2016年10月21日金曜日

六ヶ所村

長男が、有料の(会員制)のメールマガジンをやっています。
いろいろな事象について書いているのですが、今日は六ヶ所村について書いていたので、そのまま転載してみました。


先日、事務所のスタッフと話していて、どういう流れかは忘れてしまったが、六ヶ所村の話になった。ぼくが、「ああ、六ヶ所村みたいな感じ?」と言ったのだ。
すると、彼女にこう尋ね返された。
「六ヶ所村ってなんですか?」
それでぼくは、「えっ?」となった。とても驚いた。

そして、自分が驚いたことによってさらに気づかされた。それは、ぼくはこの世に六ヶ所村を知らない日本人がいるとは想定していなかった――ということだ。六ヶ所村は誰もが知っていると思っていた。

そこで、FacebookとTwitterで呼びかけてみた。六ヶ所村を知らない人がどれだけいるのか?
「六ヶ所村を知っていますか?」
すると、Twitterでは4割の人が知らないと答えた。Facebookではもっと少なかったが、これはぼくの友人に限られた結果なので、かなりバイアスがかかっているだろう。ぼくより若い人――例えば10歳以上若くなると、とたんに知らなくなるのである。

そこで今日は、六ヶ所村について書いてみたい。ぼくがなぜ六ヶ所村を知らない人がいることに驚いたかを知ることは、今の日本の現状を知るいい手かがりになると思うからだ。
 

では、六ヶ所村とはどういうところなのか?
六ヶ所村とは、青森県の下北半島にある地区だ。本州のほぼ北端(厳密には北端より少し南)に位置する村であり、極寒の地として知られる。いうなれば、日本の最果てのような場所だ。

そのような場所に、日本最大の原子力施設がある。なぜあるかといえば、六ヶ所村がそれを受け入れたからだ。
六ヶ所村は極寒の地で、ろくな産業がなく、人々は貧困に喘いでいた。そんな状況を改善しようと、核廃棄物の貯蔵施設をはじめとして、原発の中でも最もえぐい施設の受け入れを決めたのだ。


その結果、六ヶ所村はどうなったか?
国からたくさんの金が下りるようになり、一気にお金持ちの村へと転じた。道路をはじめ、近代的な設備が整うようになった。
それは、かつて極貧だった極寒の村としては劇的な変化だった。今では何もない雪原に突如UFOが舞い降りたかのような、一種異様な雰囲気を醸し出している。

その光景を見ると、逆説的に「原子力がいかにヤバいか」というのがよく分かる。人々が、いかに原子力発電施設を恐れているか。忌み嫌っているか。そしてまた、それを受け入れる代わりに彼らがどれだけの莫大なお金を手に入れたか。恐怖と莫大なお金とがトレードされたというのが、六ヶ所村の景色の中に象徴的に現れているのである。
 

六ヶ所村は、いうなれば日本の肥だめだ。原子力のうんこを半永久的に保管しておく場所である。
そのため、もし何か問題が起きたら、永遠に回復することはないだろうといわれている。いや、六ヶ所村にもし何かあったら、それこそ地球そのものがダメになるかもしれない。それくらいのレベルのヤバいものを、六ヶ所村は引き受けているのである。そして、それを引き受ける代償として手に入れたお金で、道路や村の施設を作っているのだ。

その意味で、六ヶ所村の景色は、日本の経済や過疎の問題についても考えさせられる。土地の格差というものをまざまざと見せつけられる。

核は、怖い。何が怖いかといえば、よく分からないところが怖い。福島原発の事故にしたって、発生から五年が経過しても、まだ侃々諤々の議論が交わされている。ということは、とりもなおさずそれは「分からない」ということなのだ。現代の英知を集めても、どういうことになるのか皆目見当もつかないのである。

その皆目見当もつかないものが、福島の数倍、いや数十倍詰め込まれているのが六ヶ所村である。それは、いうなれば「モスト分からない場所オンザプラネット」だ。世界で一番分からない場所。六ヶ所村は、それを自ら引き受けたのである。道路や施設を建てるため、そしてそこで人々が裕福に暮らしていくためにである。

六ヶ所村は、他のどの寒村も怖くてできなかった、「日本の肥だめになる」という選択をした。
では、なぜ六ヶ所村はそれをしたのか?
これは、ある人にいわせると、青森の風景に原因があるのではないかという。

下北半島の景観は、「極寒の地」あるいは「最果ての地」というのがふさわしいくらい、荒涼としている。特に冬の吹雪の夜などは、その情景が見る者の胸に突き刺さってくる。

それはまるで、「絶望」をビジュアル化したもののようにも思えるそうだ。「荒涼」という言葉を絵にしたような景色なのだ。
『ゲド戦記』という小説に世界の果てが出てくるが、それは六ヶ所村にそっくりなのだそうである。

そういうところにも人が住み、日本の肥だめになるという選択をした。
六ヶ所村は、その意味では「人間とは何か?」を考えさせられるとても重要な場所なのだ。
ぼくが子供の頃は、学校では盛んに六ヶ所村のことが語られていたし、その来歴は一度聞けば一生忘れられないほど胸に差し迫ってくるものがあった。

だから、六ヶ所村は誰もが知っているはずとぼくは思っていた。しかし、それは勘違いだった。六ヶ所村のことは、今はもう誰も教えなくなってしまった。なぜかは分からないが、いつの間にそうなっていたのである。





2 件のコメント:

hatto さんのコメント...

年代の差もあるのでしょか六ヶ所村の認知度、低いんですね。青森産の野菜などみると土の中を想像してしまい伸ばす手にためらいがでます。処理されようとしても出来かねる物質を地球上に生み出し、いつどうなるかも分らない闇を抱えている事、もっと周知されるべきですね。私の住む隣の県、岐阜県には核融合科学研究所が在りますが、これもあま知られていません。核研究も「新しく何かを作る」のではなく、今地球上にあるものをどう減らすのか。+ではなく-研究をと強く願います。

さんのコメント...

hattoさん
たまたまこれを書いた日に、鳥取で地震がありました。今日の『東京新聞』に小泉元首相のインタヴューが載っていて、福島第一原発の廃炉や賠償で東電への国費投入が膨らむ懸念を説明し「原発推進論者の「安全、コストが安い、クリーン」のスローガンは全部ウソ、高速増殖炉もんじゅを含め、核燃料サイクル政策全体を取りやめるべきとの意見が載っていました。当たり前のことだと思いますが、その思いがみんなで語られず、結集もできません。
政府=経済界=国民は、「危険、コストが高い」とわかっていても、短期的な経済活動から見れば、核を海外にも売る大国になりたいという思惑からやめられないのだと思いますが、この数年とか、数十年ではなくて、百年、千年単位で見て、きっぱりやめて、千年後に評価される方を選びたい、鹿児島や新潟知事選のうねりに期待したい、確かにみんなで腰を据えて、引き算を考える時期に来ていると思います。もう一度事故があってからでは遅すぎます。