2010年3月17日水曜日
カンボジアのかぼちゃ
プノンペンに住んでいる頃、トゥールタンポン市場のなじみの店で、実物よりちょっと大き目の、一対の焼き物のかぼちゃを見つけました。
「このかぼちゃは、いったいなに?」とたずねると、骨董屋さんは、「商売繁盛のお護りよ。とくに中国系のお店では、必ずかぼちゃを祀っているわ」と、教えてくれました。タイ同様、カンボジアでも、お店を構えているような人は、だいたい中国系です。
「じゃあ、この店にもかぼちゃを祀っているの?」、「ええ、もちろん」。一坪ほどの小さな店の、品物を積み上げている、さらに高いところにある神棚から、彼女が取り出して見せてくれたかぼちゃは、直径が4センチほどの、銀板を叩いてつくったものでした。「私の店にもあるわよ」と、向かいの店の骨董屋さんも、同じようなかぼちゃを見せてくれました。
「でも、焼き物のかぼちゃは、珍しいのよ」。
このかぼちゃ、へたが蓋になっていて、中は空洞です。
ちょうど真ん中あたりに、かすかに横線が見えますから、粘土で形をつくった後、ちょっと乾かしてから輪切りにして中をくり抜き、再び閉じ合わせたもののようです。
それにしてもよくできています。我が家の神棚に飾っていると、ときどき本物のかぼちゃを置いているのかと、間違える人がいるくらいです。
かぼちゃとは、ポルトガル語でCambodia abóbora(カンボジア・アボボラ、「カンボジアのウリ」の意)のアボボラが省略されたものだそうですが、カンボジア原産ではなく、アメリカ大陸原産です。大航海時代には、カンボジアでは、もうかぼちゃが栽培されていたのですね。
カンボジアに、かぼちゃを丸ごと器にして、ココナツミルク味のプリンの素(卵+砂糖+ココナツミルク)を流し込み、蒸してつくる、「かぼちゃプリン」というお菓子があります。まねをして日本でつくろうとすると、たいていかぼちゃが割れたり、崩れたりして、プリン液が流れ出て、悲惨な結末を迎えます。かといって、蒸す時間を短くすると、プリンが固まりません。「どうして、うまくできないのかしら」と、不思議に思っていましたが、カンボジアの農村を見て、理由がわかりました。
カンボジアでは、実が柔らかいうち(日本の食べごろ)にかぼちゃを摘み取らず、葉が枯れるまでおいて固くし、長期保存がきくようにしているのです。だから、長い時間蒸しても、日本のかぼちゃのように、実が割れたりしないのです。
カンボジアでは、かぼちゃの若い芽や葉も食べます。
これが、銀を打ち出してつくった、典型的なかぼちゃです。私の持っているものは小さなものですが、大きな大きなかぼちゃもあります。
これもかぼちゃです。市場の骨董屋さんに聞くまで、なぜ、銀器にはかぼちゃの形が多いのか、わかりませんでしたが、縁起物だったのですね。日本の熊手のようなものでしょうか。
蓋を取ったところです。一ヶ所だけで蓋ができるのではなく、どうまわしてみても、きちっと蓋ができます。
これも、マンゴスティンとか、ドリアンには見えませんから、かぼちゃでしょうか?
足がありますが、これもかぼちゃでしょうか?複雑な形ですが、どう組み合わせても、蓋はぴっちり閉まります。
プノンペンのセントラル市場に行くと、今でも職人さんが銀細工や銅細工をつくっています。私は、名のある人のつくったものには、ほとんど関心がないのですが、名を残そうともせず、少しでもよいものをつくろうと腕を上げた職人さんたちの手仕事には、心から惹かれ、敬意を表してしまいます。
もっとも、これらの銀器はみんな、カンボジアではなく、ずっと以前にバンコクで買ったものですが。
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