一番上の、横長の模様の真ん中あたりが布の真ん中で、二つ折りにして掛けています。 この布は「ヒンギー」と呼ばれ、男性の腰巻にしたり、肩掛けにして使われているものです。
インドネシアの島々に住む人々は、それぞれの島で、それぞれに豊かな布文化をつくり上げ、伝承してきました。織りのイカットと染めのバティクです。
とくにスンバ島のイカットは豪華な総模様で、そのモチーフの一つ一つが信仰する精霊であったり、身の回りのものであったり、動物や海の生き物であったり、インドや中国など外から取り入れたもの(象や龍)であったりと、バラエティーに富んでいます。
絣はインドで生まれて、東南アジア各地に広がり、日本へは江戸時代に沖縄経由でもたらされました。日本にはもっと古く、西方よりもたらされ、正倉院の御物として残されている絣もありますが、技術として定着したのは、ずっと後のことです。
絣には、経糸(たていと)を染めわけてから布に織る経糸絣、緯糸(よこいと)を絣に染める緯糸絣、経糸も緯糸も絣に染める経緯絣(たてよこがすり)などがあります。
インドや日本では経緯絣が多く織られ、タイ、カンボジアでは緯糸絣(よこいとがすり)が、インドネシアやマレーシアでは経糸絣(たていとがすり)が多く織られています。
ち なみに、スンバ島のイカットにもモチーフが取り入れられているインドの「パトラ」は、絹の経緯絣(ダブル・イカット)で、これ以上の絣はどこにもないという、世界最高のものです。
(写真は、19世紀のパトラ。『Traditional Indian Textiles』、JOHN GILLOW著、T & H社発行、1991年より)
パトラはインド各地で織られていましたが、今ではグジャラート州のパタンに残るだけです。
インドネシアのイカットは、経糸と横糸を一本ずつ交互にくぐらせる平織りですが、絣に染める経糸に緯糸よりも太い糸を使い、しかも経糸を密に織り機に張るので、緯糸がほとんど目立たず、したがって経糸に染めた模様がくっきりと浮かび上がってきます。
この写真はスンバ島ではなく、ロンボック島のもの、絣の模様をつくっているところです。
経糸を並べて、何本かまとめて模様にくくると、くくったところが染まらないで残され、糸の染めわけができます。
スンバ島のイカットとは模様が異なりますが、くくり方は同じです。
上にぶら下げてあるのは、くくり終えて、染めるばかりになっている糸です。
インドネシアでは、かつては糸をくくるのに、ヤシの若い芽などを使いましたが、今ではビニールテープの荷紐を細く裂いて使っています。タイでやカンボジアでも同じです。
ビニールテープは安価でどこでも手に入り、使いたい太さに裂くことができ、防水性があるので染料がしみ込むのを防げる、とても便利な素材です。
ビニールテープの色を変えてくくっているのは、三色か四色染める予定で、一色染める毎に、違う色のビニールテープをほどくためでしょうか。
ある色を染めたら、くくった箇所の一部をほどくことによって、たとえば三色染めるだけでも、色の重なり具合が違うところができ、複雑な色が得られます。
スンバ島の染料は、
アカネ科植物の根、
マメ科のインド藍、
ウコン(ターメリック)などです。
これはスンバ島の写真です。
くくった糸をアカネ科植物の根で赤褐色に染め上げ、干しています。自分の思う濃さになるまで、同じ色でも何度でも染めます。
地機を織っているのは、スラウェシ島のトラジャ人の女性です。
これは絣ではなくて縞模様ですが、スンバ島でもほぼ同じような織り機で、同じように織ります。ただ、絣は模様を合わせて微調整しながら整経(せいけい)するので、織り機に掛けるまでに長い時間がかかります。
布は出来上がり寸法の二倍の長さに織り、織り上がったら半分に切って幅をつなげて一枚の広い布にして、二枚一緒に端の始末をします。
制作風景の写真はどれも、『TRADITIONAL INDONESIAN TEXTILES』(JOHN GILLOW著、BARRY DAWSON写真、T & H社発行、1992年)から拝借しました。
元はどんな色だったかわからないほど色褪せている、やはりスンバ島のイカットです。こうして掛けてみると、なんとか模様が浮かび上がってきます。
模様はなかなか複雑で、さまざまな人や動物が描かれていて、躍動感もあります。
猿、蛇はわかりますが、猿の上や下の動物は何でしょうか?人の脇には鳥もいます。
これは、『TRADITIONAL INDONESIAN TEXTILES』に載っていた、スンバ島のイカットです。
私のイカットは、やむなく半分に折って写していますが、本に載っているのは、広げて写してあるので全体がわかります。長さは二メートルほど、模様は真ん中を境にして、反転させているのが一般的です。
織りあげた布を半分に切って、幅をつなぐので、一枚織りあげるのに、織り手の方を向いている模様、反対を向いている模様というふうに交互に、同じ模様を四つ織ることになります。
模様のつくり方です。
糸をくくって模様をつくるとき、上のイカットを例にとると、ワニの間に立っている人は左右対称ですから、小さいワニ、大きいワニと「縦半分の人」で一つのユニットになっていることがわかります。そこで、八ユニット分の糸を一緒にくくると、イカット一枚分の糸が用意できます。
織っているときには、織り機の上にはワニが四匹並んであらわれ、あとで長さを切って幅をつなぐと、横並びに八匹になるというわけです。
今は下絵を描くのが一般的になっていますが、かつては下絵もなしに、思いつくままに糸をくくったそうです。
模様を考えるだけでなく、色が重なった部分も想像しながらくくらなくてはならないので、複雑なものだと仕上がるまでに、一年もかかります。もっとも綿を育て、糸を紡いでからですから、もっと時間がかかります。
スンバ島には象はいませんが、インドのパトラを見て、それを参考にくくり、自分たちの模様である「スンバの人」と組み合わせてあるイカットです。
こんな布をまとって、人前に出るとき、男性がどんなに誇らしかったか、想像がつくというものです。
めったにないものですが、中には一枚の絵のように模様がつくられいるものもあります。
くくる手間としては二倍、ちょうどヒンギー二枚分の手間がかかっていますが、見事です。
人間はどうして手間暇かけて美しいものをつくろうとするのか?
たぶん、生きていることの証としてつくっているのではないかと思います。
4 件のコメント:
絣の出来上がったのを見て、縦糸にまず模様を染めて、横糸も計算して染めて…というのが、どうしても人間業に思えなかったです。
(頭の中が立体的になってるのでしょうか…)気が遠くなるような感じです。
この写真を見てもいまだに信じられないような気がします。経糸で、横を向いた足の指を染めるって…(最初の写真)。
バティックの方が、複雑でもまだ方法が理解できる気がします…。
karatさん
絣は染めたい糸を枠に張って絵を描くようにくくります。そのとき、もちろん細かい模様だと、計算もくくるのも大変だと思いますが、長年の経験がものを言うのでしょうね。
染めた後、経糸絣だと、織り機に掛けるときには神経も使い、ずれないように微調整に時間がかかると思いますが、織るときな何も考えずに鼻歌交じりに織れます。
そして、緯糸絣で、しかも細かくてはっきりした模様を出す場合は、経糸をかけるときは簡単ですが、織るときに布の端で、いちいち緯糸を調整しながら織ります。そのため、下手な人が織ると余らせた糸がループのようにびっしり布端に出ていたりします。となると、その部分を切ったり縫い込んだりして使うならともかく、サリーのように布のままで使う布としては使えません。
だから、二番目の写真のインドのパトラは、信じられない、どう考えても信じられない、今ではほとんど誰にもできない、すごい、すごい絣です。
日本の絣は井桁絣、蚊絣などけっこうごまかしのきく模様にしてあって、たぶんそう神経は使わないのではないかと思います。古い布団地など、わりと複雑な絵絣もありますが、たいてい二色(二色でも経緯絣にすると三色に見えます)というのも、多色より楽だと思います。
そう、絣よりバティクの方が考えやすいですね。でもバティクも毎日描いて一年もかかるものもあるそうです(笑)。
ていねいにありがとうございます。ロンボク島の写真の白いあれですね。
それにしてもすごいです。私なら縞模様でやめときます。
本物のイカットが高いのも当然ですね。バティックも、いいなと思うものは高いです。手間を考えればあたりまえですが。
karatさん
私も縞模様でやめます(笑)。もし絣をつくったとしたら、「100万円もらっても売らない」なんて言ってしまうでしょうね。買う時は数千円でも「高い!」と言っているくせに(笑)。
とくに経緯絣のとき、下絵はどうするのでしょうか?見たことがないのでわかりませんが、同じ下絵を使わないとずれてしまいます。考えただけで。寝込みそうです。
昔は、お金につられてつくるのではなく、自分の可能性を追求したので、精度の高いものができたのでしょう。だから、できたときはものすごく誇らしかった。つくる気はありませんが、その満足感だけは味わってみたいものです(爆)。
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