2021年10月30日土曜日

カンボジアの切手


切手帳にして3ページ分ほどカンボジアの切手を持っています。


どれも、私の元職場で実際に使われた切手ですが、なんとなく外貨獲得用の切手っぽい図柄のものが多い感じがします。


2色刷りの小型の切手は比較的新しいもので、1996年、1997年などと発行年が入っていますが、普通切手です。

1863年にフランスの植民地にされたカンボジアは、1953年に独立しています。1970年には、親米派のロン・ノルがシハヌークの外遊中にクーデターを起こし、アメリカの傀儡政権を打ち立てます。アメリカはこれで隣国カンボジアも巻き込んで、ヴェトナム戦争を有利に戦えるはずでしたが、そうはいきませんでした。
1975年、ヴェトナム戦争が終結、アメリカが敗退しました。安堵もつかの間、それからの4年間、カンボジアではポル・ポトの恐怖政治が続きました。

1979年に亡命中のヘン・サムリンとフンセンがヴェトナム軍の支援を受けてカンボジアに侵攻、人々をポルポトの圧政から解放しましたが、西側諸国はヘン・サムリン政権をヴェトナムの傀儡とみなして認めず、国連はタイ国境に逃げて基地をつくっていたポル・ポトなど三派をカンボジアの正式代表として遇する時代が、10年以上続きました。

その間、ヘン・サムリン政権は、三派連合がカンボジアを名乗っていたので、「カンプチア人民共和国」と称していました。そして、西側から正式に認められた1990年代になって、カンボジア王国と名を変えました。
その変遷は、切手の表記にも表れています。


この切手は、紙の質などから、私の持っている切手の中では一番古いものに見えますが、単純に「カンボジア」としか書かれていません。
いつ頃のものでしょう?


そして1枚だけある「クメール共和国(1970-75年)」と書かれた切手は、ロン・ノル時代のものです。
ちなみに、今でもカンボジア文化のことをクメール文化とか、あるいはカンボジア語と言わないでクメール語などと言いますが、カンボジア人自身は、自分たちのことを、「クマエ」と呼んでいます。


カンプチア人民共和国(1979-91年)時代は、地域によっては内戦もあり、経済的には困窮した時代でしたが、わりとたくさんの切手を発行しています。私の持っている切手も三分の一くらいが1980年代の切手です。


ところで、カンボジア和平パリ協定が結ばれた年である1991から93年に発行された切手には、「ETAT DU CAMBODGE」と書いてあります。
フランス語ETATは、「州」という意味らしい、何のことかさっぱりわかりません。


そして、1993年には「カンボジア」だけの切手もあり、


1994年からは「カンボジア王国」と記されていますす。


さて、これは私が1998年から2001年までのプノンペン滞在中に、両親に送った手紙です。母が身辺整理をした時に返されたのですが、読むには心の準備(?)がいるので、何年もそのままになっています。
この手紙群を見ると、貼られている切手は圧倒的に小さい切手が多いのが特徴です。また、中央郵便局まで行ったのか、スタンプ(金額を示したゴム印)だけの封筒もあって、世の中が落ち着いてきた証拠にも見えます。


そして大型切手も、よその国で行われたオリンピックなどという題材より、アンコールワットや国王陛下ご夫妻など、身近なものになっています。
と言っても、こんな汽車がカンボジアを走ったかなぁ?鉄道は仏領インドシナ時代の1929年に着工されています。
内戦が続いて、地雷があちこちに埋められていて、一時は鉄道どころではありませんでしたが、1990年代後半に、物資輸送だけだったと思いますが、プノンペンーバッタンボン間の鉄道が復活しました。その後、順次旅客列車の復興が進み、今ではタイ・カンボジア国境で、双方の鉄道が連結されたようです。

シハヌーク国王ご夫妻

ポルポト時代は手紙どころではなかったと思いますが、それより古い時代の切手はどんな感じだったのか、見てみたい気持ちがします。






 

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