その日は泊まり客がいて、私はいつもより3時間ほど遅く骨董市に行きました。
おもちゃ骨董のさわださんの店に近づくと、常連客らしい男性と座り込んで熱心に話し込んでいたさわださんがふっと目をあげ、目が合ったときにはもう、座ったままで箱の中から小さくて汚れた招き猫をつかみ出していました。
「これは持っている?」
「似たのはうちにいる気がするなぁ」
「そうか」
がっかりした様子から、さわださんはすぐ立ち直って、
「いくらだったら買う?」
いつもなら値段を連呼するのに、珍しく思案気味です。
「うぅん.....」
「1000円はどう?そのくらい欲しいんだけどなぁ?こっちの座布団をつけるけど」
と言いながら、招き猫がそれまで敷いていたより大きめの赤い座布団を取り上げました。私は笑いながら、
「もらうよ。でも邪魔だから座布団は要らない」
と断りました。
すると、そのやり取りを私の肩越しにのぞき見ていた女性二人組が、
「座布団、貰わないの?」
と、思わず声を出しました。もらえるものを何故?という口調でした。
「この人んち、招き猫がいっぱいいるんだよ」
とさわださん。
「へぇぇ」
と、女性たちは私の顔をのぞき込みました。その顔には、「なんとまあ、もの好きな」と書いてありました。
その猫です。
よく見ると、キリっとしたいい顔をしているじゃありませんか。
確か、似たような眼をした猫が我が家にいたなと思ったのですが、しかも何匹かいたと思っていたのですが、たった一匹しか見つかりませんでした。
しかも、ずっと変な顔をして、ずっとバランスが悪くて、ずっと汚れた猫でした(以前練りものかと思っていましたが、重さから違いました)。
ちょっとだけ感じが似ている(?)猫が、もう一匹いました。
この中で、手に持つと断然重いのは新入りの猫でした。
両側の猫は、ドロドロに溶かした生地を型に流し込んで成形したもので、薄くできていますが、真ん中の重い猫は、二つに割った型の内側に練った生地を指で貼りつけて型を合わせ、乾かしてつくったものと思われます。
つまり、手間も材料もかかっている、格(?)が違う猫でした。
なんとなく京都風ですが、何風でもこなす瀬戸あたりでつくられたものも、あるのかもしれません。
そうそう、そういえばお仲間の犬もいました。
左の2匹の猫は栞紐の、右の猫は化繊の布のきれっぱしの、そして犬はリリアンの首紐を首に結んでもらっています。
どれも射的の的ではなく、安いお土産ものだった雰囲気を漂わせています。安いお土産ものと言えばやっぱり、修学旅行の生徒たち目当ての「京都土産」だったでしょうか?
射的の猫たちと土産猫を比べてみると、「かわいさ」の基準がまったく違うつくり方をされた猫たちであることがわかります。
見たところ、頭の大きさなどから、土産猫の方が時代が古く見えますがどうですか、射的猫も並行して、別々の領域で棲息していたのかもしれません。
6 件のコメント:
春姐さん
いつもながら猫キャラの種類の多さに驚いています
製造元が倒産かな、
水商売以外は飾らないもんねー
おはようございます。
見れば見るほど笑える顔です。
色々持っていたらこういうのも欲しくなるでしょうけど、(失礼ながら)最初の1匹としては絶対買わないと思います。
かねぽんさん
お金儲けとかではなく、生きるためにこれをつくるしかなかった人がこの猫の向こうにいると思ったら、面白いでしょう?(笑)。
髭の描き方など手慣れているのに、それ以上の芸術性などちっとも目指してない。売れるものだったら分業もあっただろうけれど、全部自分でつくったのでしょうね。
まぁ、最初の猫としては要らないでしょうね(笑)。ちっとも映えませんし(爆)。
昭ちゃん
戦前、世間にどのくらい招き猫が認知されていたかはわかりませんが、戦後、二等身の小判を持った目の大きい常滑系の招き猫が席巻してから、招き猫=常滑系となり、ほかの猫はすたれて(たぶん)、それは1990年代まで続いたと思います。
常滑系にも負けず、細々と招き猫を作り続けていたとしたら、郷土玩具の窯元か、あるいは京都、瀬戸などの極小企業だったのではないかと思います。
招き猫=常滑系になってから、いろいろな門前町で売られるようになり、招き猫=大衆食堂のショーウインドーでもありましたね。
招き猫にも歴史があります(笑)。
駄猫ちゃんは新入りのネコちゃんのことですか?それとも似てると思っていたら、変な顔だった先住ネコちゃんの方?先住ネコちゃんは、招いているというより拳振り上げているように見えます(笑)。
hiyocoさん
バカにするわけじゃないけれど、この写真に載ってる猫全部が駄猫ちゃんじゃないですか?
でも、もしダイヤモンドできらきら飾り付けた猫と交換したいという申し出があっても、私は交換しませんよ(笑)。
肩の力を抜いて作られているところが、何とも言えません(^^♪
コメントを投稿