2018年10月12日金曜日

アシャンティのケンテ

探しものがあって、『アフリカの染色』をぱらぱらと見ていました。
この本は、大英博物館の所蔵品展を日本でやったときのカタログです。
アフリカのほぼすべての国々が、1950年代まで、ヨーロッパ諸国の植民地で、イギリスの植民地もたくさんありました。そのため、大英博物館の所蔵品には、アフリカの代表的な染色が網羅されているし、その研究の歴史もあります。
もちろん、ガーナのクマシに住んでいるアシャンティの「ケンテ」も載っています。


ところで、しばらく前に、時代箪笥の引き出しを開けてみたら、アシャンティのケンテがでてきました。
これは、5枚しかつないでありませんが、約10センチ幅に織った布を20枚くらいつなぐと大きな一枚の布になって、男性の衣装になります。


たぶん、ガーナを去るときにどなたからかいただいたもの、クマシの代表的な土産ものですが、素材はレーヨンだし、織り方は下手だし(緯糸(よこいと)で模様をつくるときだけ、布の幅が狭くなっている)、いかにも派手すぎて、使いようもなく、引き出しに入れていたものです。

『アフリカの染色』は所蔵品のカタログなので、その記述は短く、十分とはいえませんが、アシャンティ織りものについても書いてありました。
アシャンティは、長い間(といっても、ガーナに織の技術が伝わったのは、確か16世紀だったと思います)、藍と白だけで布を織ってきましたが、18世紀初頭から、輸入された布をほぐして色糸、とりわけ絹の糸を取り出し、それを使うようになり、やがて色糸を手にし、何色も使った織りものを織るようになったそうです。
一枚の細い布の長さは200-250センチありますが、その両端を「頭」と言い、必ず5段の緯糸でつくる模様を配します。

さすが大英博物館、見たことがない美しいアシャンティのケンテです

なるほど、気がつきませんでしたが、こんな複雑な模様のケンテでも、下の5段が「頭」というわけです。
このケンテは、経糸(たていと)は黒一色ですが、



この二枚は、経糸にいろいろな糸を使って、縞にしています。やはり下の5段の模様が「頭」になっているのがわかります。
このような縞は、それぞれに配列があり、名称を持ったり、ことわざを持ったりしていて、特別な人しか身につけられなかったそうです。
また、アシャンティの王は、絹でできたもっと特別なケンテをまとい、王以外の人たちは絹のケンテを着ることができませんでした(今も、そうかもしれません)。


アシャンティのケンテには、まだまだ約束ごとがあります。
古いケンテにも、お土産用のケンテにもあるこの模様、二色の緯糸で縦線と点を交互にあらわした模様は、「ンウォトア」と呼ばれ、「かたつむりの裏側」という意味で、必ず「頭」の一部に配されています。
通常は赤と金(黄)で模様をつくるようですが、最後のケンテのンウォトアは、金と黒、緑と黒になっています。

エウェのケンテ

布としては、エウェのケンテの方がしっくりきていたのですが、アシャンティのケンテには模様すべてに意味があり、名称がつけられていることを知ると、ちょっと親しみがわきます。もっとも、アディンクラの模様もすべて意味がありましたから、ケンテの模様にも意味や名前があって当然とうなずけます。
また、黄色を多用するのもあまり好まないところでしたが、黄色は富の象徴である金をあらわしているのかもしれません。

エウェもアシャンティも、普通の綜絖(そうこう、経糸を一本おきに上下させる装置)の後ろに一組の紋綜絖を置き、それで緯糸による紋織で模様をつくるという共通点があるのですが、アシャンティはもう一組紋綜絖をつけて織ることもあるようです。
つまり、織りものとしては、アシャンティのケンテはエウェのケンテより複雑です。しかし、アシャンティはいろいろ約束事が多いために、決まり切った色と模様になり、エウェのように自由には織れなかったので、面白みがなくなったのかなと思いました。
ちなみに、アシャンティのケンテは、昔も今もクマシ近郊で織られてきましたが、エウェのケンテのはかつてはいろいろな地域で織られて、地方色があったようです。








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