2014年7月19日土曜日

『土と生きる』

眠りにつく前に、布団の上で本を読むのが日課です。
ある時は、5分ほどで本を閉じて眠りに落ち、あるときは、何時間も読みふけったりします。

先日、読みかけの本が枕元に見当たらず、サイドテーブルの下に積んである本の中から、『土に生きる』(小泉英政著、岩波新書、2013年)を取り出しました。


読むほどに、ぐんぐん引き込まれて行きました。
「どうしてこんなに面白いのに、今まで読まなかったんだろう?」
あれこれ思い起こしてみて、合点がいきました。

著者の小泉さんから、このご本が届いた昨年の秋、私は背骨を損傷して入院していたのです。
入院していれば時間もたっぷりありそうなものですが、絶対安静、座ることもできないという状況の中で、
「考える本は、今はいいや」
という気持ちがあり、軽い、軽いドリトル先生など読んでいました。
そして退院後も、そのまま手に取ろうとしなかったのです。


小泉さんとは、四半世紀のつき合いです。
最初の出会いは、タイ人を連れて行ったときでした。当時は成田市東峰のあたりには、成田空港と監視塔、鉄条網などを除けばどこにでもある風景が広がっていて、小さな東峰神社の脇の道を曲がると小泉さんの家がありました。
以後、誰かと一緒に、あるいは一人で何度うかがったことか。行けばたいてい農作業の邪魔をし、泊めていただいて、夜は話に花を咲かせました。
カンボジアに越した1998年まで、十年以上にわたっておいしい野菜を送ってもいただきました。

小泉英政さん、美代さんのご夫婦は、農民の成田空港建設反対運動を支援するために、別々に三里塚に入られた、「余所からの人」でした。
建設反対運動で人手の足りない農家の援農などをしていましたが、やがて農地を強制代執行された小泉よねさんの養子になり、以後、声高に集会を開いたりデモをしたりしている人たちとは一線を画して、よねさん亡き後も、ひたすら農業に励んでこられました。
仲間と、共同で堆肥をつくり、慣行農業ではない有機で栽培した野菜を消費者たちに配達する「ワンパック」をはじめたのは1976年、一つの箱にいろいろな野菜を生産者の選択で入れて送る方法は、いまでこそ当たり前の方法になっていますが、もとはといえば小泉さんたちがはじめたものでした。

年月が経つにつれ、小泉さんの農業は次第に求道的になってきました。
ビニールマルチなどの消耗品を使わなくなり、飼料が何かを追いきれない家畜の糞で堆肥をつくることもやめ、種も多くを自家採集するようになりました。それは仲間から見ると、小泉さんの分担野菜の量が減るのではないかと思える行為でした。
 

そんなことがあって、1997年にワンパックから独立して、「小泉循環農場」を設立、以後、38世帯からはじめた宅配は、250世帯ほどに増えていきました。

この間、小泉さんの家のある成田市東峰のあたりは、大きく様変わりしました。羽田空港が拡張されて国際線受け入れが整う中、成田空港もその存在意義を賭けて拡大を焦り、第二滑走路をつくる前に、もっと用地利用が楽そうな代替滑走路をつくることになりました。
東峰の道路はなくなり、高いフェンスが張り巡らされ、空港予定地に暮しているのは、島村さんの家と小泉さんの家だけになっていました。
結局、その二軒を残したまま、代替滑走路は完成させざるを得ませんでした。

10年ほど前に、八郷のSくんとGさんがぜひ小泉さんを訪ねてみたいというので、一緒に行ったことがありました。
代替滑走路の始点(終点)が目の前にある小泉さんの集荷場の上に、飛行機は巨大なお腹を見せて、屋根すれすれに降りて来ました。怖いくらいでした。
そんな中で、小泉さんの息子のそうくんの家族があかちゃん連れで遊びに来ていて、みんな普通にしていたのが印象的でした。

動物の糞からたい肥をつくるのをやめて以後、小泉さんは許可を得た近隣の林の落ち葉を集めていました。手伝ってくれる人がいるとはいえ、その面積は四町部(4ヘクタール)にもなります。
雑木を残してはびこった竹を切り、落ち葉をさらった平地林は、惚れ惚れするほど美しいものでした。
小泉さんは、「百姓には風景をつくるという特権が与えられている」と言います。村の美しい風景をつくるのも、耕作放棄地や農業廃棄物で醜く汚すのも、百姓の心がけ次第だというのです。そう言いきれるほど、小泉さんの農業は、無駄のない美しい農業です。
落ち葉をさらった林が美しいだけでなく、小泉さんの農業には何一つ無駄な動きがありません。ひとひろ(両手を広げた長さ)に切りそろえた縄は、おだ脚を結ぶのにちょうどよい長さですが、おだ掛けした稲束を運ぶときには、おだを片づけるために解いたその縄で、稲束をまとめて肩に背負って運ぶのにもちょうどいい、といった具合です。
おだ脚の長さ、おだ脚を打ち込む角度、その竹の太さ、すべてが考えられた結果の仕事で、寸分の隙もなく、おだは絶対に崩れたりしないのです。

そんな小泉さんも、原発事故では大きな打撃を受けました。小泉さんの野菜を食べている人たちは、化学物質過敏症の人など、他の野菜が食べられない人や、特に意識の高い人たちだったからこそ、二割ほどの人が購入を取りやめたそうです。今は宅配便が発達していますから、首都圏の人が、千葉ではなく九州から野菜を購入することも、不可能ではないのです。
中には、電話口で、赤ん坊がいるから、申し訳ないけれど続けられないと、泣いていた人もいたそうでした。

小泉さんはこまめに爆発のときに飛来した放射線量を計り、結果を消費者に知らせて、放射能汚染とも真摯に対応しています。
そして、コンパイオンプランツを試みるなど、これを契機にさらに深い農業に挑戦しようとしています。

さりげない日常が書いてあるのに、ところどころ涙なしでは読めない、とても素晴らしい本でした。



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