2019年2月24日日曜日

箪笥の中

母が、妹と同居するために家の整理をしたとき、箪笥を、着物入りのまま譲り受けました。
幸い、箪笥は我が家の小さなウオークインクローゼットの奥にぴったり収まったので、中も見ずそのままにしていましたが、周りがあまりにも散らかってきたので、衣装箱に入れてある私の着物や夫の母の着物も、この箪笥の引き出しに移せないかと、ちょっとだけ整理してみました。

引き出しの中にの着物は、おもに母のものでしたが、父の着物も、普段着ではなさそうなのが入っていました。
父は私が高校生のころまで、勤めから帰ってくると着物に着替えていました。だから普段着は見慣れていましたが、父が改まったときに着物を着たのを見たのは、祖父の葬儀のときだけでした。
そのときは黒ではなく、確か裃のついた生成りの麻の着物でした。


わりと薄手の絹の袴と、縮緬の袷の着物です。
いったいどんなときに着るのか、また父が着たことがあったかどうかも知りません。


一緒にあったのはなんとも派手な長襦袢。
地味な服装をしていながら、中にこんな派手な長襦袢を着ていると思うと、おかしくなります。


一緒にしてあったけれど、女物かもしれません。


いまでも、男物の長襦袢というものは、派手だった伝統を受け継いでいるのでしょうか?


これは、二本足のカラスの模様です。
ということは、三本足の八咫烏ではなくて、明烏なのでしょうか?


女物の長襦袢も、派手さにおいては負けてはいません。


たとう紙を開いてみると、見たことがない藍染の着物(右)が出てきました。
左は、母から勧められて、ゆうちゃんに織ってもらった私の着物です。
ゆうちゃんは、倉敷の祖母の家の近くに住んでいましたが、お父さんが長期に入院するなど、あまり幸せではない子ども時代を送っていました。そして、中学を卒業すると家を離れて、鳥取の弓浜絣の織り元に織り子として住み込み、弓浜絣を習得していきました。
そんなゆうちゃんを応援しようと、母は私の着物を注文したのですが、母も弓浜絣の着物を持っていたとは知りませんでした。
私は何度も着ましたが、母は着たかどうか、たぶん一度も着なかったのではないかと思われます。


おや、ゆうちゃん、糸目が飛んでいるよ!
母はこれを注文したわけじゃなくて、もしかしたら練習で織ったのを譲ってもらったのかもしれません。


羽織と言えば、小学校の入学式で、お母さんが着物の上に黒紋つきの羽織を着るのが流行っていた時代がありました。祖母の年代の方たちは羽織を着ていましたが、母や私の年代では、入学式以外に、ほとんど羽織姿を見ることはなかった気がします。
仕事をしていた夫の母は、普段は洋装でも仕事着はすべて着物でした。しかし、そんな母が羽織を着ていたのを見たことがあったかどうか、ほとんど覚えがありません。
しかし、私の母が結婚のために着物をそろえてもらったころは、羽織を着るのは当たり前だったのか、黒紋付をはじめとして、羽織はいくつかありました。
当時の流行か、この羽織は下前が少し下がっています。襟を抜いて着ると、裾がまっすぐに見えたのでしょうか。

着物も大柄、その上に着る羽織も大柄、戦時中というのに、なんともド派手でした。







12 件のコメント:

af さんのコメント...

凄いものが出てきますね。傷みは出てなかったですか?昔は襦袢用の反物はなく、古くなった薄物を長襦袢に仕立て直すと聞いたように思うので昔の襦袢は派手なものが見られるのかなと思っていたのですがどうでしょうか?
また、昨晩、実家で母の友人を迎えていました。で、その方は今は志摩にお住まいで、剣舞を習っておられているので、男着物の話になりました。で、男羽織は内側よ!という話でした。外見は型を外さず、内側に個性を出すのがたのしみだったのでしょうか…

さんのコメント...

Akemi Fujimaさん
男物の羽織の裏が粋だったというのは確か、とても面白い絵柄が残っているようです。
表を華美にすることは許されませんでしたが、裏は見えないのでどんなにも凝ることができた、しかも羽織は人前で脱ぐと、ちらっと見せることもできたというので、男の羽織裏には奇抜な模様や贅を凝らしたものがたくさんあります。我が家には、そんなたいしたものはまったくありません(笑)
母の着物は、物がない時代にお茶の師範をしていた叔母が探してくれたものとか、今でも着られるようなものは、とっくの昔に私がもらって、若いころ着ていました。箪笥に残っていたのは、母自身があつらえたものや、古いのでは銘仙の普段着などです。
女物の長襦袢は確かに薄物をなおしたのかもしれませんね。つぎはぎのもあるし。でも男物の長襦袢は、祖父の長襦袢などもなんとなく覚えていますが、着物として着た薄物をなおしたとは到底思えない大胆な絵柄でした。長襦袢が派手というのも、表の華美が禁止されていた反動だったのかもしれません。

昭ちゃん さんのコメント...

祖父の代から受け継いだ「太物商」だった父は
廃業するまで着物で通しました。(昭和15年まで)
男のお洒落は見えないところ裏地に凝ることだって、
でも卒業式の着物姿は恥ずかしいの一言です。

さんのコメント...

昭ちゃん
太物商だったら、そうなりますね。今の呉服屋さん、なかなか商売も難しいと思いますが、和服で通していらっしゃる方も知っています。
父の世代まで、外では洋装でも家に帰って着物を着たらやっと落ち着く男ばかりでした(笑)。
夫の母は明治生まれでしたが、長い間洋服姿を見ることがありませんでした。事務所の一角に暮らし夜でもそれを知った人が訪ねてくる暮らしだったからです。ずいぶん経って居住を別にしてから(そのころまで、都心にはマンションもありませんでした)初めて洋服を着た姿を見ました。
着物もさっさと着て楽そう、粋でしたよ。

昭ちゃん さんのコメント...

時代考証を考えたら笑ってしまうドラマばかりで
襟の広がりは水商売ですよね、
 着物姿で長火鉢の前、カッコいいバイ
誰でもとはいきませんが母の伯母などは
最高でした。子供心に、、、、

さんのコメント...

昭ちゃん
この頃は朝ドラを見ていないので、時代考証をしないで生きています(笑)。
母に嫁入りの着物を選んでくれた叔母も粋でしたよ。さっぱりしたしもた屋に住んでいて、80歳過ぎても雨の日は、「わっ」と思うような高下駄を履いて、走るように歩いていました(^^♪

昭ちゃん さんのコメント...

姐さん戦後聞いた話ですが
アメリカ人が真っ先に買い占めた骨董品は
「長火鉢」だったそうで
逆輸入で儲けたとか。

さんのコメント...

昭ちゃん
そうでしたか。
その昔は火鉢は必需品、中でも欅の長火鉢は素敵でしたね。
でも、私は丸い火鉢で育ちました(^^♪

昭ちゃん さんのコメント...

子供心に京橋の叔母はかっこ良かったですよ、
いつでも燗がつけられるし灰ならしが珍しく引き出しには
祝儀袋があり後ろには神棚と明治からの職人生活でした。
 戦後はすべて○○工務店ですからね。笑い

さんのコメント...

昭ちゃん
コメントが遅くなってごめんなさい。
確かにキセルを吸う年増女性はかっこよかったですね。今はテレビドラマにタバコを吸う画面が出てきても苦情が殺到するとか、では刀を振り回す人にはどうして苦情を寄せないんでしょうね。
農薬を使って育てたタバコと、農薬を使わないで育てたタバコの害の違いをを厳密に区別した方がいいと思います。

昭ちゃん さんのコメント...

姐さん刀を抜く前に
まづ袴を履くことだそうです。

さんのコメント...

昭ちゃん
はっはっは。わっはっは。
昔の人がタイムスリップしてきたら、もう間違いだらけで我慢できないかもね(^^♪