2025年6月12日木曜日

米騒動に思う


2000年に、カンボジアのプノンペンの近郊の、当時私が働いていたNGOがかかわっていた村一帯で飢饉がありました。
ただでさえ、半分近くの農家が1年間食べるだけのお米をつくるのが難しい零細の村で食べるものもなく、どうしたものかと思っていると、村に行っているカンボジア人スタッフから、日本の援助でお米が配られたと聞きました。
世界では麦を主食とする地域の方が多いので、WFP(国連世界食糧計画)を通して、カナダ産やアメリカ産の麦の食糧援助はよく行われますが、日本がお米を援助したという話は、珍しいものでした。それはよかったと思っていたら、後日スタッフから、
「農民たちが、援助米がまずくて、どう調理しても食べられないと言っている」
と聞き、農家を訪ねて援助されたお米を食べてみました。


「炊いたら米の形が崩れてしまうが、日本人はいつもこんなお米を食べているのか?」
と言われて、見せてもらったお米は干からびていて、食べたご飯はまるで糊のようなものでした。


後日、大使館から援助米贈呈のセレモニーがあるので出席するようにと連絡がありました。日本の大使や県知事などお偉方の出席でセレモニーが終わった後、大使に、
「援助米を食べたことがありますか?」
と訊いたら、食べたことはないとの答えでした。
「一度食べてみてください。不味くて食べられないものでした。誰が選んだのかあんなお米を贈るのは、日本人として恥ずかしいです」
大使は、どんなお米が贈られたのか、まったく知らなかったのでした。


今度のコメ騒動でそんなことを思い出しました。
備蓄食料を援助物資として使って、備蓄食料の在庫調整をするのは世界の常套手段ですが、それにしてもひどすぎました。


あれは、清水ミチコさんの替え歌三部作、米歌(舟歌)、米(花)、米がない(雪が降る)に歌われている中の、まだ備蓄米の温度管理もできなかった時代の、捨てるしかない古古古古古古古古米だったのです。


そういえば、1993年の冷害での米騒動のとき、世界一のコメ輸出国だったタイから日本がコメを緊急輸入したことがありました。
お米、とくに長粒米は割れると途端に味が落ちますが、割らずに精米するには高性能の精米機が要ります。当時、タイは世界150ヵ国にコメを輸出していましたが、最上級の割れ米が混じっていないコメから、割れ米を集めたような最下級のコメまで、値段を変えて輸出していました。
北朝鮮は毎年、最下級の割れ米を、しかもバーター(物々交換)で買っていたのですが、その年はタイが日本にコメを売ったため、北朝鮮にまでコメが回らず、北朝鮮の人々が飢餓に直面しました。
多くの日本人は、タイから輸入した最上級のコメを手にして、臭いなどと難癖をつけて捨てたりしていた裏で、北朝鮮では人々が飢えていたのでした。






2 件のコメント:

かねぽん さんのコメント...

おはようございます。
米の値段が下がらないのは、高い米でも無理して買ってしまう消費者にも責任があると思います。
日本では米以外にも食べる物はいくらでもあるのに、どうしてそんなに米にこだわるのでしょうか。
もしかしたら腸内細菌に脳が操られているのかな。

さんのコメント...

かねぽんさん
じつは私自身は生協や知人・友人たちから有機米しか買ってないので、米騒動とは無縁のところにいます。有機米と言えど、稲カメムシ駆除の農薬だけは使う人もいれば、完全無農薬・無化学肥料の人もいて、また水田に入れる水の質も、入れ方も違うので、生産者たちはそれに見合った代金をつけていらっしゃると思われます。
子どもたちが食べ盛りのときも、生活費がかつかつで、毎月親に借金しては返すような状態でしたが、やはり有機米を食べさせてきました。まぁ、何を大切に暮らすかというところでしょうか。
お米を自分でつくっていた10年間は、前年のお米が余っていることだけでなく、ゴミ交じりの籾をきれいにしたりするのに時間がかかり、毎年新米を食べるのが2月過ぎになってからでした(笑)。コンバインがあれば、きれいにするのは数時間でできることですが。
自分でつくってみるまで、なぜ古代米の値段が高いのかいぶかしく思っていましたが、普通の精米機は白米と混じるので使えないなど、手作業が大変なので高くつけていると納得しました。