もちろん、郷土玩具を紹介する本では、北から南へと記述してあるのが当たり前で、本を開くとまず、北海道の「いなう」や「熊の木彫り」からはじまっています。
でも、それらを郷土玩具とは思えず、避けるようにしていました。
あれは、1990年代だったでしょうか、ある集会に参加することになり、生まれて初めて、北海道の札幌に行きました。
集会の基調講演は、アイヌ文化の守り手であり、後に国会議員になられた、萱野茂さん(1926-2006)がなさいました。
静かな口調でしたが、お話は辛いものでした。
アイヌの人々は、鮭を主食として、皮から骨まで余すところなく食べたり利用したりして、何千年も暮してきました。ところがシサム(和人)が入ってきて、いきなり鮭は一年に一人六匹(確かそのくらい)以上獲ってはいけないと通告した、そんなお話でした。
萱野さんに、
「もし、外から来た人に、日本人は、今日からお米をつくってはならないと言われたら、どうしますか?自分たちの言葉を使ってはいけないと言われたら、どうしますか?」
と問いかけられ、身の置きどころのない気持ちになったものでした。
アイヌの人々の残したものを大切にしたいと思いはじめたのは、それからもっと時間が経って、骨董市でアイヌの農民人形を見かけてからでした。
もちろん、北海道に行けば、博物館もあって、本当に大切なものは残されているに違いありませんが、それでも、出逢いがあったときには、できるだけ手元に置くようにしようと思いました。
『日本郷土玩具事典』(西沢笛畝著、岩崎美術社、1964年)より |
もともと、アイヌ社会には、木彫りの男女一対の座像がありました。
しかし、これは神具で、人形ではありませんでした。アイヌの人たちは、人間はカムイ(神)がつくったもので、小型の人間ともいうべき人形をつくって弄ぶことは、カムイへの冒涜であると信じていました。
しかし、北海道が開拓地となり、シサム(和人)が入って来て、アイヌの生活環境は激変しました。観光地ができるに従って、アイヌたちは木彫りの腕を活かして、観光土産の一刀彫の人形をつくるようになりました。
台に「川湯」と書いてあるところを見ると、これは温泉土産です。たかが温泉土産なのに、木彫りの確かなこと、彩色の美しいこと、うっとりします。
それに、生け捕って育て、カムイにささげるという熊の子を女性が抱えていて、男性が鮭を持っていて、アイヌの生活にかけがえのないものが、小さな人形の中に凝縮されています。
こちらは「阿寒湖」、色鮮やかなアツシも、見事に表現されています。
もし、学生時代にこんな人形に出逢ったら、
「これは郷土玩具とは違う、お土産ものだ」
と、見向きもしなかったでしょうか?
もっとも、槐(エンジュ)の木彫りのコロボックル人形などは今でも苦手なので、木の種類や彫り方にもよります。
もしかしたら、これら白樺の像は、農民人形の影響を受けた後につくられたものかもしれません。
そして、手がないものは、当時全国のお土産として全国で売られていたこけしの影響を受けたものでしょう。
「登別」のお土産です。
一本の白樺の枝が、穏やかな夫婦像に彫りあげられています。
魚を獲りに行く、夫婦。
アイヌの数千年の文化の、最後の一かけらの一部である木彫りの人形たち。
いつまでも残ることを願ってやみません。
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