きれいだったはずです。
アンタイディーの計量カップは、背の低い方が直径11.3センチ、背の高い方が直径7.7センチとありましたが、これは、直径11センチ、高さは15センチと、一回り大きなサイズです。
マダガスカルの市場 |
穀物や豆、スパイスなどを計り売るには、かつては缶詰の空き缶が適当でした。実際、アフリカやアジアのいろいろな国の市場で、空き缶が使われているのを見ました。
例えば、ガーナの市場でお米を買うときは、
「5杯ね」
と頼むと、空き缶で5杯計ったあと、最後にちょっとおまけしてくれるという感じでした。
それなのに、こんな手づくりの計量カップを使っていたということは、まだ庶民には空き缶が容易に手に入らない時代につくられたもの、となると20世紀初頭、まさかそんなに古いものでしょうか?
物差しやストーブ周りの小物たちを収めるには、すでにインドの、バケツを使っています。
インドの鉄はずっしり重くて、長いものを安心して差しておけます。
こうして比べてみると、新しいものにも古いものにも、それなりの鉄肌の良さがあり、改めて鉄って素敵だなぁ、と思ってしまいます。
6 件のコメント:
いろいろな匂いと雑踏する市場はすっかり
絶えてしまいましたね、
ハエとりリボンや蚊取線香の煙が流れ
おつりが入った笊も、、、
昔が良いとは言いませんが
この写真からの連想です。
昭ちゃん
声を大にして行ってください!昔はよかったです(^^♪
レジが導入され始めたころ、八百屋さんの店先で買いものすると、わざわざそれを持って奥のレジまで行かなくてはならず、笑ってしまいました。
お釣りの入った籠は複数ぶら下げてあったので、その場で対応できましたね。値段はついていましたが、お客の顔を見て、下げることもできたし、おまけすることもできた。どこにでも触れ合いがありました。
姐さんスーパーでも音がなくなりました。
我が家の近所でも新聞配達から郵便やさん通学時間になれば
集団登校の児童次は中学生
六年で教えた子供たちが中学になって
「昭ちゃん先生ー」っと、、、、
ひっそりとした住宅街です。
昭ちゃん
タイやカンボジアでは、値段の張るものは値段交渉しますが、野菜や魚などは、言い値で買いました。
でも、ガーナの場合は、キュウリ数本でも必ず値段交渉、「もういいわ」と歩き始めると、「マダム、マダム」と追いかけてくるという図式で、かったるいといえばかったるい(笑)。いつも会っているんだから、最初から落としどころはわかっているだろうと思うのですが、毎回このやり取りをしました。
キュウリでしてナスでして、玉ねぎでしてトマトでして。でも当時はこちらも時間がいっぱいありましたから、今となってはいい思い出です(笑)。かな?
こんな話も、、、
少し行ったら同じものが安かったので文句を言ったら
「ユァ プライス ノー トラブル」だって
面白いですね。!!
昭ちゃん
ははは、どこでも行きずりの人は「カモ」ですよ。仕方ないですね。
まぁ、お得意さんでない人からは、少しでも高くせしめられたらラッキーですから。それって、よく考えれば、人間の情じゃないですか。私だってよく知っている人なら安くしたり、おまけしたりしちゃうでしょうね(笑)。
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