骨董屋さんの常套句に、
「東京へ持って行けば、〇倍の値段で売れるんだ」
とか、
「業者が私から買って、〇倍の値段で売っているよ」
などというのがあります。
その裏には、東京は場所代が高いとか、駐車場もままならないとか、たくさん仕入れたものは安くても早くさばいた方がいいとか、いろいろな原理が隠されているのですが、それを端折って、値段だけを取り出して、殺し文句として話されると、またかと思ってしまいます。
このデッドストックの杓子を何本か持っていたおじさんは、最初から最後まで、そんな話しかしないおじさんでした。
ふんふんと聞き流しながら見た杓子は、ちょっと繊細で、手慣れた仕事が素敵です。
なにげなく、ちゃっちゃと削って角が残っているところが、職人さんの息吹を伝えています。もしかしたら、職人さんではなく、農家の冬仕事だったのかもしれません。
杓子は群馬から出てきたようです。
右の、学生時代に岩手の雫石で買った杓子と比べると、群馬の杓子は横に平べったくできています。土地によって、杓子にもいろいろな形があったことがわかります。
群馬の杓子は、おっきりこみなどを取り分けるのに使ったのでしょうか?
群馬も岩手も、この杓子を使っていた人たちの中には、お米がなかなか食べられず、いつもお腹をすかせていた人もいたでしょう。
もっとも、岩手の木杓子は、今でも普通に売られています。
私は小さい頃倉敷で育ちましたが、どこの家にもアルマイトの杓子があって、木の杓子を見かけたことはありませんでした。学生時代に東北を旅して、旅先の何でも屋さんの店先で、初めてお目にかかったように記憶しています。
西の方では、割合早くに、木の杓子は消えたのでしょう。
奈良の新子薫さんの杓子は、また、形が全然違います。
もっとも、これは普通の杓子の形ではなく、その形から「のし杓子」と呼ばれるものです。
新子薫さんは、昨年三月にお亡くなりましたが、お孫さんの新子光さんが薫さんに弟子入りして、杓子つくりの仕事を引き継ぎ、昔ながらの方法でつくっていらっしゃいます。
2 件のコメント:
手作りの道具なんか無縁の生活をしてきた僕らの世代からみれば、こんなたわいもない(っちゃ何ですが…笑)道具たちが身近にあって使われているってことは、ある意味とても贅沢な感じがします。
農家の我が家ですら、古いものはほとんど残っていませんから…。プラスチックのお盆とか、なんかこう半可臭い、ちっとも魅力のないギフトの陶磁器とかは大量にとってあるのに!(笑)
topcatさん
手づくりのものから、工業製品に移行したときに、失われたものは大きかったと思います。日本人が欲しがったのは安くて便利なもので、ものを使うときの「気持ちのよさ」なんてきっと問題にされませんでした。それまでの長い時間、使っていたのにねぇ。
かく言う私も、今、木の風呂椅子と桶を、プラスティックにしようかどうか、悩んでいるところです(笑)。あと、木の落とし蓋を鍋に合わせて大小持っていますが、どんなによく干してもかびる季節があります。見つけたらよく洗いますが、漂白するのは嫌だし、干したらその季節だけ外に出しっぱなしにして置いたりしています。
先日、ラジオでアルミ箔で落とし蓋をつくると、軽いので浮きあがるしいいと聞いたのでやってみると上々でした。それで、いっそ木の落とし蓋を全部ストーブの焚きつけにするかどうか、今悩んでいるところです(笑)。一手間惜しむだけでは済まないこともあり、難しいところですね。
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