昨日は、化学染料(合成染料)が、20世紀になって世界の染織を変えたと書きました。
それまでは、植物、動物、鉱物などの天然染料しかなかったのですが、今では、染織品の99.99%以上に化学染料が使われています。
人工染料は、1856年に、ロンドンのウィリアム・パーキン博士が、マラリアの解毒剤のキニーネを合成しようとしていたとき、偶発的にできました。
これが化学染料のはじまりで、その後イギリスやドイツで開発が進み、1900年代初頭には実用化され、それまでの「天然染料」にとってかわって、安価で手軽な染料として、地球の隅々までもたらされることになりました。
私が小さいころ、家庭用化学染料を使っての染物は、家でしばしば行われていました。
染めるときには、染料を溶かしたお湯を長く沸騰させるので、台所には湯気が立ち込め、動物繊維を煮る独特のにおいが充満しました。
布染めには子どもは不要でしたが、毛糸染めには一役買いました。解いた糸は「かせ」にして染め、染めて干しあがったら「玉」にしますが、そのとき、子どもの腕が、「かせ」掛け用に使われたのです。
そうやって染めた布や糸で、大人は布団をつくったり、セーターを編んだりしていました。
布染めには子どもは不要でしたが、毛糸染めには一役買いました。解いた糸は「かせ」にして染め、染めて干しあがったら「玉」にしますが、そのとき、子どもの腕が、「かせ」掛け用に使われたのです。
そうやって染めた布や糸で、大人は布団をつくったり、セーターを編んだりしていました。
この「藤山染料」も、そんな家庭用化学染料の一つです。
酸性染料で、絹、及び羊毛という、動物繊維専門の染料との注意書きがあります。大きい方のビンで、布なら一反(着物一枚分)、糸やセーター、洋服の丸染めなら120匁(600グラム)染めることができます。
私は、染料ビンが好きですが、ラベル、さらに箱や説明書がついている時は、いつもどう扱うか迷います。ビンを愛でたいのだけれど、ラベルも、箱も説明書も、ものの背景を物語っています。そこから見える時代や暮らしを、切り捨てていいのか、そう迷いながら、ぐずぐず取っておくことになります。
私は、染料ビンが好きですが、ラベル、さらに箱や説明書がついている時は、いつもどう扱うか迷います。ビンを愛でたいのだけれど、ラベルも、箱も説明書も、ものの背景を物語っています。そこから見える時代や暮らしを、切り捨てていいのか、そう迷いながら、ぐずぐず取っておくことになります。
さて、天然染料では、絹、羊毛といった動物繊維は染まり易いのですが、麻、木綿といった植物繊維はなかなか染まりにくいものです。
ただ例外があって、藍は植物繊維でもとてもしっかり染めることができます。だから、16世紀以降、西欧列強が藍を欲しがり、植民地インドにおいて、藍の使用権を独占しようとまでしました。
ジーンズの染料は「インディゴ」と言いますが、天然藍ではありません。
1880年に、ドイツのアドルフ・フォン・バイヤーがインディゴの合成を成功させました。その化学構造での工業的手法が研究され、1897年には、ドイツの化学メーカーのBASFが、合成インディゴを実用化しました。
以後、合成インディゴは急速に普及し、1913年には、天然の藍はほぼすべて、合成のインディゴにとってかわられてしまいました。
ということは、世界中の藍に携わっていた人々が生業を失ったということでもありました。
ということは、世界中の藍に携わっていた人々が生業を失ったということでもありました。
家庭用染料は、一時はどれだけの数があったのか、ビンを集めていらっしゃる方のブログをのぞき見ると、その多さに圧倒されます。
私の祖母が使っていたのはみやこ染めでしたが、ブログケラダマヒのmaicaさんが持っていらっしゃる染料ビンだけでも、菊水染、ゆきわ染、マツ染料、日ノ出印、かてい染、みづほ染料、桐山染料、にしき染、さくら染料、うきよ染、アニリン染、音羽染、アルス染料などなど、というにぎにぎしさです。
ちなみに、「藤山染料」をつくったのは、東京都大田區にあった「藤山化學産業株式會社」ですが、ネットで検索して出てくるのは、京都にある別の会社、「藤山産業株式会社」だけです。
ところが、この会社も、1905年に梅原染料店としてスタートしているのが面白いところです。梅原染料店は、もともとは染料の小売店だったものが染料づくりへと進み、藤山産業株式会社と名を変え、今も化学製品をつくっているようです。
ところが、この会社も、1905年に梅原染料店としてスタートしているのが面白いところです。梅原染料店は、もともとは染料の小売店だったものが染料づくりへと進み、藤山産業株式会社と名を変え、今も化学製品をつくっているようです。
とすると、かつては、「梅原染料」も出回っていたのでしょうか?
さて、化学染料を使う染物工場がたくさん横浜にあった頃、横浜の川は汚れていました。その後、台湾の川が汚れているという話を聞いたのも、もう20年以上前になります。今、世界のどこの川が汚れているのでしょうか?
前にも書いたことがありますが、化学染料の「黒」や「赤」は、1980年代まで、色落ちしやすいものでした。黒い衣類は洗濯を重ねると、茶色くなったり羊羹色になり、赤は薄くなりました。
それをしっかり染めるには、危険な薬品を使わなくてはなりませんが、日本では使用が認められていません。それなのに、洗っても色落ちしない「黒」や「赤」を、私たちが手に入れているということは、どこかでその危険な薬品が使われているということです。
人間の歴史は、何かを得て何かを失ったということの、積み重ねかもしれません。
さて、化学染料を使う染物工場がたくさん横浜にあった頃、横浜の川は汚れていました。その後、台湾の川が汚れているという話を聞いたのも、もう20年以上前になります。今、世界のどこの川が汚れているのでしょうか?
前にも書いたことがありますが、化学染料の「黒」や「赤」は、1980年代まで、色落ちしやすいものでした。黒い衣類は洗濯を重ねると、茶色くなったり羊羹色になり、赤は薄くなりました。
それをしっかり染めるには、危険な薬品を使わなくてはなりませんが、日本では使用が認められていません。それなのに、洗っても色落ちしない「黒」や「赤」を、私たちが手に入れているということは、どこかでその危険な薬品が使われているということです。
天然染料 |
人間の歴史は、何かを得て何かを失ったということの、積み重ねかもしれません。
2 件のコメント:
わ~ 私そんなに染料瓶持ってましたか!
数えた事がないので気づきませんでした(笑)
染料瓶て普及率が高かった上に使わないで残されているパターンが多いんでしょうね。
骨董市でも埃まみれで売られていることがありますよね。
藤山染料は緑の瓶が素敵です♪
何度かネットで見たことはありますがまだ出会えていません。
これからもまだ見ぬ染料瓶に出会いたいものです!
maicaさん
勝手にコレクションを紹介させていただきました(笑)。
確かに、家庭用染料をいけいけでつくったけれど、特に戦後は、使われた時期は短かったのでしょうね。染めた布や色の良い毛糸が出回るし、都市化で家は団地など狭くなって染物ができないし、誰も家で染めたりしなくなったのでしょう。
そういえば、『びんだま飛ばそ』には染料ビンは出ていなかったかな?よく家で染物をしていたのは、もしかしたらうちだけだったかもしれません(笑)。
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