2024年12月2日月曜日

小さなマトリョーシカ


骨董市でまことさんの店のおもちゃ箱の中に、小さなセミョーノフのマトリョーシカがありました。色もそう褪せず、4個組で揃っていました。
値段を訊いたら、
「あげるよ」
だって。
「わっ、ありがとう!」
いただきました。


このマトリョーシカが欲しいと思った決め手はラベルです。私自身は、値札とかラベルをすぐはがす人なのですが、マトリョーシカはラベルが残っていると時代がわかって嬉しいものなのです。
マトリョーシカ ノート3』によると、このラベルは1960年代から80年代まで使われました。マトリョーシカのサイズが小さいのでおそらく1980年代のもの、1985年にはつくば科学博があり、ソヴィエト館にはたくさんのマトリョーシカが並んでいたのを覚えているので、そのときに日本で売られたものかもしれません。


同じラベルのと、似たラベルのマトリョーシカです。
右のマトリョーシカは、「MADE IN USSR]の下にマトリョーシカの絵がついたスタンプが押されていますが、上に貼ったラベルでマトリョーシカが半分しか見えていません。


こんな感じのスタンプです。


ちょっと大きいサイズの左端のマトリョーシカは5個組、小さい2体は4個組です。


5個組は2番目の娘も、それなりにていねいに色づけされています。そして、一番小さい娘を除いて、プラトーク(スカーフ)には、セミョーノフの特徴である渦巻き紋が施されています。


以前、息子がくれたマトリョーシカ。


こちらは、3体のプラトークに渦巻き紋がついています。


新入りのマトリョーシカは、渦巻き紋が、なぜか2番目の娘だけについています。


一番大きい娘に渦巻き紋をつけるのを忘れたのかもしれません。
当時はいろいろ分業だったはず、一組のマトリョーシカも、何人もの手でつくられました。


セミョーノフの最大のマトリョーシカは、高さ100センチ、幅50センチもあり、72個組になっているそうです。
それだけの数がピタッと収まるなんて、もはや神業です。





 

2 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

このマトリョーシカが一番目に馴染みます。うちにあったのかも。

さんのコメント...

hiyocoさん
マトリョーシカと言われて思い浮かべるのはこれですよね。かつて、つくば万博が開かれたとき、ちょうどスリランカの人が来ていて行きたいというので連れて行きました。科学博は1,000個(1万個?)も生るトマトとかが目玉でしたが、覚えているのはその人と一緒に食べたスリランカのゴタンバロティがおいしかったこと、セイシェル島のオオミヤシの実が1つ6万円で売られていたこと、そしてソ連館に30cm以上ある大きなセミョーノフのマトリョーシカがいっぱい並んでいたことだけです(笑)。
hiyocoさんちのマトリョーシカはどうなったのでしょうね? ご実家にはアイヌのクマの木彫りもいませんでした?(笑)