ヤフーオークションから送られてくるメールの多くは、そのまま破棄するのですが、郷土玩具であれば、ちょっと開いて見てしまいます。
と、平敦盛と熊谷直実の人形が出品されていました。
出品している方は、小道具全般を扱っている方、タイトルは「古い土人形、花巻人形、堤人形、相良、伏見、郷土玩具」と、探す人がヒットしやすい名前を並べていて、説明のところにも何も書いてありませんでしたが、手持ちの秋田の中山人形と比べてみると、形、絵つけともにほぼ中山人形に違いありません。
ところで、平敦盛と熊谷直実が背負っている袋のようなものは何かと疑問に思いながらそのままにしていましたが、改めて何だろう?と思い、調べてみました。
なんと便利な世の中、20世紀だったら、百科事典やエンサイクロペディアをあちこちひっくり返して調べなくてはならないところ、今ではネットですぐ判明します。
こちら、「一の谷合戦図屏風」に描かれた熊谷直実の絵です。背中で膨らんでいるのは母衣(ほろ)というもので、矢や石などから身体を防御するための甲冑の補助武具で、兜(かぶと)や鎧(よろい)の背に幅広の絹布をつけて、風で膨らませたもの、武士の戦闘道具の一つだったそうです。
日本では、古代から中世まで長く弓を主武器とする戦闘法が用いられてきましたが、台頭した武士が戦闘に馬を使うようになって、母衣が発達しました。
それが、室町時代から集団戦に移行したことで、古式の母衣の実用性が低下し、見栄えが重視されるようになり、内部に鯨の髭や竹など使った骨(母衣骨、母衣籠)を入れて常に膨らんだ形状を維持できるように変化して、串で鎧の後に挿して使い、敵味方に自分の存在を示す標識ともなる、差しものの一種になったそうです。
鉄砲が入ってきて、騎馬戦が廃れるとともに、母衣も廃れました。
武士たちがこんなばかばかしい姿で戦っていた間にも、食べるものをつくるのに一生懸命な人たちや、母衣の絹をつくるために蚕を育てていた人たちがいました。
いまどきの戦争や、身近では「今年のトレンドファッション」が取りざたされるとこなども含めて、なんだか、人類の歴史って馬鹿馬鹿しいものに思えてしかたありません。
6 件のコメント:
みさこさん、こんばんは。
暮らしの実験室元研修生の田中です。
岩崎さんのシェアでこちらのブログを初めて知りました。
かなりの頻度で色々なことを書かれててすごいですね!
家造りといい、みさこさんのブレないところ、着々とこなすところ、見習いたいなぁとすごく思います。
また八郷に行ったときにお家伺いたいです✨
とらちゃんが亡くなられたのはとても悲しいですが、新たな猫さんが来られたんですね。
お体にお気をつけてください。
荷物を運んでいるんじゃないんですね(笑)。
風をはらんで矢が刺さらないようにするなんて、ちょっと面白い。
母衣で「ほろ」と読むのですね。中学の時、同じクラスに袰川(やんかわ)さんという子がいました。これまでこの字は彼女の名前以外で目にしたことはありませんでしたが、今日「袰」も「ほろ」だと知りました。
田中瑛子さん
コメントありがとう。
そうそう、FBはほとんど更新していませんが、ブログの方は書いています。毎日書きたいのですが、このところバタバタして休んだりしています。
そちらの生活は、いかがですか?
また、八郷にいらしたときはお寄りください。母上さまにもよろしくお伝えください。
hiyocoさん
私は、川や海を渡るとき、浮袋になるようにつけているのかと思っていました(笑)。
バイクに乗るとき、風をはらむ上着とか着ているとパタパタしてかったるいのに、あんなものをつけてよく戦っていましたね。鎧は矢を受けやすいから母衣を使うと書いてありましたが、矢を受けやすいのにあんなに重いもの(着たことはないけれど、笑)を着て、しかも首根っこはさらして戦ってるなんてのんきと言えばのんきなものです。
名字に歴史ありと言いますが、袰川さんて、すごい名前ですね。母と衣を重ねちゃったんだ!この字は初めて見ました。平敦盛にピッタリです。
珍しい名前、いいなとも思うときもありますが、誰も読めない名前というのも、本人としては面倒だったでしょうね。
春さんもバイクに乗るんですか!乗っていた、かな?
そうそう、バイクに乗る時、ウィンドブレーカーやダウンが襟なしでフードが直付けの場合、空気で膨らんで首が締まります(苦笑)。なのでフードをクルクル巻き込んで首元にしまいこんでいます。背中で母衣を膨らませるなんて考えらえませんね。
hiyocoさん
大昔に、ラッタッタに乗っていました(笑)。ラッタッタって知らないでしょうね。ホンダの原付で、ソフィアローレンがコマーシャルしていました。
ちょうど子供たちが少年野球をしていたころで、前に一人乗せ(もちろん乗せるところではない)、後ろに二人乗せたりして、坂の多いところでさっそうと送り迎えしたりしていました。時には幹線道路も走ったりして、冬は涙と鼻水でぐちょぐちょでした(笑)。
東北タイのコンケンであるNGOを訪ねたところ、「これから村に行ってきます」と若い男性がバイクで出ようとしたので、「村を見たい」と言って、後ろに乗せてもらったことがありました。バイクは125㏄くらいだったかな。タイでは後ろに乗るとき、座席の後のところをつかみます。
80㎞も出しているし、後ろに回した手が疲れてきたけど、とくに男女は触らないタイのこと、今更彼に抱き着くわけにいかないし(笑)、タイだから暑いのに風に体温を取られて寒くなるし、すぐそこだと思った村は50㎞も離れていて、散々でした(笑)。そのとき、彼のウインドブレーカーが、目の前ではたはたしていました(^^♪
背中を膨らませるなんて、考えられませんよね。
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