龍角散という名前はよく知っていますが、子どものころからお世話になった記憶はありません。むしろ最近になって、龍角散という会社のつくったのど飴をなめるくらいです。
でも龍角散は由緒ある風邪薬らしい、歴史は江戸中期までさかのぼるようです。
龍角散の原型は、佐竹藩(秋田県)の御典医である藤井玄淵によって創製され、藩薬として重宝されていたところ、蘭学を学んだ二代目の玄信が、西洋の生薬を取り入れて改良しました。
明治初期の、三代目の正亭治のころ、龍角散と命名し、藩薬であった龍角散は藤井家に下賜されました。
1893年(明治26年)に、四代目の藤井得三郎が、龍角散を現在のような微粉末状に改良し、積極的に新聞広告や街頭宣伝を行って、全国的なヒット商品に仕立てることに成功したそうです。
ちょっと古い、デッドストックの龍角散です。
どちらの箱にも、「本舗 株式会社 藤井得三郎商店」と書いてあります。
戦前の製品には、製造元が「調剤本舗 藤井得三郎」とあり、戦後のものは「株式会社 藤井得三郎商店」とあるそうですから、これはその過渡期のものでしょうか?
1964年(昭和39年)には、「株式会社 龍角散」となりました。
小さい方の龍角散の中身です。
初期の容器はアンチモンだったようですが、これはアルミでしょうか?わりと軽いものです。
それにしても、缶もさることながら、耳かきのようなスプーンの可愛さが際立っています。
35円ですから、戦後の値段です。
値段の下にはハングルが書いてあります。 ということは、韓国にも大きな市場を持っていたのでしょうか?
そして、中の説明書には英語も書いてあります。
大きい方の龍角散は未開封です。
大きい箱の横にもハングルが、そして反対側には漢文が書いてあります。
封じてあるシールは、右から「藤井封緎」と書いてありますから、戦前から使っていたものでしょう。
自立する箱と言い、エンボスの入った缶と言い、とってもおしゃれです。
4 件のコメント:
粉だとオブラートに包まないと子供には無理ですね、
私の記憶ではもっぱら缶入りの浅田飴でした。(割り箸に巻き付けて)
漂着したニューム缶にはハングルが添付されています。
昭ちゃん
箱書を読むと、オブラートに包まず水に溶かして飲むといいと書いてありますが、飲みにくそうです。
私は何を飲まされていたんだろう?お医者さんで処方された粉薬や、水薬も覚えていますが、龍角散は飲んだことがありません。
浅田飴って水あめですか?おいしそう!水飴舐めたくなりました。「ぎょうせん」と言っていたかなぁ。
ニューム缶にハングルですかぁ。韓国できっとすごく売れたのでしょうね。龍角散はともかく、正露丸はいろんな国で見ました。正露丸てもともと征露丸なんですよね。ロシアでも売られてたりして(笑)。
歴史的に征露が正解ですが、
糖衣錠もあり時代を感じます。
戦後日本人は[ペニシリン・ストレプトマイシン」の威力に驚きましたね。
昭ちゃん
ええぇ、「ペニシリンにストレプトマイシンの威力」ですって。知りませんよ(笑)。時代が違いますよ、なんちゃって、もちろん知識としては知っています。
小さい時、何棟かの平屋の空き家が村はずれにあって、「あれは疫痢の人を隔離した建物だ」と聞いて不気味に感じたことがありました。日本でも子どもが高熱や下痢で簡単に死んだ時代が、ちょっと前まであったのですね。
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