2018年2月28日水曜日

アサヒシトロン


先日、我が家に初めていらしたTさんが、土間入り口を入るなり、
「あらっ、アサヒシトロンのビンがある。昔、森鴎外を読んだら、アサヒシトロンを飲む場面があって、「どんな飲み物だろう?」とずっと思っていたんだけれど、こんなビンに入っていたのねぇ」
と、感慨深げにおっしゃっていました。

たぶん、おもちゃ骨董のさわださんから買ったもの、
「ラベルつきだよ」
とかなんとか言われて、ビンの透き通った雰囲気や形が好きで、ラベルつきには全然こだわっていない私は、たいした感慨もなく持ち帰ったものだと思われます。


さっそく、アサヒシトロンで検索してみましたが、アサヒビール・リボンシトロンは出てきても、アサヒシトロンは出てきません。


ビンの底に近い方には、「ASAHI BREWERIES.LTD.」とあり、


ビンの肩近くには、見慣れた三ツ矢のマークがついています。


ラベルには、Dia Asahiと大きく筆記体で書いた下に、アサヒシトロン、発売元は群馬酒販と書かれています。そして、その下に小さな文字で、製造元は宇都宮にある多喜屋となっています。これだけで、えらい複雑です。
ウィキペディアには、
「大日本麦酒株式会社は、GHQが指示した、過度経済力集中排除法による会社分割で、1949年に朝日麦酒株式会社と、日本麦酒株式会社に分割され、三ツ矢サイダーはユニオンビールと共に朝日麦酒が継承し、戦前までの「アサヒビール・リボンシトロン」の組み合わせから「アサヒビール・三ツ矢サイダー」の組み合わせに代わった」
と書いてあります。
ということは、1949年には、アサヒビールからは三ツ矢サイダーを出しているはずだし、今もある群馬酒販がこのラベルの群馬酒販なら、昭和34年創業ですから、このアサヒシトロンは、1959年以降に売り出されたものとなります。
そして、肝心の森鴎外は、1922年に亡くなっています。

これまで、なんとなく左から書いてあるものが戦後、右から横書きしたものが戦前と思っていましたが、明治のカタログなど見ると、左から横書きしたものもちらほら見ます。としても、朝日麦酒株式会社と三ツ矢サイダーの陽刻がビンに一緒に刻まれていることから、これは1949年以降につくられたものに違いありません。

ということは、Tさんには残念な結果ですが、森鴎外が飲んだのは別のアサヒシトロンということでしょう。

余談ですが、ラベルに大書きされているローマ文字の筆記体、かつて私たちが英語を習いはじめたときは必ず書かされ、試験にも出てきたものですが、それは日本だけの現象だったようで、今では(というかずいぶん前から)学校では全く教えてないそうです。


 



6 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

お助け達が入学前後かなー
TVのコマーシャルで
「リボンちゃん リボンジュースよ」が
流れていました。
「アサヒ、、、、」
一番江戸っ子が発音できない「ヒ」で
いまだに「シ」になります。
郷しろみ・あさし新聞です。

さんのコメント...

昭ちゃん
そう、私の頭にもこまっしゃくれたリボンちゃんの姿が目に浮かびました。でもあれ、リボンジュースで、リボンシトロンではなかったですよね。コマーシャルはおしゃれでした。
今回調べて、アサヒがもともとは関西以西だけで売られていたと初めて知りました。でも小さいころを思い浮かべると、ビールはキリンしか知りませんでした(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

私の子供時代は
「サクラビール」で木箱入りを覚えています。

tokori さんのコメント...

文中登場するTです。調べていただいてありがとうございます。
森鴎外の小説……というのは、私の勘違いで、正しくは森鴎外の長女・森茉莉のエッセイに出てくる鴎外の思い出の記述でした。
 
鴎外と幼い茉莉は、いつも上野の森周辺を散歩していたのですが、茉莉は外で売っているお菓子やアイスクリームが食べたくて鴎外にねだるのですが、鴎外は、そんな茉莉に「お母ちゃんが、シトロンを冷やして待っている」と静かに諭して、ゆっくりと散歩を楽しんでいた……という箇所です。
以下、森茉莉のエッセイからの抜粋です。奇跡的に該当箇所が見つかりました。
 
――私は今言ったように、淋しいところは嫌いで町中を歩きたがり、町もなるたけなら団子坂したから電車で銀座へ出て、資生堂でアイスクリーム・ソーダのレモン味のか、苺味のを食べさせてもらうのが理想だった。私は父の掌にぶら下がりながら、(アイスクリーム、アイスクリーム)と呪文のように唱えた。すると父はきまって「家でお母ちゃんががシトロン(明治大正に、三ツ矢サイダーと並んで、よく飲まれていた清涼飲料。その頃電車に乗るとビラにサイダーやシトロンの宣伝文句が書かれていた。春によく夏に又よし秋冬に、婦人子供の酒の席にも、というのを妹が覚えて歌うように言い、父が微笑っていたのを覚えている)を冷やして待っている」というのがきまりで、その度に失望した。
 
森茉莉エッセイ集「紅茶と薔薇の日々」より
 
茉莉は、鴎外の思い出としてこの散歩の場面を繰り返し描いていて、だから私は「鴎外=シトロン」のイメージがついてしまったのだと思います。

幼い茉莉のためにお母ちゃん(森鴎外の妻・森志け)が冷やして待っていたというシトロンはどんなビンにはいっていたのでしょうね?

さんのコメント...

昭ちゃん
時代の違いがくっきり出ていますね(笑)。桜ビール知りません(^^♪
しかし、「桜」も「朝日」大日本というか戦争の影を感じますが、キリンは暢気なものですね(爆)。

さんのコメント...

tokoriさん
コメントありがとうございます。ご覧になるとは思わなかった(笑)。
アサヒシトロンではなく、ただのシトロンなら納得です。リボンシトロンから1909年に発売された、その名も「シトロン」だと思います。
シトロンとはフランス語でレモンのこと、そこから、酸っぱい飲み物を日本ではシトロンと呼んでいたのでしょう。ちなみに、柑橘類の学名がCitrus(シトラス)です。
サイダーはウィキで見ると、イギリスでは発泡性がありフランスでは発泡性のないリンゴ酒、アメリカではリンゴの生ジュース(これがおいしい!)のこととあります。
似た味としては、駄菓子屋で買えるニッキ水、などもありましたが、親が用意してあるというのならちゃんとしたシトロンだったに違いありません。井戸で冷やしていたのでしょうか?それとも森家にはすでに氷を使う冷蔵庫があったのでしょうか?面白いですね。