2024年12月5日木曜日

『倭文(しずり)旅するカジの木』

「那珂の映画館に『倭文(しづり)旅するカジの木』っていう映画を観に行きたいんだけど、一緒に行く?」
夫は耳が遠くなっているので、補聴器をつけていても映画の声などは聴き取りにくく、字幕のある映画はともかく、日本の映画を観ることにそう積極的ではありません。
「何の映画?」
「神話に出てくるけど、当時の実物は残っていない幻の織り物の話みたい」
「行こうかな」
というわけで、「あまや座」に『倭文(しづり)旅するカジの木』を観に行きました。
31席しかないミニシアター「あまや座」の存在は、以前Uさんがポーランド映画の「人間の境界」を観に行ったと聞いていたので知っていました。1日に4本の違う映画を上映しています。



衣食住の「衣」は、動物の中で人間だけが獲得したものですが、動植物から繊維を取り出して、編んだり織ったりする前は、木の皮を叩いて伸ばしたり、動物の皮をなめしてまとったりしていました。
日本で織り物にした植物繊維としては、からむし、大麻などが知られていますが、倭文(しずり)を織ったカジノキの繊維はそれ以前の繊維とされていて、神話には出てくるものの、当時の布としては現存が確認されていません。

『日本書紀』に、
天上界から遣わされた二柱の武神は、
地上の邪悪な神、草木、石の類のものをみな平定した。
征伐できなかったのは星の神だけだった。
それで織物の神(倭文)を派遣すると服従した。
と記されています。

これは、いわゆる「国譲り神話」の一説で、ヤマト王権から東国に派遣されたフツヌシ(経津主)とタケミカヅチ(武甕槌)の二将軍は、この地でつぎつぎと反ヤマト勢力を打ち破っていきました。ところが常陸(茨城)と栃木の周辺まで進んだとき、思いもかけぬ強敵があらわれました。星を神として祀る「香香背男(カガセオ)」という首長に率いられた集団です。星神に守られたカガセオの集団は、じつに手強く、フツヌシたちは苦戦を強いられました。そのとき停戦のための仲介に立ったのが、タケハヅチに率いられた倭文造りに長けた技術集団で、彼らは倭呪力で星の集団を威嚇しつつ、ヤマトへの服従を迫ったとのことです。なぜ、武力に秀でたカガセオの集団が、倭文造りの技術集団に屈服した、ないしは説得を受け入れたのでしょう?
中沢真一さん(あるいは監督の北村皆雄さん?)は、『日本書紀』には、星を信仰するカガセオの集団がヤマト勢力に武力で制圧されたように書かれているけれど、この戦いの後の常陸や栃木の宗教事情を見てみるかぎり、実情は違っていたのではないか。古代の戦いがあったとされる常陸の久慈にある大甕神社を中心にこの地帯にはタケハヅチを祀るいくつもの倭文神社が建てられているものの、その周辺には優に300社を超える「星宮」や「星神社」の小社や祠が建っていて、制圧されたどころか拮抗した勢力を保ちながら、領土を分かち合いながら共存しあっていたのではないかと考察されているのです。

『原色牧野和漢薬草大圖鑑』より

カジノキはクワ科の植物ですが、このドキュメント映画をつくるにあたり、監督の北村皆雄さんは、DNA鑑定により日本列島へは2つのルートでもたらされたことを発見しています。


1つは台湾から日本の南西諸島を経て南九州にたどり着くものであり、もう1つは中国大陸の江南地方から北部九州に入る伝播路です。
カジノキは台湾からは太平洋の島々にも海洋民族によってもたらされ、人々はカジノキの皮を剥いで、さらして叩き、「タパ」と呼ばれる布をつくってきました。
つまりカジノキは手つかずの「自然」から手の入った「文化」へのシンボル的なものとみなすことができるというわけです。

倭人と呼ばれる江南地方の住民は稲作を行う農耕民でしたが、褌も凛々しく海で魚を獲る漁労の民でもありました。カジノキ伝播の大陸からのルートは稲作伝来のルートと重なっていて、江南地方の人々が稲作の技術とともに、カジノキの苗と、繊維をとって布を織る技術を日本にもたらした可能性は高い、と考えられます。

阿波(徳島)の太布。木綿(ゆう=カジノキ、コウゾを含む)で織った古代布が継承されている

ここから、北村皆雄さんは、古代より阿波忌部(あわいんべ)と呼ばれた人々が、山から採ってくる木綿(ゆう)を使って「荒妙(あらたへ)」と呼ばれる布を織り、ヤマト朝廷のころから新天皇即位の儀礼である大嘗祭(だいじょうさい)に献上してきたことを知り、DNA鑑定により旧家で継承されている木綿(ゆう)がカジノキ(コウゾ、ヒメコウゾを含む)の繊維で織られていることを発見しています。
大嘗祭において新天皇は湯浴みで身を清めたのち、真新しい衣を召されますが、最初につけるのが褌であること(折口信夫の『大嘗祭の本義』)、その褌がかつては倭文であったと思われます。カジノキで織った荒妙(おそらく=倭文)は、大麻はもとよりコウゾよりも白く、光っている美しい布だそうです。

さて、5年をかけてつくられた映画は見ごたえのあるものでした。蝦夷がただ征伐されたのではなく、共存してきたことを証明しているという星神社の存在も嬉しいものでした。
それにしても衣食住という言葉の中でなぜ「衣」が最初に来るのか、衣食住という言葉はいつごろできたのか、いろいろ考えさせられた映画でした。






2 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

カジノキと名札が付いた木を見たことありますが、背が高くて幹しか見なかったので、まさか桑の仲間だとは思いませんでした。「火事の木?」と思った記憶があります(笑)。

さんのコメント...

hiyocoさん
結構な高木になるようです。
カジノキは西日本中心に冬の寒い福井などに生えているようですが、気候としては西日本と大差ない関東にはあまり生えていないのが不思議です。関東以北は織物以前からカラムシの繊維が編み物に使われていたので、カジノキの繊維を採る必要がなかったのかもしれませんね(https://koharu2009.blogspot.com/2014/06/blog-post_17.html)。
稲作と機織りが一緒に来たのはなんとなく感じていましたが、その材料のことまで考えたことがありませんでした。どんな木も何気なく生えていますが、それぞれに歴史があるのですね。