2010年1月8日金曜日

ラオスの籠



暮れに買った紅梅の花が、やっと開きはじめました。




田んぼ道から見た今日の筑波山。右へ、足尾山、加波山と連なります。




そして、振り返ると、我が家の裏山の、吾国山や団子石峠が見え、前にせり出した丘の林の中に、落葉した木立を通して、我が家がちらっと見えます。




窓が、空の色を移して、いつもブルーに光っています。
昨冬までは樫の木に隠れて、田んぼ道からは我が家は見えなかったのですが、昨年、樫の木が大きくなりすぎて、山の稜線を隠したと、夫が枝を払ったので落葉樹だけになり、見えるようになりました。数年経つと樫が生い茂り、また見えなくなることでしょう。




これが、ラオスのちゃぶ台の中で、Nに運んでもらったという籠です。
車でどこかの町か村に移動していたとき、道端のお店の軒にぶら下がっているのを見て、運転してくれていたTさんに、「ちょっと停まって!」と叫んで、停まってもらいました。「えっ。そんな籠があった?」と、この道を通いなれているTさんは半信半疑でしたが、やっぱりありました。
実はこの籠、1990年に、田舎の市場でおばあさんが使っているのを見かけてから、私の中ではあこがれの籠だったのです。
ラオスに行く機会があるたびに、あの籠があるかしら?とさがしましたが、ビエンチャンでも、タケクでも見かけませんでした。それが、なんでもない道端で、10年後に偶然見かけたのでした。

ちょっと雑なつくりですが、文句は言えません。値段はたったの300円です。

5年ほど前に、友だちに連れて行っていただいた、鎌倉の中国骨董のお店でそっくりの籠を見ました。中国籠同様、東南アジアに移住した中国人が、同じスタイルの竹籠をつくり続けているなんて、とてもロマンティックなことです。
新しい分野のものより、すでに持っているものを求める傾向にある私も、鎌倉のお店で2万円ほどの中国の籠を買うことはしませんでした。なにせ、骨董と雑貨の違いこそあれ、同じ形で300円だったのですから。





裏だって堅木を細工してあって、手は抜いていません。






ふちの始末だって、よくできています。この籠の中には、カンボジアの、パルメラヤシの葉脈の皮でつくった、牛をつなぐ紐が四、五本入っています。




牛をつなぐために、この紐を使うことはなさそうですが、自然素材のものを修理したりするときに役立ちます。
この紐、カンボジアの村の市場でも、なかなか見かけなくなっていました。ナイロン紐に取って代わられようとしています。

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