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焼きもの屋さんの古道具コーナーに、吉野の杓子がありました。
もう誰もつくる人がいなくなっている杓子で、2つとも欲しいと思いましたが、大きい方は長さが36センチ、調理用には悪くない大きさですが、食卓で使うにはちょっと大きすぎます。
調理用の杓子はたくさん持っているので、迷いましたが、小さい方だけ購入しました。
木杓子はアルマイトの杓子が普及して需要が減り、吉野の山中に住む木地師さんたちは次々と廃業、長く新子薫(あたらしかおる)さんお一人が杓子づくりを続けられていました。
これは、薫さん作の杓子でしょうか? それとも吉野に住んでいたほかの木地師さん作のものでしょうか?
昭和初期には奈良県吉野郡の大塔町などに100世帯以上が住み、木地師を生業としていていました。1日100本以上つくらないと、一人前とはみなされなかったそうです。
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『生成りの造形』より |
杓子の材質はクリの木で、クリを求めて木地師さんたちは山を転々としましたが、戦後、杉やヒノキの植林が国を挙げて奨励され、自生しているクリの木が少なくなり、このことによっても木地師さんたちの仕事は狭められました。
木地さんたちは、1950年代までクリの木を斧で倒し(50年代以後、チェーンソーを導入)、縦挽き鋸を使わず、玉切りした丸太を鉈で木取りしました。
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同上 |
ざっと木取りしたものを、木取り鉈を使って、荒型(右)にします。
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同上。ウチグリ |
それを、ウチグリを使って、内側をえぐります。
食卓で使うならの、「のし杓子」の大きさが一番いいのですが、この杓子も悪くありません。
色はついていますが、角がほとんど取れてないので、実際には使われてなかったようです。
左が吉野、右はホオの木の岩手製、真ん中はどこかはっきりしませんが関東のものではないかと思います。
新子薫さんは、つくり方を伝承しても、特殊な刃物をつくる人がいなくなっているので、杓子つくりは成り立たないと、お孫さん以外、弟子を取ることはありませんでした。
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