2024年3月8日金曜日

写し絵の箱


先日のペルーのレタブロ携帯用の小型祭壇が後に民芸品に発展したもの )が重ねた箱に隠れていたと言いましたが、隠れているというほどでもない、見えてはいたのですが、気づかなかっただけでした。


その前に積み重ねてあった箱とは、下から箱根細工の箱の箱、花を散らした箱、そして上はインドの紙塑の箱です。


花を散らした箱は箱根細工と呼べるのかどうか、蓋の上面だけ箱根細工のように正方形の棒を貼り合わせ、薄くスライスして貼ってあり、上面と四方に移し絵で花を散らせています。


寄木にしなくても十分きれいな箱ができたのではないかと思いますが、たかが子ども目当ての安もの(たぶん)の箱なのに、一手間かけています。


蓋の収まりも、面取り具合も、いずれも美しく仕上がっています。


麦わら細工の箱は、久ぶりに手に取って見たら、置いておいただけなのにすっかり傷んでいました。触るとぽろぽろ取れてしまうし。
上にブリキの鳥を置いていたので、たびたびの地震で、鳥の足でガリガリこすられてしまったのかもしれません。残念でした。








4 件のコメント:

茶々丸 さんのコメント...

写し絵の箱、昭和レトロ感に泣けますね。
こんな感じの写し絵シールを妹が沢山持っていて、羨ましかったのを思い出しました。
六花亭の包装紙に惹かれる自分は、この路線好きの延長ではないかとも感じます。
以前、姫路の日本玩具博物館に行った折、「男の子の夢」「女の子の夢」のブースがあり、
女の子の方が絶対いいじゃん、とも思いました。

そうかと思えば、
BSドラマので「オスマン帝国外伝」に嵌った時は、
劇中、度々登場するイスラム螺鈿のごっつい筥に憧れ、似たものをネット注文したりしました。
正確無比な幾何学模様で、情緒的な要素はゼロですが、本能的に惹かれます。

話は違いますが
六角形の焼き杉の箱の中、上は猩々、下は福良雀でしょうか、
吉田永光か久保佐四郎の江戸趣味小玩具で、これまた多種多様ですね。
これも虫ちゃんの好物なので、一度は冷凍が必要でしょうか。

さんのコメント...

茶々丸さん
私が小さいときの写し絵は粗末なものばかりでした。数色刷りで印刷がずれているような。それを腕などに移して遊びました。

日本玩具博物館は遠い昔、まだできたてのころに行ったことがありました。『季刊銀花』で井上さんが車で全国の蔵のある家を訪ねて人形を譲ってもらったという記事を読んで。その当時からすごいコレクションでしたが、ネットで見るといつも素敵な企画をやられていますね。

箱はそれこそ小さいときのわくわくを引きずって好きなのかもしれません。

六角形の箱の中の人形(https://koharu2009.blogspot.com/2013/01/blog-post_9.html)は猩々でしたか。しまった、外国人と勘違いしていました(大汗)。猩々で、赤い扇を持っていたのですね。しかも江戸人形とは。てっきり京都のものと思っていました。
教えていただいてありがとうございました。
江戸趣味小玩具と言えば、浅草の助六で売られたものなのでしょうか?

茶々丸 さんのコメント...

自分は昭和30年生まれで、粗末な上がりの写し絵にも触れた世代です。
駄菓子屋玩具にも郷愁があり、地球瓶や猫瓶、煙草屋のケースにも駄玩具を入れています。
ですから、その流れで春さんのガラス瓶の話題もいつも興味深く拝見させて頂いております。

猩々は右に盃、左に柄杓だったかと思います。
先日の玩友のサイトに、江戸趣味玩具を上げて見ました。
http://www3.ezbbs.net/01/bikutoru/

これは助六扱いではなく、戦前の郷土玩具ブームの折、趣味家向けに販売されたシリーズです。
当時は百貨店が積極的に郷土玩具を扱っていたようで、
その名残が旧白木屋(東急百貨店)の日本郷土玩具展として、近年まで続いたようです。

さんのコメント...

茶々丸さん
壽々夢志庵はすごい!全部茶々丸さんのコレクションなのですね!
関東大震災からも東京大空襲からも免れて生き残ったものをこんなに大切にしていらっしゃる、しかもとても見やすいように展示していらっしゃる、日本の宝です。西沢笛畝さん、武井武夫さん、河村目呂二さんたちも、よろこんでいらっしゃることでしょう。
後世にいかに遺していくのが一番いいのか、お悩みになるところですね。

白木屋の郷土玩具展が郷土玩具を取り扱っていた流れとは知りませんでした。毎年のように出かけて、手ぶらで帰っていました。こと収集に関しては男女の違いを痛感します。女はそうのめりこめませんもの(笑)。

草津の猩々は知ってはいましたが、あの豆人形が猩々とは、思いもよりませんでした。草津の猩々もそうですが、猩々も玩具になると優しいお顔になるんですね。