我が家の人形たちにとって、最高の晴れ舞台は、変な話、お手洗いの中の棚でしょうか。
二階の展示室は、採光も控えて、人形たちにはよい環境ですが、毎日毎日愛でてもらえるというわけにはいきません。それに比べると、お手洗いの棚にいれば、毎日人間と交流できます。
このところ、ずっとその舞台にいたのは、アンナ・リャボヴァさんの、マトリョーシカたちでした。
このマトリョーシカは、リャボヴァ作の中でも、とりわけソフトな雰囲気です。
何がソフトに見せているだろうと思って見ると、顔の輪郭線が描かれていないことに気づきます。
リャボヴァさんのマトリョーシカの多くは、最初に電気ゴテで線描きする、ウッド・バーニングという方法でつくられていますが、これは絵具だけで仕上げであります。
一番大きい娘は、それでも顔の下半分や手の指に輪郭線が見られます。もっとも、あごのところの絵具が滲んでしまったので、しかたなく線を描いたようにも見えます。
小さい娘たちになると、顔や手の輪郭線は見えません。
マトリョーシカの絵つけでは、そういう方法はあまり見ませんが、リャボヴァさんの専売特許というわけでもありません。
ロバノヴァ・タマラさんも、顔や手の輪郭線を描いていません。
もっとも、タマラさんのマトリョーシカは濃い色のプラトークをかぶっているので、顔の輪郭はくっきりしています。
そして、手の指は細いけれど濃い色で描かれています。
と言っても、一番小さい娘は薄い色のプラトークをかぶっています。
リャボヴァさんとタマラさんのマトリョーシカを比べるとこんな感じです。
そして、セルギエフ・パサード(中)やセミョーノフ(右)など、黒でくっきりと輪郭線を描くマトリョーシカと比べるとこんな感じです。
久しぶりにタマラさんのマトリョーシカを見たら、かわいいこと。昔の文化人形を何故か彷彿とさせます。
というわけで、お手洗いから二階へ、二階からお手洗いへと役者を交代させることにしました。
この一、二年、タマラ家では、母の監修のもと、娘のオリガさんが絵つけをしているようで、昔のマトリョーシカとはちょっと表情が違います。目と口が違うのですが、それだけで印象がまったく違って見えます。
もちろん、娘さんが個性ある一人の女性として、自分色を出すのはいいことだと思います。
でも、私はお母さんのマトリョーシカが好き。もう娘さんも一本立ちできそうなのだから、また、母タマラの母タマラらしいマトも見てみたいものです。
2 件のコメント:
こんばんわ。
私が、世田谷区経堂にあるユーラシア協会で初めてマトリョーシカを描いたとき、「マトリョーシカ絵付け入門」という冊子を見て、そういうもんだと思って、顔の輪郭を筆で描きました。
黒い絵の具で顔の輪郭を描くって、とても大変で、苦労しながら出来上がったら、教える立場の人が、「輪郭を描かないって方法もあるんだよ、ほら」と、マトリョーシカの写真を示しながら言って、『それもっと早く言ってよ!!』…と思ったことを思い出しました。(^^)
リャボバさんのマトリョーシカのラインは写真で見るとサインペンで描いたようにも見えますが、私はとてもサインペンで描く勇気はありません(^^;)。
karatさん
私も紙にだって顔の輪郭は描けそうにありません。でも、毎日同じことを繰り返す昔の職人さんは、たぶん下がきもなく、何も考えなくても同じ場所に同じ丸が描けたのでしょうね。
karatさんが、鉛筆で下がきするというのを見て、安心しました(笑)。顔を塗っておいてあとで、少しずつプラトークを塗りながら顔の線を決める方が、ずっと楽そうに見えます。
私はリャボヴァ好きですが、作品にはすごいむらがあるようです、特に顔の大きさはセットの中でもバランスが違ったりして。丸いのも四角いのもあったりして(笑)。あんな、滲んだ失敗作も平気で商品にする人ですから、きっちりした性格ではないと思いますが、青いアイシャドーの目を見ると、ころっとなります(笑)。
まさか、サインペンは使っていないと思いますが、使っているんでしょうかね?
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