あやさんはドイツの方と結婚されていますが、かの地にあって、ドイツ人に書を教えたり、仏教を研究したり、毎冬帰国して、禅寺で座禅を組んだりされたりしています。
いろいろお話して楽しい時間を過ごしたのですがお帰りになってから、『ドイツの民藝』という本をお見せすればよかったと思いました。日本の文化を考えるような人なら、ドイツの文化とは何かということもきっと考えていらっしゃると思ったからです。
それで、以前ブログにそのことを書いていたので、その記事をお知らせしました。
ブログの中で、私は右の人が何をしているかわからないと書いていました。
するとそれを読んだあやさんから、だんなさんの母上から、母上の時代は寒い冬の間は農業ができないので、麻の茎を叩いて、繊維にする作業を延々とさせられていたという話を聞いたことがあり、右の女性はその作業をしているのではないかという、コメントをいただきました。
ヨーロッパも日本同様、ちょっと前まで、麻がもっとも身近な素材でした。そして、麻は人間が利用しはじめた最も古い繊維の一つです。
草から取り出す繊維を総称して「麻」と言っていますが、アサ(ヘンプ)からとるもの、からむし(苧麻)などのようにイラクサからとるもの、ヨーロッパのように亜麻からとるものなどいろいろあって、それぞれに繊維のとり方が少しずつ違います。
私のヨーロッパでの麻の繊維のとり方に関する知識といえば、『もぐらとずぼん』が精いっぱい、それ以上ではありません。
『もぐらとずぼん』で、もぐらは水に漬けて腐らせて表皮を取り除いた麻を、コウノトリに噛んでもらって、硬い茎の芯の部分を砕いてもらっています。
そしてそのあとで、ハリネズミの櫛で梳いて繊維を細く整えています。
『わたしのスカート』より |
これに対して、東南アジアや日本では、麻の表皮を腐らせた後、繊維をむいてとります。そして、指先で裂いて、細い繊維にします。
アイリッシュ・リネン産業のイラストから |
ネットで探してみたら、亜麻の茎を叩いて芯を砕いている絵が見つかりました。
板を振り上げた女性たちが亜麻を叩き、男性がそれを梳いています。
女性たちが手に持っているのは板です。
この板、持っています。
私は、この板を手に入れたとき、麻を叩く棒だと聞いていました。
厚みは5ミリくらいしかない、強くぶつければすぐ割れてしまいそうな薄い板で、これは左手の持っていますが、右手に持てば、打つのはカーブした方で、刃物のように薄くしてあります。
この板、持っています。
私は、この板を手に入れたとき、麻を叩く棒だと聞いていました。
でも、あまりにも薄いので、こんなもので叩くだろうかと、半信半疑でした。というか、信じていませんでした。
叩き棒というより刀杼(とうじょ)と考える方がずっとすっきりするとも、思いました。でも、上の絵の叩き棒とこれはそっくりです。ずっと疑っていましたが、今頃になって、「やはり叩き棒だったのか」と、腑に落ちました。
アイリッシュ・リネン産業より |
さて、亜麻を叩いて梳いた次には、撚りをかけて糸にする作業が続きます。
そのあとも、糸を染める作業、染めた糸を織り機に掛ける作業、そして織る作業と、冬の農閑期の間、作業は延々と続いたことでしょう。
そして、それをなまければ、テーブルクロス、布巾やタオル、ベッドカバーやシーツなどなど、生活に必要な布を手に入れることができなくて、惨めな日々を過ごさなくてはならなかったことでしょう。
それにしても、叩き棒がどうしてこのような形になったのでしょう?
亜麻の茎の芯は、粉々に砕くのではなく、もぐらの絵にあるように小さく切断したのかもしれません。砕くなら、木槌の方がよさそうですが、繊維を傷めずに芯だけ短く切るため、金属ではなく木の刀を使ったのでしょうか?
だとすれば、一枚の刃ではなくて、刃が複数枚ついていたらもっと効率的ではないかと、思う私は、どっぷり現代人です。
亜麻の茎の芯は、粉々に砕くのではなく、もぐらの絵にあるように小さく切断したのかもしれません。砕くなら、木槌の方がよさそうですが、繊維を傷めずに芯だけ短く切るため、金属ではなく木の刀を使ったのでしょうか?
だとすれば、一枚の刃ではなくて、刃が複数枚ついていたらもっと効率的ではないかと、思う私は、どっぷり現代人です。
麻の芯を切るよりずっと楽な作業であるハーブチョッパーですら、二枚刃のものもあります。
この叩き棒はスウェーデンのもの、 1877と刻印があり、140年以上前のものです。
19世紀のヨーロッパでは、冬には暗く閉ざされた家庭という家庭から、亜麻を打つ音が、聞こえ続けていたのでしょうか。
19世紀のヨーロッパでは、冬には暗く閉ざされた家庭という家庭から、亜麻を打つ音が、聞こえ続けていたのでしょうか。
2 件のコメント:
イラクサで思い出すのは子供のころ読んだ童話で、確か11人の兄弟の王子様が白鳥に変えられて最後に残ったお姫様がイラクサから繊維を取って、11人分のチョッキを編んで、それを着せれば王子様が元に戻るというお話。イラクサがどういうものかもわからないけど、私には無理!と思いました(笑)。
このお話は確か「編む」、でしたが、布を作るというのは大変な手間ですね。植物を育てるところから始めて繊維を取って織る…。こうなると一片の布も無駄にできないです。モグラの話、大変な苦労をして作った布をチョキチョキと無造作にカットするところはちょっと悲鳴が出そうです(^^;)。その点着物はカットが少なくて、ほどいてもちゃんと布が残るから賢いものだと思います。(着ないけど)。
karatさん
私も読んだ時、イラクサを知らないで、勝手にイバラを想像して、無理無理と思いました。もしかして、日本語訳ではなくて原語では、読んだ人はすんなり分かったのかもしれませんね。
あと、着物も合理的ですが亜麻発祥の地エジプト、それが渡ったギリシャ、ローマでも布は切らないで巻きつけたりして着ていましたね。それにヨーロッパにわたっても初期は、ほとんどはさみを入れていない巻頭衣みたいでした。
ところでエジプトでは、すごく幅広(150cm幅)の布を織っていたそうです。そして、麻布をミイラ(死人)を包むだけでなく、犬などペットも包んで埋葬していたのですって!もちろん上流階級だけだと思いますが、贅沢ですね。
糸に撚りをかける道具は、ヨーロッパのもシンプルでいいのですが、以前karatさんが紹介していたロシアのが最高ですね。でもあれってやっぱりお嬢様がたしなみとして使ったのでしょうか?ロシアの木造の家の本を持っているのですが、寒いので家の中に大きな暖炉があり、たぶん煙るだろうし、とてもあんな美しい道具を使う環境には見えませんでした(笑)。
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