2019年11月24日日曜日

『わた史発掘』

人生の先輩昭ちゃんに勧められた、小沢昭一の『わた史発掘』(文春文庫、1987年)を読みました。


かなり長い文章ですが、まず、原稿が手書きだということに驚いてしまいます。ちょっと前の人たちにとっては、原稿は手書きが当たり前でしたが、今の私は絶対無理、無理。長文はおろか、短いメモさえ、なかなか手では書けません。
『わた史発掘』を読むきっかけとなったのは、子どもたちの遊びの数々を知りたいからということでしたが、遊びを紹介してあるページはほんの僅かでした。
それでも、たくさんの遊びが紹介されていて、小沢昭一さんとは時代も場所も違うとはいえ、私も経験した遊びがほとんどでした。


しかし、昭ちゃんも遊んだという「どこ行き」という遊びは知りませんでした。
円の中に仕切り線を引き、いろいろな場所などの名前を書いて、石けりを投げて石けりの落ちたところに書かれた場所に行かなくてはならないという遊びです。
運動会の借り物競争とちょっと似ているでしょうか、今でもみんなで楽しめそうな遊びです。

『わた史発掘』を読み進むにつれて、1960年代に芸能の世界で活躍していた懐かしい名前がいろいろ出てきました。というのも、小沢昭一さんの麻布中学・高校の同級生は多彩で、十代から一緒に芸能活動をした仲間に、加藤武、フランキー堺、なだいなだ、中谷昇、大西信夫、内藤法美、神津善行などがいたからです。

じつは私、高校の時に演劇部に入っていました。お恥ずかしいことですが、文化祭か何かで演劇部の劇を見て、すっかりその気になって入部したのです。
講師は、当時はまだ無名に近かった文学座の小池朝雄さんでした。小池さんがどうして演劇部の講師になってくれたのかは知りませんが、無給にもかかわらず、2週間に一度くらい高校に来てくれていました。
上演日が近くなった日曜日に、千歳烏山にあった小池さんのお宅に伺って稽古したこともありました。千歳烏山のあたりにはまだ、田園が広がっていました。
「ハムレット」を上演したときは、文学座に衣装を借りに行くなど、何度も信濃町にあった文学座に行く機会がありました。文学座の喫茶室で小池さんと打ち合わせをしていると、周りには、『わた史発掘』に出てくる加藤武さん、中谷昇さん、北村和夫さんなどがいらっしゃいました。
ほかにも、加藤治子さん、岸田今日子さん、賀原夏子さん、高橋昌也さん、名古屋章さん、杉村春子さん、三津田健さん、宮口精二さんなどテレビや映画でお見かけする方が、すぐ隣に、普通にいらっしゃるのが不思議でした。名古屋章さんは小池さんと一緒に高校に来てくださったこともありました。
また、文学座の公演があるときは見に行って、楽屋まで訪ねていたので、彼らの演じた後の興奮の残っている姿をお見かけすることもありました。

やがて、テレビの中に小池さんをちょくちょく見るようになりました。実際はとても穏やかな優しい方でしたが、彼の役はたいてい、主人公をこれでもかといじめるような悪者とか、気持ち悪い変質者などでした。そのため、高校生の私たちは、悪役を演じる人には優しい人が多いということを学んだりしたのでした。
まもなく文学座は分裂、「劇団雲」に加わった小池朝雄さんは忙しくなり、講師としては俳優の三谷昇さんや、演出の水田晴康さんらが来られるようになりました。そして私は、高校3年生になったのを機に、演劇部からはまったく遠ざかって、それきりになりました。
小池さんはその後、「刑事コロンボ」の吹き替えで大ブレイクされ、悪役でない役もやられていましたが、惜しくも若くして亡くなられてしまいました。
そんなことが、久しぶりに思い出されました。

さて、『わた史発掘』の中で、若干16歳で海軍兵学校予科に入学した小沢昭一少年が、忙しい生活に追われながら、就寝前のほっとするひと時、富山の製薬会社の社長の息子が持ってきた「神薬」なる甘い薬をぺろぺろ舐めていたというくだりも面白いものでした。

また、相撲少年だった小沢家に来てくれたという関取の「鯱の里」は、とても男前だったと書いてあったのでネットで調べてみました。


いやはや、写真が見つかりましたが、鯱の里は本当に男前でした。

というわけで、懐かしいことを思い出させてくれた、『わた史発掘』でした。





14 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さんもう一冊私のブログみてー!!!

karat さんのコメント...

おはようございます。
以前の石けりの図ではいまいちピンとこなかったのですが、この〇が重なった石けりの図に、これこれ!と思い出しました。今見るとどうということもないのですが、子供の頃にはそれなりに難しくて面白かった覚えがあります。友達の家の土の庭に、枝で線を引いて遊んだものですが、今ではそこに家が三軒建っていて面影もありません。

さんのコメント...

昭ちゃん
私、昔のこともけっこう書いていますが、どっちかと言えば昔のことなど全然気にしていないタイプです(笑)。
でも、昭ちゃんが勧めてくださる本は文庫だし、古書は1円だし、『絵のある自伝』も読んでみますね。

さんのコメント...

karatさん
私は〇が重なった石けりはやったことがありません。小沢昭一も東京ですから、〇が重なったのは関東地方の石けりだったのかもしれませんね。
私はもっぱら長四角い枠でした。かなり大きく描くと、けんけんで飛ぶのが大変でしたが、その季節になると、夢中でやっていました。
あのころは、どこにも土がありました。農家の庭は、真ん中には木も植えず草もはやさず、まっ平らでつるつるでしたから、石けりをするにはうってつけでした。農家の庭はいわば作業場、筵を敷いて大豆などを乾したりするために日本国中にありましたが、乾燥機などができて、みんな木を植えたりして何もない庭は失われました。
「雨が降るのにそんなつるつるの庭を保つなんて不可能じゃないの?」と見たことのない人は思うかもしれませんが、見事に何もなくて平らでした。
日本では、こんな庭が消えてしまっても、バングラデシュの農村に行くと、今でもつるつるの、草一つない、芸術品のような庭をいたるところで見ることができます。

hiyoco さんのコメント...

「つるつるの庭」ついでに。春さんオススメの「塗り壁が生まれた風景」だいぶ前から読んでいますが、一番最初の「津久見の三和」のページで、庭を叩きしめているのが不思議だったのですが、農作業のためってことでしょうかね?
私は読むのが遅い上に、左官技術用語を確認しながらなので、やっと3分の2です。あんなに絵ばかりなのに(笑)。先日TV(ブラタモリ)で秋田の天然アスファルトを見た後に、屋根や壁に天然アスファルトを塗るあぶらかけのページを読んでタイムリーでした。

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さん昭和8年前後我が家の家作に相撲茶屋のおかみさんが越してきましたその時おかみさんと鯱の里・付け人の「豊田」が挨拶にきました。
天竜脱退事件後角会を盛り揚げた一人です。
髷を初めてみました。

さんのコメント...

hiyocoさん
あっ、『塗り壁の生まれた風景』は、元の原稿を縮小したせいか、手書きの文字が濃淡もあってちょっと読みづらいですよね。ゆっくり読んでください(^^♪
私が小さいころ(というか、大学生だったころまでも)、どこにでも「つるつるの庭」があったので、当たり前すぎてどう手入れしていたのかなんて知ろうともしていませんでしたが、今考えると、草が生えていない、平ら、水はけがいいなど、保つために不断の努力をしていたのだろうと想像できます。
草を掻き取る「草掻き」の存在も重要だったのでしょう。祖母の家は農家づくりではなかったので「つるつるの庭」はありませんでしたが、草掻きはありました。
ブラタモリ、オンデマンドで見てみます。最近、登録しました(笑)。

さんのコメント...

昭ちゃん
えぇぇ、鯱の里を見たんですか!小沢昭一さんもびっくりですね。
天竜脱退事件なんて知りませんよ(笑)。
私が小さいころ、テレビができて、テレビを買う家が出てきて、遠くの村の見ず知らずの人の家にまでテレビを見に行ったことがあります。たしか相撲の中継だったと思いますが、すごい人だかりで、覚えているのはその家のおばちゃんの得意そうな顔だけです(笑)。
高校生のころか大学生のころか、父が会社でもらってきた相撲のチケットを無理やり押しつけるので、何度か一人だけで蔵前に相撲を見に行きましたが、それ以来、行ったことはありません。マス席でしたよ。猫に小判でしたね。今だったら行きたいのになぁ(笑)。

Bluemoon さんのコメント...

ブログもコメントも楽しいですね。石けりは前のブログに載っていた三角帽子の案山子ですけど雀取りは同じ形でしてましたよ。一羽も取ったことがないです。祖母が子供の時に「いたちとっとこと出てこい男前」と言いながらいたち探しをしたというんです。こう言うと出て来ると言うので、私も真似て神社でいたち探しをしましたが一匹も出てきませんでした(笑)。

春さん、高校は演劇部だったんですね。何と豪華な環境なんでしょう!中学の時に演劇部でした。高校では運動部に入りましたが。希望職は舞台美術家だったんです、出来ればミュージカルの。よくこんな求人のない分野を目指したなぁ、今は思います。

さんのコメント...

Bluemoonさん
スズメはすばしっこくて獲れませんよね(笑)。
小さいころ家の裏の用水路の側でイタチと目が合ったことがありました。それきりイタチは見たことがなかったのですが、八郷に来て散歩していたら川のそばで一度見かけました。かわいいです(^^♪

高校生時代って、子どもから大人になる境目の時代、お金はないし、初めての電車通学はきついし、充実した一日を過ごすというより、いつも「何か楽しいことはないかなぁ」と探しても何もなくて一日が長い感じ、つまらなかったなぁと、封印気味でした。でもこの本を読んでいたら、当時にも楽しみはあったことに気づきました(笑)。
そう懐かしくはないけれど(爆)。

kuskus さんのコメント...

小学生の頃、兄と仕掛けを作ってスズメ捕まえました。
ザルより素早く落ちるように、リンゴ箱の上に石も乗せたりして(笑)。
捕まえたスズメの足にストローを短く切ったのをはめて逃がしてやるんですが、
何度も捕まるヤツがいて、4つくらい足輪をはめてたり。
スズメは学習しない生き物なんだなーと思いました。
もっともスズメの方にしてみれば、子供の遊びですぐ逃がしてくれるのが分かってるので、
ちょっと捕まってもエサを食べられる方が得策と思ってたのかもしれませんね。

Bluemoon さんのコメント...

kuskusさん、こんにちは。可笑しいですね~、足輪4つ雀(笑)。私が雀だったら足輪付いてますね、きっと。

さんのコメント...

kuskusさん
えぇぇ、実際に捕まえたのですか?一度も捕まえたことがありません。
山に行けばマツタケを見つけるとか、すぐクワガタを捕まえるとかすばしっこい子はいたけれど、私はとろ~んとしていたのかもしれません(いました、笑)。
スズメはありふれた鳥だけどかわいいです。とろいのもいたでしょう。近年減っていると言われていますが、昨日も車が近づいたらさっと群れで飛び立つのを見て、「頑張れよ!」と声をかけました(笑)。

kuskus さんのコメント...

その当時住んでた家には内庭みたいなのがあって、そこに仕掛けておくと
TVのチャンネルを変えるのに立ち上がったりトイレに行くときに様子が見えるので、
ずっと見張ってなくても良かったんです。
両親も「あ、今中に入って行ったよ」とか「もうちょっと奥に入ってから」とか、一緒に
楽しんでいました。
もちろんヒモを引っ張るのは子供だけのお楽しみでしたが。
野山を駆け回ってたすばしっこい子ではありませんでした。(笑)
Bluemoonさんみたいに私もスズメだったら足輪が付いてたくちです。